ヨン様?!
すごい人気である。ホテルオークラの前には1000人みな女性。
一目見ようと走り寄り、将棋倒しで怪我人まで出る始末。いやはや凄い!
ホテルの係員までも「ヨン様は、こちらには滞在しておりません!」と様づけで叫んでいる。「ぺ・ヨンジュ様は、、、」とは呼ばないんだなあ。
韓国ロケ地ツアーも大繁盛。台湾への観光客は激減しているそう。
ヨン様離婚まであるそうな。凄すぎる!
焼肉屋でチゲ鍋をつつきながら夫婦でTVに見入ってしまった。
家内は中高年の追っかけ女性について「本当は旦那さまと恋愛したいのに、相手にしてくれないからヨン様に走るのよ」と男の私を責め口調でマッカリ酒をぐいっと飲み干している横で、私は全く違うことを思い出していた。それは自分がソウルに住んでいた(住むはめになった?)17年前のことである。
恩師である大学助手の連れ添いでソウルに観光に行ったつもりが、宿泊先に置き去りにされ、「このままソウルに滞在して100軒の住宅を実測してきてね!終わるまで帰って来なくて良いから!」短い伝言が残されていた。
大学院の学生であった当時の私にとって、ギリシャの白い集落に憧れての研究室入りだったはずが、研究室での調査はほとんど終了しており、すでに対象は韓国に重点が置かれていたのである。
韓国語の記号のような文字はまるで宇宙文字。言ってる事はさっぱりわからない。カタコト英語も全く通用しない。食堂に入っても注文すらできずに隣の人の食べている物を指して注文。今思えばそれは「ユッケジャンクッパ」という韓国でも相当辛い部類の料理。それから毎日それだけを食べつつ、日中は住宅地で1軒づつ呼び鈴を押しては、ハングルの書いた紙を見せて、覚えたてのプタカムニダー!(お願いします!)と歩き回った。「私は日本から来た大学生です。戦前に韓国に建てられた日式住宅の研究をしています。この家を実測させてください。」と訪問はするものの住み手の対応は冷たく「なにを今更日本人が来て、家を見せろって?何の調査だ!誰に言われて来た?また侵略するつもりか?おりゃ!」とばかりにあしらわれる毎日。まだ反日感情は強く、酔っぱらいの韓国人にはよく絡まれました。
溜息まじりに宿泊先に戻るも、そこは立派なホテルではなく温泉マークのついたネオンがきらめく日本で言えばラブホテル。オンドル暖房のため薄っぺらいピンクの布団が一つだけある狭い部屋で、もっぱら夜はテレビ三昧と経営者であるおばちゃんとの掛花札でした。
ところで当時、韓国のテレビ局は3つ位で内容は今の北朝鮮のTVのようでした。日本と違いひとつのドラマ番組は毎日2時間、しかも1年間続けてやっていました。NHK連続TV小説の長時間物だと言えばわかりやすいかもしれません。
当時見た韓国ドラマのほとんどは「制度や身分を頑固に守る男性とそれに翻弄される女性」という構図でした。同時期の日本では「東京ラブストーリー」という恋愛物がブームになっており「歯がゆいほど優柔不断の男とそれに迷いながらも自分の道を選択する女性」という逆の構図が流行っていたのです。韓国男子は徴兵制度もあり強くたくましく何かを守る!という不動の存在だったのに対し、逆に日本男子は彼女思いのようで実は一番残酷な仕打ちをソフトに行う!というなんともだらしない軟弱な存在だったのです。
そんなことを思い出してあれから17年経った現在、ようやく韓国でも若い男女の恋愛ドラマが盛んに出てきましたが、その中でも「冬のソナタ」の大ブーム。(そういえばヨン様は建築家の役ですね)「東京ラブストーリー」と同じような内容だと思ったら違っていたのです。「冬ソナ」は当初は死んだはずの過去の彼のそっくりさんに惚れた話かと思ったら、何ともしがたい血、家族の壁が根底にありながらそれを乗り越えようとする恋愛物。「東ラブ」は仕事か恋愛かの選択に悩む個人的な男女間の恋愛の話。どちらも大流行だったわけですが、うーん、これは根本が違うなあ。織田裕二よりヨン様の勝ち。バブルの頃から日本が個人主義に翻弄され始め家族も地縁もない素振りで「個人」が主題なのに対して、韓国では同じバブル期でも「家族の壁」がテーマとは、、、やっぱ儒教の国なんですねえ。
近代化の名の下に私たちは「平等と自由」をひたすら目指した20世紀でほぼ「平等」を獲得して、現在はひたすら「自由」を欲しているこの世の中で、「自由」とは裏腹の「乗り越えられない壁」という「不自由」に燃えるなんて、やはり人間は本当の自由なんて獲得できない?のかも。それとも「自由」なんて退屈なだけかもしれないと感じさせてくれます。日本の女性たちはヨン様を見ながら「乗り越えられない壁」を一緒に登っている気分なのだろうか?
なーんて思いつつ、家内の話にうわの空で生返事していたら「Sweet10-Diamond」を買うことになってしまっていた。日本の男(私だけ?)は実にだらしない。
(鈴木信弘)