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禍・火・か/身・水・み(稲光/水)

2020.06.16 04:25

https://www.nippon.com/ja/in-depth/a02902/  【日本人にとって神(カミ)とは】

God、神、カミ

Godを、日本語では「神」と訳し、カミと発音する。これが間違いのもとかもしれない。God、神、カミ、を別々のものと考えよう。

Godは、一神教の神のこと。世界で一つしかないものだから、英語の習慣で、大文字で書く。小文字でgodと書くと、あっちこっちにいる多神教の神という意味になってしまう。

漢字で神と書くと、中国語の「神」の意味になる。精神、神経という場合は、人間の精神現象という意味。神のような存在も表すが、決してランクの高い存在ではない。いちばんランクの高いものは、天とか上帝とか呼ぶことになっている。

日本古来のカミは、ひとことで言えば、自然現象を人格化したもの。『古事記』『日本書紀』に登場するカミや、神社に祀られるカミはむろんのこと、太陽や月や、風や雨や海や、大きな木や岩や、動植物も人間も、並み外れたものはみな、カミである。江戸時代の国学者・本居宣長(もとおり・のりなが)はこのように、日本のカミを定義する。彼によると、人間に「あはれ」と感動を与えるものはみな、カミなのだ。

このように考える日本人にとって、この国土は、豊かな自然に恵まれ、至るところにカミが臨在している、カミの国である。カミの国を外国語に訳して、狂信的な国粋主義の表現のように誤解されることがあるが、もともとの意味はそうしたものではない。

さまざまな要素が渾然一体となった神道

カミを祀る日本古来の信仰を、神道という。

古代の神道がどのようなものだったか、資料がなく、詳しいことは不明である。そもそも神道と呼べるほどの、まとまった実態があったかもわからない。おそらくそれは、さまざまな要素がまざったものだったろう。たとえば、

狩猟採取段階の縄文人が抱いていた自然崇拝の習俗が、底流となった。

米作を営むようになった弥生人は、土偶のような土地の生産力の象徴を崇め、朝鮮半島のシャマニズムも受容した。

中国から伝わった青銅製の武器や鏡は、首長たちの祭具や呪具となった。

中国由来の易や天文暦学や神仙思想は、統治者の祭礼や葬礼に反映された。

各地の共同体や有力集団はそれぞれの氏神を祀り、神社を建立した。

こうした要素が渾然一体となったものが、神道と意識されるようになったのは、仏教が伝えられたのち、人びとが仏教との相違と対抗を意識してからのことである。

仏(ブッダ)との対照から生まれたカミの観念

仏教は、ゴータマ・ブッダ(釈迦=紀元前6世紀または5世紀ごろに生誕)がインドで創始した宗教で、膨大な文字テキストと精緻な理論をそなえている。日本に伝わった仏教は、中国を経由し中国化しているので、テキスト(書物)は漢字で書かれた漢訳仏典であり、教団組織や運営は中国流である。日本人は、こうして学んだ仏(ブッダ)と対照して、カミの観念をもつことができた。

仏(ブッダ)とカミを比較すると、以下のように言える。

ブッダは覚り(さとり)を開いた人間であり、生きている。ブッダが死んだときは輪廻を解脱しているので存在しなくなる。カミは人間とは異なるが、人間の祖先で、生きていることも死んでいることもある。

ブッダは男性であり、独身を守る。カミは男女があり結婚することがある。

ブッダは仏像をつくり、寺に安置するが、寺にはいない。カミは神像をつくらない。神社には依代(よりしろ=カミがやってくる場所となる物)を安置するが、カミは神社にはいない。

仏教や律令制や天文暦法・医薬・建築などの中国由来の高級文化は、統治階級が権力と威信を確実にするためのツールであった。日本に移植された仏教は、神道とどのように棲み分けることとなったか。

ヤマト政権によるカミガミの編成と貴族の仏教帰依

ヤマトの政権は各地に並立する有力集団に対して、アマテラスを祖とする集団(アマ氏)が祭祀権を独占する同盟を樹立したことで成立した。並立する有力集団はそれぞれ、祖と仰ぐ固有のカミをもっていた(たとえば、出雲のオオクニヌシ)。同盟は、これらカミガミが調和的に共存する神話を、編成することを通じてなされた。

8世紀に『日本書紀』『古事記』がまとめられた。この書物は、カミガミのなかでアマテラスが主神であること、その子孫が天皇であって、祭祀権と統治権を独占的に継承すること、を述べてある。結果として、天皇の系統以外の有力集団は、祭祀権や統治権から排除されることとなった。それでもイスラエルの民がヤハウェを唯一のGodとし、他を排斥した一神教を樹立したのと比べると、ヤマトの政権は、カミガミを排除せず、アマテラスに従属するそれなりの地位を与えた点に特徴がある。カミガミの共存は、有力集団の共存を意味する。

仏の特徴は、カミガミと無関係で、アマテラスに従属しないことである。そこで、天皇が祭祀権を独占し、神道が再編されて統治権の根拠とされた状況で、そこから排除された有力集団は、仏教を自由に採用することができた。各地の有力集団はヤマト地方に集住して、政府の官職や土地(荘園)を世襲し、貴族となった。貴族はおおむね仏教に帰依し、寺院を建て、来世で極楽に往生することを願ったのである。死後、往生して仏になるという考えは、神道と異なる新しい発想であった。いっぽう、貴族や寺社の荘園で働く農民たちには、仏教よりも、ローカルなカミガミへの伝統的な信仰のほうが身近であった。

神道と仏教、死生観の違い

死後の世界を日本人は、どのように考えていたのか。

死後、山に帰るという考え方もあった。地の底(黄泉の国)に行くとする考え方もあった。海の彼方(常世)に向かうという考え方もあった。「死の穢れ(けがれ)」の観念があり、死者は集落から離れたどこか遠くに行くと、漠然と考えられていた。仏教の輪廻が信じられたことはない。また、死者は鬼となって地獄に住するという中国の考え方が、道教や仏教を経由して日本に入ると、それも次第に広まっていった。

天皇は、アマテラスを祀り、カミガミを祀り、天皇の祖先を祀る。この祭儀は、中国の統治者の儀礼を模したものだが、死んだ祖先をカミとして祀るのは、日本に独特である。死者はどこか遠くで「穢れ」を浄められたのち、カミのようなものになりうると考えられていた。

仏教は、人間を、輪廻しつつ成仏をめざす修行の主体と考える。死んだ人間はすぐ別の生命に再生して、この世界をまた生きる。死者の世界も、霊魂も、存在しないと考える。すなわち仏教は、人間の死について、神道とまったく異なる考え方をもっている。

それにもかかわらず、仏教が広まることは、どうして可能になったのか。

鎌倉~江戸時代、カミと仏を区別せず

平安時代に本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)なるものが唱えられ、日本のカミガミはインドのさまざまな仏や菩薩が姿を変えて到来したものだと主張されるようになった。すなわち、カミ=仏、である。鎌倉時代にはこれが、日本人の一般的な通念となった。

カミ=仏であれば、カミを拝んでも仏を拝んでも、同じことである。それなら、神社と寺を区別する必要もなく、仏教と神道を区別する理由もない。以来、江戸時代の終わりまで、日本人はカミと仏を厳密には区別してこなかった。

人が死んでカミになるなら、人が死んで仏になってもよい。仏教のうち浄土宗は、輪廻を脱して、極楽に往生することを願う。阿弥陀仏は修行時代、この世界の衆生を彼の仏国土(極楽浄土)に往生させると誓ったのだ。極楽に往生できれば、成仏の一歩手前(一生補処)のランクが約束されるから、往生できるかどうかがポイント。死ぬ→往生する→成仏する、という教義から、人間は死ねば仏になる、という観念が広まった。

こうして日本人の平均的な死生観がかたちづくられ、今日に至っている。それは、

人間は死ぬと、霊魂となり、しばらく周囲をさまよっている。

そのあと、三途の川を渡って、あの世に行き、仏(ないしはカミ)となる。

現世に執着や怨念が強い場合は、成仏できずに、幽霊となる。

行ないのよくなかった者は、罰として地獄に堕ち、閻魔大王や鬼たちに苛められる。

盆には死者たちが、家に戻ってくる。

祖先は戒名をつけ仏壇の位牌に祀り、その前で線香をあげる。

といったものだが、よく考えると神道でも仏教でもなく、しかも内容が矛盾している。

天皇を尊崇するナショナリズムへ

江戸時代、幕府はキリスト教を禁止し、日本人全員に仏教徒であることを強制した。具体的には、家ごとに宗旨を決めさせ、近くの寺に登録させたのである(檀家制度)。そして僧侶は実際上、葬式以外の活動ができなくなった。いっぽう幕府は、武士たちに朱子学を奨励した。

朱子学は、町人や農民の上層部にも広まった。仏教を強制し、朱子学を奨励した幕府は、矛盾した政策をとっていたのだが、そのことに気づかなかった。

というのも、朱子学はアンチ仏教である。輪廻や霊魂の存在を否定する。また、学問さえすれば誰でも統治階級になれるという考え方だから、江戸時代の士農工商の身分制度を否定する。

また、正統な政府(統治者)に忠を尽くすことに価値を置くから、将軍の代わりに天皇を真実の統治者と仰ぐ、尊皇思想を生み出すことになった。すなわち朱子学は、潜在的に、江戸時代の統治システムを破壊する可能性を秘めていた。このロジックは、山本七平『現人神の創作者たち』に詳しい。

朱子学は、「孔孟の道」(孔孟は孔子と孟子)にかえれという原理主義的な伊藤仁斎(じんさい)の仁斎学、荻生徂徠(おぎゅう・そらい)の徂来学をうみ、そこから、日本古来のテキストを原理主義的に読解する国学を派生させた。国学の中心人物である本居宣長は『古事記伝』を著し、『古事記』の描く無文字社会の日本を再構成して、その当時すでに政府が存在し、人びとは天皇に服従していたと主張した。この天皇に対する服従は、朱子学の教えによって培われたものではない。人びとの自然な心情によるものである。こうして、天皇を尊崇するナショナリズムに参入する可能性が、すべての日本人に開かれることになった。

国家神道への道を開いた平田神道

幕末から明治維新にかけて、日本人のカミに対する考え方を大きく変えたのは、平田篤胤(あつたね)の唱える平田神道である。

本居宣長の弟子を自称する平田篤胤は、神道を研究して、つぎのように唱えた。人間は死ぬと、仏になるわけでも黄泉に行くわけでもない。霊となる。とりわけ国事に殉じた人びとの霊は、穢れのない、英霊(すぐれた霊)となって、後続する世代の人びとを護っている。この革新的なアイデア(個々人には霊があって、死んだあとでも永遠にその個性を失わない)は、平田篤胤が禁書だった漢訳聖書を密かに読んで、キリスト教から学んだともいわれる。

誰もが霊になるなら、日本人全員が檀家制度によって仏教と結びつけられ、仏式の葬儀を行なうとしても、それと無関係に神道式の慰霊の儀式を行なうことができる。戦死者を祀ることができる。明治政府を樹立した官軍は、平田神道を採用し、戦死者の英霊を招魂して、儀式を行なった。明治2年には東京の九段に招魂社が設けられ、のちに靖国神社となる。陸海軍が所管する、明治維新の志士や戦没者など国事殉難者の英霊を祀る施設だ。国のために命を犠牲にした一般の人びとが、カミとなって祀られる神社である。欧米のメディアは靖国神社を「戦争神社 war shrine」と報道するが、正しくない。実際には、革命記念碑や無名戦士の墓に類似した施設である。

平田神道と靖国神社は、国家のために献身する近代的な国民を創出する効果があった。そのためには、神道と仏教が分離する必要があった。こうして幕末から維新にかけて起こったのが、廃仏毀釈、神仏分離の運動である。政府の指導で、神社と寺ははっきり分けられ、あいまいであることは許されなかった。明治維新とともに、政府が主宰する国家神道が生まれた。文部省は、「神道は日本人の日常生活に溶け込んでいるから、宗教でない」という見解をとり、国家神道を日本人全員に強制した。

死んだ人間がカミになる、という考えから、新しい神社が明治以降にいくつもつくられた。明治天皇を祀る明治神宮。陸軍の乃木希典(まれすけ)を祀る乃木神社。海軍の東郷平八郎を祀る東郷神社。各地の地元出身の戦没者を祀る護国神社。天皇の写真を「ご真影」として学校に配り、拝礼したり、皇居の方向に向かって遥拝したりするやり方も、創造された。天皇を「現人神」とする、皇民教育である。

戦後、占領軍によって国家神道は禁止

第二次大戦が終了すると、占領軍の指令で、国家神道は禁止された。靖国神社は民間の宗教法人として存続した。英霊や、人間が死ぬとカミになるという考えも、戦後の日本人のあいだにそのまま残っている。

おそらく日本人自身が、自分たちがカミについてどのように考えているのか、意識できず、第三者に対して説明もできないに違いない。自分たちが何を考え、何を信じているか自覚する。日本人のいまだに果たされない課題である。


Faceboo・宮本 のり子さん投稿記事

足が地にしっかりついている政策というのは山本太郎のことでしょう。ぜひ東京の有権者は彼の熱意を知って感じていただきたい。彼は言います・・・・

多くの人が「この仕事を選んだ自分のせい」

「非正規の自分のせい」

「貯金がない自分のせい」と言うけれど、

それは違う、全然違うと声を大にして言いたい。

すでにみんな頑張りすぎている。

その中で、これ以上、何を頑張れっていうんだ?

あなたはすでに頑張りすぎている。

本当に頑張るべきは政治だ!

https://ameblo.jp/yamamototaro1124/entry-12604386819.html… 【なぜ、東京なのか?】 NEW!2020-06-15 14:39:08  より

常々、「総理を目指す」と言ってきた私が、なぜ東京都知事選に立候補するのか。

一見、矛盾していると捉える人もいるだろう。

しかし、私自身の中では何も矛盾はない。

このチャンスで選ばれるならば、1400万人都民の生活を底上げすることができる。

新型コロナウイルス感染拡大による「補償なき自粛」の中で、多くの人々が、収入が減ったり、職や店を失ったり、住まいを失ったりしている。

今はまだギリギリなんとかなっていても、この夏で貯金が尽きるという人も多くいる。

このコロナショックの間、駅や路上で行き場を失った人々と数々お会いした。

新宿の路上で行き場を失っていた30代、所持金1万円の方は、支援に繋がれる、アパートに入れると話をしたら、「自分みたいな者がいいんですか?」と恐縮した。

ある日、東京駅の外からずっと改札を見つめ続ける方に声をかけた。

「支援をやっているものですけど、今日は泊まる場所はありますか?」

そう聞くと、「寝床は東京駅だ」と答えたのは83歳の方。

コロナで仕事を失い、サウナなどを転々とした上で、今日からここにいるという。

「また仕事に戻れば何とかなる」というが、若者でさえ仕事を見つけるのが厳しい状態だ。「支援団体と繋がれば、一時ホテルで寝泊りができ、アパートにも繋がれる」と説明したが、「所持金はまだ3万円ほどあるから大丈夫だ」と断られた。

翌日、どうしても心配になり、もう一度その場所にいくと、その方はいなかった。

別の日には、72歳の方。コロナで警備の仕事を切られ、寮を追い出されて路上に出たという。あと2週間後に年金が入るからそれまで凌げれば何とかなるという。

でも所持金はゼロだ。

家もなく、所持金ゼロで2週間、命を繋げるだろうか?

支援がなければ、究極は物を盗むか餓死しかない。

その方は支援団体につなげて、生活保護を利用することになり、すでにアパートも決まったと聞いた。

他にも、所持金数百円で、生活保護を断られた若者、刑務所から出所したまま路上に出た私と同年代の方、行き場を失って途方に暮れている人々と毎日のように接してきた。

東京各地の商店街も廻って声を聞いた。

客のいない開店休業状態の居酒屋で、「お困りの声を政府にあげるので話を聞かせてください」、というと同年代の店主は「営業時間中だぞ」と客のいない店で声を荒げた。

「申し訳ありません、実態を政府に伝えないと、改善されませんので」と説明させていただくと、肩を落として「5割まで減らないとお金が出ないなんて無理だ。

5割落ち込んだら、店が潰れる。うちはその寸前だ。2割でもシンドイのに」とうつろな目で話してくれた。コロナによって、今日を生きるだけで精一杯。

来週、来月の自分の姿も想像できない人々が大勢生み出された。

3月末頃から、支援団体には連日のように「もう所持金が150円しかない」「何日も食べていない」というSOSが入っていると聞いている。

悔しいのは、こうなることは十分に予想されていたことだ。

貯蓄ゼロ世帯は単身世帯で38%、非正規雇用率は4割弱。病気や怪我で、わずか1週間でも仕事を休めばたちまち家賃を滞納して、ホームレス化のリスクに晒される層はもともと膨大に存在したのだ。

政治が貧困や不安定雇用を放置してきたツケが、結局は今、社会的弱者の生活を根こそぎ破壊している。

東京という都市は、コロナ不況がもっとも弱者に凝縮した形で現れている都市ではないか。

例えば今、困窮している中にはサービス業についていた非正規単身女性が多いという。

また、不安定雇用を繰り返していたロスジェネの困窮も目立つ。

そんな層の中には、非正規だからと入居審査に落ちたり初期費用が用意できなかったりで

賃貸物件に入れず、シェアハウス住まいの人も多い。が、一般の賃貸物件と違い、

シェアハウスはわずかな滞納で追い出されてしまうというリスクもはらんでいる。

現在、そのような人々がホームレス化を始めているが、このことは、家賃が高い東京で、

十分な公営住宅の整備を怠ってきた都政のツケを、彼ら彼女らが支払わされているようなものではないだろうか。

しかし、そんな状態の人と話すと、みなが口にするのは「自分が悪い」「私のせいだ」。

自己責任社会の中で、自分は誰かを頼っていいなど考えたこともなく、

たった1人で苦しみ続けている。

中には、所持金がほぼ尽きているのに「生活保護だけは受けたくない」と頑なに断り、

初めての路上生活に疲弊しきっている人もいる。このような人は、与党議員が繰り返してきた、生活保護バッシングのすり込みによる犠牲者とも言えるのではないか。

これまでの苦しみに加えて、「休業補償なき自粛」を耐えてきた人々。

休業手当がもらえず困っている人。失業した人。住宅ローンの返済に悩む人。住まいを失った人。多くの声を聞いてきて思うのは、みんな必死で頑張っているということだ。

多くの人が「この仕事を選んだ自分のせい」「非正規の自分のせい」「貯金がない自分のせい」と言うけれど、それは違う、全然違うと声を大にして言いたい。

すでにみんな頑張りすぎている。その中で、これ以上、何を頑張れっていうんだ?

あなたはすでに頑張りすぎている。本当に頑張るべきは政治だ!

働き方がぶっ壊され、安い賃金で長時間働かされて、高い家賃と安くない社会保険料や税金などで搾り取られ、それらを簡単に中抜き、横流しされ続けるような間違った施策の連続、

そのしわ寄せで、コロナの前からみんな経済的に緊急事態だった。

その中で、みんな、頑張りすぎるほど頑張りつづけていた。

そしてコロナ災害。

ここにおいても事実上、無策な政治によって多くの人々が傷つき、そしてこれから更に傷つくことになり、第二波、第三波が来た際には繰り返されるだろう「補償なき自粛」によって、取り返しがつかない状態、人生が詰むことになってしまう。

国が間抜けでも、地元のリーダーが心ある人間であれば、多くの人を救うことができる。

この事態では、無駄を削って、あっちの予算をこっちに変えて、というチマチマしたものじゃ、到底追いつかない。

大胆に資金を調達し、人々に流し込む、底上げする。

東京都ならそれができる。

地方債によって調達を行い、大胆に財政出動をやれる。

私がやる!

だって、コロナ不況による人々の生活の崩壊、コロナ以前から始まっていた、消費増税などによる人々の経済的緊急事態に対して、私が総理大臣になるまで、もしくは、私が永田町で大きな力を得るまでは、具体的に手を差し伸べられないなどありえない。

一方で、目の前で苦しむ人々に対して、1400万人の都民に対して、東京都知事が本気を出せば、誰も失業させない、倒産させない、誰も路頭に迷わせないことを実現できるはずだ。

東京の人口は日本の約1割。

東京のGDPは約107兆円、これは日本のGDPの約2割。

東京が沈めば、日本が沈む速度は当然加速する。

そこにブレーキをかけるチャンスが都知事選にある。

だからそれに賭けた、立候補を決めた。

国が、コロナウィルスを「災害に指定」していれば、あるタクシー会社の6百人の社員は首にならず、雇用保険の特例で失業していなくても失業手当を受けられた。

給料が減ったり、失業によって住まいを失う、失いそうな人々でも、災害指定されていれば、みなし仮設住宅として、家を確保できたり、住み続けることも可能だったはずだ。

小池都知事が、国に対して災害指定を強く求めたなど、報道でも聞いたことがない。

国には、通貨発行権がある。

地方自治体が苦しいのは、この緊急時においても、国がドケチだからに他ならない。

地方自治のリーダーは、国にもっと金を出せ、住民を守らせろ、と本気の戦いを、国としなければならないはずだ。

なぜ、小池知事は、この緊急時においてもあまりに少なすぎる地方への交付金に対して、

首都東京が先頭に立って、全国のトップと共闘し、国に迫る動きを起こさなかったのか。

連日、「密です」と生放送などでも報道されまくっていた状態を、自分の選挙アピールに終わらせるのではなく、都民や、この国に生きる人々のために、全国の財政不足に悩む首長を代表して、なぜ国に「もっと金を出せ」と迫り、全国から声が上がる状況を作らなかったのか。

私がやる!

自前での資金の調達、人々の生活の底上げに力を尽くすことはもちろん、国に対して、東京を含めた全国の自治体にもっと金を出させるための運動を、国に財政出動を求める全国運動を大きくしていきたい。

なぜ山本太郎が東京都知事選立候補なのか。

私の政治におけるキャリア、その始まりから現在まで、判断の理由は一貫している。

苦しむ人々を何とかしたい、それだけだ。

都知事選挙にでることも、自分のキャリアの中で総理大臣を目指すことも、私自身の中では何も矛盾はない。

一刻も早く、多くの人々に手を差し伸べなければならない時に、それを実行できる大きな力が手に入るチャンスが、目の前の都知事選だからだ。

今、苦しんでいる人、先は絶望しかないないと追い込まれている人。

あなたが人生を諦める必要のない東京を、日本を、私と一緒に作って欲しい。

ここから東京を、日本を面白くしていこう。

あなたがいなきゃ始まらない。

山本太郎