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2.寝ても醒めても。

2020.06.13 16:19

呆れるくらい傍にいる、それなのに。


君への飽くなき愛情は、尽き果てる所を知らないのだ。



穂波と俺。


もうかれこれ十年、寝食を共にしている。


共にしている、は正確には高校卒業からなので七年と少しだが。


穂波たまえ、そう聞けば俺の周りの野郎達は溜息をつく。


ブラウンのかかったウェービーヘアに色素薄めの瞳、賢くて趣味がピアノで一人っ子の女の子でだけど、面倒見が良い。


そして実は、スタイルだって良い(これは完全なオフレコだ)。


どこを取っても男の理想とか希望の塊、そして俺の彼女。


穂波という彼女が出来たことは、俺がこの世に生まれて来たことの次に奇跡的で誇らしいことだった。


とにかく、俺達は十年という人生のほぼ半分を寄り添う様に過ごしてきたのだ。


暖かで柔らかい時間だ。


金曜日のオフィスは漫(そぞ)ろめいている。


ことさら週末にイベントが無くとも、誰もかれも落ち着かないのだ。


週末とは、いつの時代もそういうもの。


そんな雰囲気の中、営業先へ出る支度をしていると一期上の先輩社員に肩を叩かれる。


「杉山、今日8時に新宿な。間に合う?」


「午後から銀座でそこから直帰だから、余裕です。」


「今日はアパレル勤務のOLさんなんだよ。」


「まじですか。この前ヤングカジュアルにオープンした所のバイヤーですか?」


「そう。杉山が連絡先聞かれたけど、面倒臭くて俺に振ってくれたバイヤー。」


「言い方、それ人聞き悪いです。」


「杉山が婦人衣料担当になってから、アパレル業界との合コンが増えて増えて。」


いい後輩だ、と先輩社員はからかった。


穂波の存在は周知されているが、人員確保、宴会担当という名目で学生の頃から飲み会の誘いは絶えなかった。


正直、後ろめたさは無かった。


後ろめたさを感じるような気持ちで臨んではいないし、こういう事も付き合いで社会の歯車として暮らしていく為の潤滑油だと思っていた。


そのかわり、そういった飲み会の後は大概胸の奥がざわめいて一刻も早く穂波に会いたくなった。


午後七時五十分をデジタル時計が指している。


新宿アルタ前は老若男女を問わない混雑ぶりだった。


ここはいつだってそう、俺は社用携帯を引っ張り出して待ち合わせ場所と思われる辺りで昼間の先輩社員へ電話をかけた。


電話口の雑踏が同じリズムを刻んでいる、背中を振り返れば先輩が片手を挙げている、結局俺が最後みたいだ。


先輩が二人と後輩が二人、相手は皆8センチヒールを履き職業柄かほぼ金に近い髪の毛をアップに纏めている。


そしてどうもこんばんは、なんて上っ面に会釈しながら店へと向かうのだ。


店は駅から徒歩三分、ちょっぴり小洒落た居酒屋(ホットペッパーで決めた)。


五対五で長方形の机を囲む、店内は流行りの洋楽をかけている。


そしてここでの俺の役割は決まっていて、真っ先に会話の口火を切り飲み物を頼み、乾杯までの時間を繋ぐ。


飲み物さえ来れば後はアルコールの力を借りて各々が話始め、そうなれば俺の任務は完了だ。


その一息つく隙に「杉山くん?」と声をかけてきたのは紛れも無い、向かいの席からだった。


その主は長い睫毛が縁取った瞼を二、三瞬かせ、その度に瞼はちかちか煌めいた。


俺は俺で瞬きをして、そしてたっぷり三十秒考え込んだ。


「笹山か?」


「そうだよ!」


「まじでか。」


「集合場所で全然気付かなかった。」


郷里の思い出が巡る同級生と合コンで出会ってしまった偶然、世の中の狭さを思い知る。


笹山はまだ目を丸くしてこちらを見ている、蚊帳の外となった残りの男女達は笹山と俺を興味深そうに眺めている。


その空気を察して笹山が愛想良く、端的に答えた。


「地元一緒なんです。というか、小中高一緒。」


へえ、と感嘆の声に混じって「じゃあ杉山さんの彼女も知ってるんですね。」と、問い掛けたのは俺の後輩。


「たまちゃんのこと?」


咄嗟に笹山の口から彼女の名前が零れる。


「そう!たまちゃんです!」


合点の行った後輩のその声に瞬時に穂波の顔が浮かんだ。


笹山以外の女性陣は興味が有るとも無いとも取れない表情でこちらを見ている。


ただ合コンの場での恋人の話はタブーに違いない、にわかにシラけた空気がそこにはあった。


「杉山のとこは長いんだよな、もう十年だっけか?」


仄かに赤ら顔の先輩社員はジョッキを傾けながら尋ねる。


「長いよな、もうそこまで来たらほとんど情じゃねえ?」


「ええ、まあ。」


最早やけくそに笑う俺に、笹山はそれ以上の事は話してこなかった。


一時は不発に思えた今日の飲み会も、終えてみればそこそこに盛り上がり各々連絡先を得てお開きになった。


そして今、俺は家路に着きマンションの扉を開けている。


薄闇に間接照明が零れる室内はしんと冷え、テーブルにはラップされたおにぎりと筑前煮が並べられていた。


傍らに貼付けてある真四角の付箋には俺への労(ねぎら)いの言葉が添えてあった。


やけに達筆なボールペンの軌跡、穂波の字だ。


人は俺達の間に流れるものを情だという。


確かに付き合ったばかりの俺達は十代で、今の自分達を想像するなど到底無理だった。


キスもハグも自然になり、暮らしの一部になった。


だけど彼女のこういう真綿の様な優しさが、母親のような大らかさがいつも胸を締め付けるのだ。


愛しい愛しいと、喉の奥で燻るのだ。


付箋の字を眺めながらつんとする鼻を深呼吸で整えると、彼女が休む寝室の扉を静かに開けた。