卵が先か鶏が先か
子供の頃に先端科学に憧れたものの、その夢を果たせないまま大人になっちゃったせいで、ときどき宇宙論や素粒子論なんかの一般向け解説本とかを読んじゃって、妙にワカッタフリしてるオジサンがいますよね。
そういう輩はたいていが、難しい数式などは読み飛ばすくせに意味深長に聞こえるフレーズばかりを覚えちゃうんですね。
「空間と時間は同じものの異なる側面にすぎない」とか「極微世界では存在すら碓率でしかない」とか、そしてよせばいいのに、それに加えて自説までも吹聴するから困ったものです。
ハイハイ、何を隠そう、私もその一人なのです。
そこで早速ですが、「最近ゲットしたフレーズ」を紹介させていただきます。それは宇宙と人間との関係についてなんですが・・・
「宇宙の長い成長過程の中で、人類は偶然に創出されたものではなく、宇宙が自らの存在を認識させんがために、必然的に人類を創出したのだ」というものです。
したがって・・・
「人間が宇宙についていくら考えてもイタチゴッコにすぎないからもうやめよう」と提唱する物理学者すら出てきたらしいのです。(「人間原理」とかいうらしい)
コレダ!と私は思いました。使える!
だってこれなら、広大な宇宙に対してちっぽけな私でも臆することはないですし、だいいち、物理学に対するコンプレックスも一発で吹き飛ぶではありませんか。
オオソーカ!宇宙よ、お前はこんな私を待っていてくれたのか。
「ものは言い様」とか「卵か鶏か」ってことなら、話はぐっと身近になりますよ。
日常の家庭内の言い争いから国際社会の紛争に至るまで、枚挙にいとまがない。
そういえば議論という議論はほとんど、いや、全~部これかもしれません。
そういえば論理という論理もほとんど、いや、全~部これかもしれません。
「A型の人はキチンとしているが、ときどき大ポカする」し
「B型の人は大ざっぱなようでも、小心なところがある」とか
「家相の先生の言う事を無私して設計したら、御主人が怪我をした。
・・・そこで先生いわく、ほらみてごらん」
「家相の先生の言うとおりの設計をしたのに、御主人が怪我をした。
・・・そこで先生いわく、怪我でよかった」とか
ナアルホド、宇宙の本質がそもそも卵と鶏なら、人間の諍いもやむをえまい。
と、オジサンはまたまた悟ったような気分になったのでした。
(増田 奏)