ささやかな快挙。【武道 稽古日誌】
稽古をしていて
以前は、痛むくらいに消耗していた部位が
痛まなくなった。
身体の支え方が、だんだんとわかってきた。
以前に比べて “楽” になっていながら、
身体の静止時にも、移動させる時にも、
安定感が出てきた。
このごろの自主稽古では
ほとんど武道着は着ていない。
また、武具も持たない。
暑いから着ないのではない。笑
うそ、それもあるかもだけど…笑
あえて、身体・肌を出して
身体を見ている。
そして、注意して観察しているポイントがある。
ーーーと、そんなふうに
あんまり刀などを手にしての
“武術らしい” “居合らしい” ような稽古をしないので、
「大丈夫かいな…?」と、
自分でもやや心配であったのだが
実際、ちゃんと “武道らしい” 武道の稽古?笑
を再開した時も
自分が試みてきた稽古が活かされていることを、実感出来たので、
良かった。
武具を手にする以前の
『身体という基本』への稽古、
というのは
本当に大事だなぁ。
結局のところ、
刀などの武具を扱っていたって
直すのは小手先のことなんかじゃなく
身体本体の問題がほとんどなのだから
その段階で技が停滞している以上
刀を持つまでもない、わけで…
「おぬしには、刀など、まだ早いわ。」
ってことなのだ。笑
そこに手を付けられて良かった。
これは前にもブログに書いたが
(樫木先生のトレーニングの記事かな)
平常時で身体を適切に扱えていないならば
ましてや刀などの重たい武具を手にした時、
身体にかかる負担は計り知れないわけで
「身体をよく使えたなぁ〜」という、運動の心地よさとは違うような、
“酷使・消耗” による疲労感や痛みが生じるとしたら
立ち止まり、見つめ直すのは大切だ。
わたしは、コロナくんの影響があって
それまでの
仕事として成立させよう、演武の為に出来させよう、といった
「まずカタチとして早く固めなくちゃ」という焦りから解放され
『 自分の身体の感覚を感じながら、自分のペースで、研究する稽古』
が出来るようになったのは
ありがたかった。
おかげで
骨や筋肉の使われ方の感覚などが、前よりも分かるようになって
「なるほど、ここがこう使われてるのか。」
「ここに繋がってるのか。」
『だから、こうなんだ。』と
「技」と「理り」がより一致するように
理解が進んだ。
(動画でもお話ししています。
心と身体は反映している、ということなど。)
あぁ こうして、
前には分からなかったことが、ひとつ、わかるって
嬉しい。
「あれ?前はどうしたって痛かったのに、今は痛くない!」
とか。
「そういえば、ずいぶん楽に動けるようになったな〜」
とか。
ほんのささいな
「あー、こういうことか!」
という気付きとか。
過去の自分よりも、
ほんのささやかでも、良き変化があったなら
快挙。
だって、
ほんの一瞬前の過去の自分が、分からなかったことが
今、分かるって
すごい!!
たとえ行きつ戻りつでも
全体で見れば、成長してるものだ。
ずっと、発展途上
ずっと、伸びしろ
ずっと、自分を発見する
そういう『道』なのね。
『武道』とか、
『人生』って〜やつは!(๑˃̵ᴗ˂̵)