英国処女王18-エリザベス救貧法
2020.06.17 02:41
1601年エリザベス救貧法が発布された。これは国家が行う近代的福祉の始まりとされる。救貧システムの始まりがヘンリー8世というのも理由がある、それまでは救貧は教会、修道院が行うことで、神に認められる善行であり、社会的にいえば富者から貧者への富の再配分である。
ところが宗教改革は、貧者を悪とした。そしてこのシステムを破壊した。すると「囲い込み」などの富の集中が加速して、貧者となった者は救われず、都市流民となったり、盗み暴動を起こした。ヘンリー8世の時代には7万2千人が死刑となったがそれはまた社会不安を起こした。
それを解決するために国家が登場する。カトリックの影響を受け、国母として自覚を強めていたエリザベスが、国家的救貧法を制定するのも道理なのである。教会が担ってきた慈善を国家のものとすることこそ宗教改革といっていい。
富者が担ってきた救貧資金は、救貧税という神とは関係ない無味乾燥な税金となった。また救貧監察官がそれを監督した。これは、目的が貧民の国家管理にあったということを意味する。懲治院という収容施設は刑務所と変わりなく、脱走が後を絶たなかった。この不満は結局ピューリタン革命という形で噴出することになる。
下はエリザベス救貧法と新救貧法が批判されたヴィクトリア両女王