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加速するロマンス。

2020.06.14 00:21

おかえり!と、いつになれば彼を抱き締められるのだろう。

大きくなったら教師になりたい、と遥か昔から思っていた。


自分では、どうしようもできないもどかしい思いを後押し出来る様な、そんな教師になりたいと夢に見て止まなかった。


「ヤンクミ!」


そう呼ぶ声が、今ではすっかり耳に馴染んでいる。

「お早う。何だ、ちゃんと遅刻しないで来れるじゃないか!」


当たり前だよ馬鹿!と汚い言葉は最上級の挨拶、今日も快活なその声に目を細める。


周りの大人はこの応酬を眉を潜めて見るけれど、私には彼らと向き合える事が誇らしくて仕方がない。


いつだって胸を張って言える、彼らは私の生徒だ。

ヤンクミ!


初めて私をそう呼んでくれたのは、私の最初の教え子達だった。


当時の私は新卒の新米で、やる気だけで毎日をこなしていたし、その時の彼らと来たら小狡いわ度胸はないわで本当にどうしようもなかった。


今思えば、力任せではなくもっと上手く違う形で伝えられたかもしれない。


それでも風の噂で彼らの活躍を(新しい作業現場で見かけたとか、相変わらずラーメンを出前してくれたとか)時折耳にすると、そんな私も悪くはなかったのだと胸の奥がつんとしたものだ。


幾度か教え子達を送り出し、同じ様に悲しくて、でも嬉しくてわんわん泣いた。


そんな彼らを誰1人として、思い出さない日はないのだ。


それなのに便りもなくその後息災でいるのかすら知る由もない、そんな非常識な奴がひとり。


それが小骨のように、ザラつきのように、淡い思い出の隅に燻っている。


6年も前の春、初めての教え子達が卒業を迎え皆それぞれが進学・就職を果たす中、河川敷で「アフリカで井戸を掘る」と告げた少年は、沢田慎といった。


どうしようもない教え子達のボス猿的存在だった彼は、当初から一目置かれた存在で、早稲田も慶応も総なめ出来るほどの学力を持ちながらそのいずれにも興味を示さなかったのだ。


最後に言葉を交わしたあの桜の季節から幾度巡っても、沢田慎という少年がどうしているのか私の元にはただの1度だって知らせはない。


何につけても喧嘩っ早い私の手綱を握る大人びた横顔に、上手く自身の感情を吐露出来ない幼さが妙にアンバランスな少年。


印象的なのは、星を浮かべた夜闇のような、あの深い瞳。


私の実家の家業の事や、世間には知られたくない事も、あの瞳はきっと随分早い時期から気付いていたに違いない。


そして、それを随分長いこと1人内に秘めていてくれた沢田には感謝以上の気持ちを抱いていると、当時の卒業アルバムを眺めては想う。


教師になって7年。


本当に月日は転がる様に過ぎ、日々上塗りの記憶で沢田がどんどん過去になって行く。


沢田、どうしているのだろう。


元気で居てくれたらそれだけでいい。


贅沢を言えば、1度位顔を見せて欲しい。

どうかもう1度、あの呆れ顔を見せて欲しい。


人っこ1人いない荒れ返った教室に斜陽が射し込む度に、そうして私の中で何かが募っていった。


ああ。

気付いてしまってからは遅いのだ、何事も。



***



幼なじみが一張羅のスーツで現れた時、思わず煙草の吸殻を投げつけた。


「おい。何すんだよ。」


そりゃあ当然だ。


いきなりそんなことされたらあいつだって切れるわな。


だけど、畏まった姿をいきなり見せ付けられた俺の身にもなって欲しい。


「聞いてんのかよ隼人。」


「聞いてるよ、聞いてるけど何なわけ?その格好。」


「スーツだろが、見てわかんねえのかよ。」


「ちげえだろ、何だよその名札。小田切竜って、何なの?いつまで幼稚園気分なわけ?」


あ、とあいつは自らの左胸に漸く気付き舌打ち混じりにそれを外した。


「おいおい、何帰りなんだよ。さてはあれか?今時の大学生は一周回ってそれが流行ってんの?オシャレなのか??」


一周回らずとも流行ってないし、ましてやこれだけ個人情報過敏症なご時世に全くそぐわない上、微塵もオシャレですらない。


何せ、ただの名札だ。


煙草を吹かしながら踏ん反り返っている22時のファミレス、最早ツッコミを入れる事さえ億劫だという顔をしている竜の頭の中が透けて見えるようだった。


俺は仕事帰り、竜は学校の帰りだとばかり思っていたらそうではないらしい。


「今、実習中なんだよ。」


「実習?」


「赤銅で。」


竜は汗をかいたグラスを引っ掴むと、少し乱暴にそれを煽った。 


「何、竜センコーになんの?」


「ならねえよ、何となくだよ。」


なるほど道理で、名札の謎は解けた。


そしてそれを外し忘れたり、今口にしているのがコーラだったり(いつもなら絶対生ビールを頼んでる)していることで、竜の困憊(こんぱい)具合が伺えた。


「赤銅にさ、ヤンクミいたんだよ。」


テーブルに肘を突き俯きながら竜が呟いた。


その名前が懐かしくて、俺はたっぷり30秒のフリーズ。


「まじで!あいつ沖縄から戻って来てんの?」


「だいぶ前に戻って来てるよ。まじ、何も変わってねえ。」


「ジャージでメガネ?」 


竜はちらりとこちらに視線を向けると、無言で肯定した。


「色気ねえな。」


浮かぶ姿が全く色褪せないそいつは高校の担任。


脳裏を掠めるそれは強烈なまでの鮮やかさを放って、卒業から4年近く過ぎた今でもその全てが昨日の様に過る。


「何だよ竜、久しぶりにヤンクミに振り回されて参ってんのか?」


うなだれ始めたそいつに茶化すつもりで投げ掛けると、予想外の言葉が返って来た。 


「あいつさ、男いるかもしんねえ。」


「何の話だよ?」


「久しぶりにさヤンクミの事見てて、時々妙な顔すんだよ。」


女みたいな、と竜は呟いた。


女みたいなって、いやいや女だからと突っ込みは竜の伏せた瞼を見ると出てはこなかった。


俺からしたら妙なのはお前だ、竜。


あいつに男がいるくだりでの関心なんて、せいぜいどこの組の伜(せがれ)かが気になるところなのだが、どうやら竜と俺の思惑が全く別の所にあるようだ。


「今、ほぼ1日中ヤンクミにくっついて授業とかしてんだけどさ。やっぱりあの頃は気付かなかった事とかが、見えてきちまんだよな。」


竜が何の話をしたいのか探り探りだが見えて来て、俺は3本目の煙草に火を点けた。


「あいつ、アフリカって遠いのかとか言ってみたり、海外青年協力隊のページとか見ててさ。」


「アフリカ?」


「ほら、熊井さんの同級生にアフリカに行った人が居るって隼人も聞いた事あるだろ。」


ヤンクミの初めての教え子であいつの実家の事に誰よりも早く気付いて受け止めて、喧嘩っ早いあいつを常に援護し、時に前を向かせていたという。


それだけ聞くと、教師と生徒という境を優に超えている。

なんだか、まるで。


「ああ、何か。」


なんて名前だったけ、と煙を吐く向こうにしかめっ面した竜がいる。


竜がヤンクミに懐くのもよく分かる。


高校時代の竜は、はっきり言ってめちゃダサ野郎(俺が言えた義理ではないが)。


格好つけの頑固者で、常に受け身だった竜。


そんなあいつの周りを取り囲む分厚くて硬くて歪な何かを、それは軽々飛び越えてぶっ壊したのは、他でもないヤンクミだった。


それ以降ヤンクミを慕うのは俺も竜も同じで、忘れ難い唯一の教師になった。


だけど、いつの間にか竜の思慕が形を変えていたなんて。


それは予想外だった。


「でも、元教え子だろ?そりゃあないだろ。」


俺は、氷の沈んだコーラを啜った。


「んなことわかんねえよ。」


確かにわかんねえ、よな。


「でもそいつアフリカだろ?どこかしんねえけど、今ここにいるのはお前だ。」


ヤンクミのピンチに飛んで行ける距離にいるのは竜、お前だ。


俺のそんなとびきりな名言を竜が聞いていたかは定かじゃない。


ただ、その後に「アフリカも知らねえのかよ、お前。」と笑った竜は口の端を持ち上げて「アフリカにいたんじゃあ、守れるもんも守れねえよな。」、とも呟いた。



***



湿度の高い外気が、頬を撫でる。


改めて、母国の地を踏んだのだと実感した。


初夏の温い風に吹かれて、初めて自分の生まれた街の匂いを懐かしいと思った。


「慎!おかえり!」


8日ほど前に帰国して、まず気付いたのは高校時代の親友の顔。


すっかり父親になった表情で、子どもを抱きながら俺を呼ぶ。


同時は毎日つるんで悪さばかりしていたあいつが、子どもの教育のためにとアンパンマンを見せている。


何とも不思議な気分だった。


「元気そうだな、クマ。」


「今まで何してたんだよ!全然連絡もくれないで!」


「おまえの意味不明な日記には、返信してただろが。」


「近況報告だろ!慎が日本にいない間、こっちのこと知りたいと思って。」


クマからのメールは、3ヶ月に1度の割合で送られてきた。


家業のラーメン屋の新メニューだとか、今や別々に歩む当時の同級生のこと、嫁さんに言われてへこんだこと。


俺はそれに、半年に1度のペースで返信していた。


「何だよ、ヤンクミが赤銅にいることだって俺がしっかり報告しただろう。」


何とも自慢気にそいつは笑った。


「あいつ、今赤銅か。」


「赤銅も2年目だぜ。」


クマの口から18の頃の担任の近況が伝えられる。

山口久美子は高3の時の担任だった。


型破りと言ってしまえばそれまでだが、彼女から教えられたものは大きい。


大人に歯向かうことばかり考えていた俺達と常に対等で、世間からはきだめのように扱われていたうちのクラスを最後の日まで信じ抜いてくれた。


お下げでジャージで眼鏡のちんちくりんなあいつに出会い、アフリカに行こうなんて思えた自分に今でも心底驚いている。


人は自分を変えてくれた誰かを決して忘れない。


俺の中であの担任の姿は、1日も褪せる事無く焼き付いている。


誰よりも何よりも広く大きなあいつの存在に近付きたくて、更に言うと追い越したくて、そしていつか肩を並べて歩きたくて。


俺は、あの時の俺の五感と知識の全てで日本を離れることを決めたのだ。


「慎、ヤンクミに会いにいこうぜ。」 


「お前も行くの?」


「え、せっかく慎も帰って来るし。」


「行くけど、今日は俺1人で行くわ。」


サシで話したいし、と俺が笑うとクマの奴は「今からタイマン張ります見たいな顔してる」と眉を顰めた。


クマとその子どもにはまた会う約束を交わし、当の担任には連絡も取らず、宛もなく見慣れた川沿いを歩いた。


見るもの聞くもの全てが新鮮で、毎日通い馴れ親しんだはずの街並みが、全く違うフィルターを通して見えている。


気付けば、どの道にもあの頃の気配が息を潜めている。


買い食いしながら下校する俺達の後を、付いてくるあいつを何度も煙に撒こうとした三叉路。


あいつの実家で晩飯をご馳走になる事も度々あった、あの日の帰り道。


気が付くと何をしたってかなわないそいつから、1秒たりとも目を逸らせなくなっていた。


いつの日か、募ったそれは生まれて初めての愛になった。


白金町の外れの土手を歩きながら、当時の俺達によく似た集団が目に留まった。


だらしなく歩くその後ろを、追い掛ける小柄な人影を見つけた。


よく見知ったお下げの女。


そしてこちらと目が合った瞬間の顔ときたら、相変わらず間抜けだった。


眼鏡の向こうの瞳を零れそうな程見開き、亡霊でも見たかのようなそいつが、ありったけの声で「沢田!」と呼んでくれたから。


俺も少しだけ大きな声で、彼女の名前を呼んだ。



***



22歳の頃の私はきっと、今日の日を想像すら出来なかった。


いつか恋をして、比翼連理の相手と生涯を終えたいと、これでも人並みの女性の願いはそこそこにあった。


ただ、その相手を年下でも自分の教え子から見出だすなんて、それこそ天変地異の何物でもないと思っていた。


それなのに29歳の私は今、この青年を目の前にして泣かないというなけなしのプライドすら無くしてしまっていた。


会いたい会いたいと、無意識の内に探していると人は現実すら疑ってしまうのだと、今目の前にいるそいつに思い知る。


「何してんだよ。」


「元気?」


情けない擦れた声は私、自信にも近い確信に満ちた声は沢田慎。


足を止めた畦道、川沿いで夢かもしれないと疑る私を見つめ返す眼差しが懐かしくて胸が焼き切れてしまいそうだ。


私の背中で、今の私を見た教え子達の視線が気にはなったが、もうそれどころではなかった。


「ヤンクミ、知り合い?」


この空気でも、堂々と割いて通る風間の声。


その声に、沢田の視線が1度私の向こうに動いた。


「相変わらず、やんちゃそうなの連れてんじゃん。」


沢田は、小さく口の端を上げると背中に佇む影に目を細めた。


茶化す訳でも見下す訳でもない、彼にしか出せないニュアンスのそれを見た瞬間、私の涙腺は最高潮を迎え、目尻から目頭を熱い波が襲った。


それは大きな渦になり押し寄せて来て、後はもう溢れて流れて止まらないそれを、私は拭いもせず堪える術も無く、顎を伝い地面に落ちたとしても気には留めなかった。


「沢田!」


「声でけえよ、聞こえてるよ。」


そうだよな、だって今2人の距離は目と鼻の先。


「沢田!」


「何?」


私の鼻先を沢田の声が掠めてしまう程の距離で、覗き込むその瞳を見た。


「会いたかったんだぞ!7年も!私はずっと、お前に会いたかったんだぞ!」


眼鏡を外してぐしゃぐしゃに顔を拭う、私は29歳。


背後には、このシチュエーションに息を飲む現教え子達。


なんて節操のない先公なんだ、私は。


「いくつなんだよヤンクミ、とんでもない顔してるぜ。」


「29だよ!世間で言うとこのアラサーだよ!」


何それ、と沢田が小首を傾げ、それ最近覚えた言葉やろ!と背後から倉木。


「お前が!連絡も何もくれないから!7年も経っちまったじゃないか!」


「待っててくれたんだ?」


「待ってねえよ!」


心なしか嬉しそうな沢田は、目も鼻も真っ赤な私を真っ直ぐ見つめ、やんわりとそして息も止まる程の力強さで掻き抱いた。


酸欠寸前の視界で日に焼けた首筋を、ぼやけた鼓膜は歓喜と非難の声をそれぞれキャッチした。


ああ、こんな公衆の面前で御天道様(おてんとさま)だって沈んじゃいないのに。


もうこの際、どうにでもなれ。


「沢田、これから先もうどこにも行かないでくれ。」


今の私の精一杯でそう呟くと、沢田ときたら。


白い歯を目一杯見せてこれでもかって位の破顔、それはもう目頭が痛くなるほどの衝撃に射抜かれ、ささやかな私の強がりなんて粉々に打ち砕かれてしまったのだ。




***



愛や恋なんてむず痒い。


それもあなたとなら不思議、悪くない。


あれは、9つの頃。


可愛がってくれた親戚のお姉さんがお嫁に行く姿を、お祖父ちゃんの後ろから盗み見た。


真っ白な顔に真っ赤な紅を引いた唇は、幼心に初めて女性を意識させた。


紋付き袴の新郎さんに手を引かれ、ゆっくりと進んでいく白無垢が、あの日の太陽に反射して私の頬までを白く照らした。


こんな私が痛烈に焦がれて止まない、それがあの時の“花嫁さん”だった。


ふ、と重々しい瞼を持ち上げると、真っ白な天井がぼんやりと浮かび上がった。


いつもより僅かに高い気がするのは寝起きだからなのか、それでもまだ半分も開かない瞼と格闘すること凡(おおよ)そ1分半。


漸(ようや)く手探りで捕まえた携帯を顔の上で開いてみると、時刻は8時43分。


朝なの夜なの?なんて、とてつもなく無駄な疑問が胸の内側を巡り、「あ!」と飛び起きた。


鼻先を乱れた髪の毛が掠めて落ちる。


はちじだ。

はちじだよんじゅうさんぷんだ。

遅刻だ!


ブランケットを力一杯払いのけてまだ冷たいフローリングに爪先を着けた瞬間、「日曜なのに?」と背中からブレーキをかけられる。


そのままたっぷり20秒、止まったのは思考回路だけではない。


「あれ、沢田。今日、日曜?」


「ん、カレンダー的には日曜。」


日本国民なら休日だよ。


半分捲れあがったブランケットの波に沈んでいる、低血圧気味なその声は擦れている。


「まあ、お前は国民以前に地球人かどうかが問われる所だけどな。」


そう寝返りを打つと、はだけたブランケットを胸元まで引き上げた。


「んだと。」


もっぺんゆってみろ!と、目一杯勢いをつけて彼の脇腹目がけて不時着、腕の下から非難の叫びとむせて肩を揺らす振動が伝わる。


「朝っぱらから騒がしいんだよ!」


いよいよついには眉を顰め睨まれるのだが、そんな瞬間にさえ陽に透ける深い瞳に、思わず吸い込まれそうになる。


つくづく、彼は美しい。


何年経った今日でも、つくづく。


「ごめんよ、沢田。」


「お前って、いつまでもそうなの。」


「落ち着きないって事だろ?幾つだよって、話。」


「もう“沢田さんの奥さん”して何年目だよって、話。」


ああ、と合点がいって頷けば舌打ち混じりの溜息。


だけど、これは決して機嫌を損ねた訳ではないのだ。


やや拗ねてはいるものの、彼なりのおねだりなのだと知ったのは結婚してから。


「沢田が沢田に沢田って呼ぶのは、ややこしいもんな。」


「それ、今のそれがややこしい。」


背中を向けていた彼と、今漸く目が合う。


「慎くん、慎ちゃん。」


「慎ちゃんとか、即無視だな。」


「慎、あなた、パパ。」


ううん、と悩ましげに顔を顰めながら沢田が天井に視線を泳がせる。


「パパは悪くない。」


視線はそのまま、声のトーンもそのままに長い睫毛を2度伏せながら彼は言う。


「でもなあ、パパはアフリカに行ったきりママを放ったらかしにするからなあ。」


「根に持つタイプか。」


「別に、寂しかったってだけの話。今朝見た夢がさ、丁度沢田が帰ってきた日だったんだ。」


「ああ、山口先生河川敷大号泣の乱な。」


「可愛くないやつだな。」


それに億万歩譲ったとして、あの日の出来事が起因となりこうして穏やかな今日があるのだから、せめて山口先生河川敷大号泣の【変】であるべきだ。


僅かに臨戦態勢なのを察してか、やんわりと左手を撫でられ薬指のプラチナをいじられる。


「こうなるためのアフリカだったんだよ、分かってんだろ久美子さん?」


何だよさん付けかよ、なんて不粋な言葉はノー。


それは間違いなくその通りで、返す言葉が見つからないので一先ず、ブランケットごと思いっきりその胸に飛び付いた。


目が合うたび唇が触れるたび、私と彼のロマンスは加速する。


例えば互いに袂(たもと)を別つその日まで、フル回転で。


それすらも心地の良いそんな背中を今もう1度、目一杯抱き締めた。