偽物
答えのないことについて、答えが出るはずもないことについて、話したあと。
世界を俯瞰的に見ると、自分がいる世界が偽物のように思えてきて、それが自分を苦しめる時がある。でもその苦しみも、偽物のような気がするんだ。
僕は僕の世界で生まれて、僕の世界で終わっていく。その事実は変わらないだけど、その世界を少しでも広げようとするのは、何故なのか。僕なんて、運が良かった人間なんだから、そのままその世界にいろよと、そう思うこともある。けれども、僕とは違う境遇に置かれている人を、肉眼に入れよとするのは、何故なのか。それでいて、何か手を差し伸べることも、できない自分を直視して、苦しむこともある。でもそれだって、偽物の苦しみなんじゃないだろうか。
世界では、人を種で分けて、種と種が、またその種を守る種が、争いを続けている。神様がいるのであれば、どうして人間の、見た目を変えてしまったんだろう。全員白人だったら、全員黒人だったら、全員黄色だったら、こんなことは起きなかったはずなのに。奴隷制度がなければ、資本主義なんて成り立たないことは、みんなわかっている。でも。どうしたらいいかは、わからない。答えが、ない。そう考えている僕だって、誰かからしてみたら、社会の奴隷かもしれない。満員電車に乗らなければお金が稼げない人が、どうして奴隷じゃないと言えるだろうか。わからない。
大人になったんだなと、思うことがある。それは僕の内面が変わったのではなく、数字が大きくなって、その数字が、社会の中で大人と子供を分ける指標として使われているからだ。大人には、責任がある。社会で生きているからだ。一人で生きていると思っている人は、必ず周りに人がいる。もしくは、いたはずだ。自分が子供の頃、見上げた先の景色にいた大人たちは、どうだっただろうか。子供とは未来をになっていく生き物で、その生き物に対して、大人は責任がある。そんなの、当たり前じゃないか、と思う。大人になるとは、子供にも戻ることができないということだ。何が言いたいのかは、わからない。
90日以上家にいて、自分のスタンダードがわからなくなっている。鬱になるのも、増えている。でもそれほど、辛くはない。これもまた、偽物の苦しみのような気がしている。
明日は、晴れるだろうか。今晴れているかすら、家の中からはわからないけれど。