日本宣教33-黒田如水九州の関ヶ原
2020.06.14 11:06
関ヶ原で、東軍についた島原藩の有馬晴信は所領を安堵、大村藩を継いだ大村喜前も東軍だったが、加藤清正の影響で日蓮宗に改宗し、キリシタン弾圧を始めてしまう。また肥後半分の小西領は、加藤清正の領地となり、その地のキリシタン達は容赦なく迫害された。
小西の家臣内藤如安も、由緒ある河内キリシタン結城弥平治も同様で、有馬晴信の援助で、結城は有馬の家臣となり、如安は有馬から高山右近の推挙によって加賀に召し抱えられたのである。そして右近と如安は、もはや半分武将を捨てて、加賀での布教に努めた。
不思議なキリシタン大名黒田如水の関ヶ原の期間の行動は有名である。彼は家康の味方と称して九州征服し、天下を策図した。大友義統が西軍につき、預けられていた毛利の兵で、旧領豊後に攻め入ったときは如水はこれを撃退。そして捕虜にした義統を説教してまたキリスト教に復帰させたらしい。
関ヶ原の西軍が1日で敗れたらしいと知った如水は、家康の旗下の藤堂高虎に手紙を書き、家康のために九州を制圧したので、その地をくれと、図々しく言っている。家康は「何のためにやったやら」と言い、如水は、帰ってきた息子長政が、「自分の手をとって感謝された」と言ったとき「片方の手はどうしていた」と皮肉ったとのことだ。
下は「軍師官兵衛」親子の厳しい対話