人生のセンパイインタビューNo.3
渡部 綾一(わたなべ りょういち) さん
京都大学大学院修士2年
阿賀黎明中学高等学校(現在は阿賀黎明高等学校)出身で現在は京都大学大学院で子どもの心と行動と脳について研究をされている渡部 綾一さんの人生と探究についてお聞きしました。
東大進学を目指し勉学に励んだが、滑り止めも含めて不合格。
でも不合格になったからこそ得たこととその先にあるチャレンジはこれからの受験を考えている方必見です。
Q.どんな中学生でしたか?
生徒会長をやりながらバスケ部のキャプテンも行い、成績優秀者でもありました。
いわゆる文武両道と言われていました。
一見すごいって言われがちですけど、自分自身全くそう思っていませんでした。
生徒会長やキャプテンなど求められたからやっていただけで、良い生徒でないといけないというプレッシャーもあり疲れていました。また、もともと社交的でない性格でやりたくてやっているわけではないので全然自分に自信も持てませんでした。
むしろ、自分の自信のなさと周りの評価との違いがきつかったです。
3年間このきつさが変わることはありませんでした。
今やっている役割は自分で決めたことではないし、周りからは凄いと思われていたけど本心では自信が無いし、自分ではそう思っていなかったです。
当時中高一貫だった阿賀黎明ですが外部進学するということは考えていなかったのでしょうか??
確かに外部進学という選択肢はありました。実際、当時成績の上位争いをしている生徒が自分を含め3人いましたが1人は外部進学をしました。
ただ自分は外へ出ることは考えていませんでした。
たぶん、いま同じ質問をされても同じ答えになると思います。
部活を続けていたのが大きかったです。中学のときから高校の部活に参加していたのでその先生やチームとバスケットボールをしたいとは思っていました。
Q.高校生活はどうでしたか??
この頃から生徒会長はやらないことにする、など役割を背負うことは減らしていきました。しかし、だからといって楽になるわけではありませんでした。この頃東大を目指していたのですが、社会的なステータスで決めていました。
自分がすごいといわれる手段を生徒会長であることから東大に入るに変えたにすぎなかったのです。
本当は理想の自分と現実の自分のギャップに悩んでいました。
本当にやりたいことをやっていない自分。
すごい人になりたいがそうなれる自信はない自分。
やりたいことがあると言う友達に対して劣等感を抱えていました。
Q.将来のことってどう考えていましたか??
将来は漠然としか考えていませんでした。
大きく分けて2つで①医者になる②東大に入る。この2つでした。
理由は、バスケットボールをずっとやっていましたが、運動では自分は生きていけない。
でも、頭を使う事なら日本で一番のところへ行けるかもしれない。社会的なステータスもあるし良い。という理由でした。
東大に入ることを目指して、2年の冬ぐらいからから周りの友達とも距離を置くようになりました。お昼ご飯を早めに済ませ、図書館で一人勉強していました。
周りの友達はいい意味でも悪い意味でもゆるく、自分とは違うと思っていました。ただ当時私は人間関係に恵まれていて、周りはそんな自分を仲間外れにするでもなく嫌うでもありませんでした。また、先生も応援してくれていたと思います。当時、受験に対して不安しかなかったので安心できるような声掛けをしてくれていました。
ただ、結果は不合格でした。別の大学を受けたのですが全部不合格で、浪人するしかありませんでした。
浪人という結果を渡部さんはどう受け取りましたか??
自分が良い意味で変わったのは大学に全部落ちたことがきっかけでした。
中高時代は自分のやりたいことよりも周りから認められることをする自己矛盾がありました。でも結果は不合格。
なら本当にやりたいことをやろうと振り切れたタイミングはこの時でした。
本当は小学校の時から哲学や心理学について興味があって「生きるって何だろう」って考えていました。中学でも高校でも本を買って読みあさっていましたが、中高時代は周りに理系のほうがいいよって言われていたので理系を選択していましたが、この時になって自分の本当にやりたいことが理系ではないことに気づきました。
Q.自分のやりたいことに気づいた浪人時代はいかがでしたか?
凄く前向きだったと思います。
予備校(※大学受験のために通う塾)の講師の先生に出逢ったことが大きいです。
その先生は英語担当でしたが、国語のセンター試験の問題をしたり、哲学・心理学の話をしたりしてくれました。その知識の豊富さに憧れていました。
そこからさらに哲学・心理学に興味が出ました。
なので、横浜市立大学国際総合科学部に行きたいと思うようになりました。
ここは理系科目でも受験でき、かつ2年生から専門を決められるので、理系科目で受験をして心理・哲学を学ぼうと思っていました。
Q.受験はどのように対策していましたか??
授業でやったことをひたすら繰り返していました。
同じテキストを何度も何度も使いまわしていました。
その結果、志望通り横浜市立大学国際総合科学部へ進学することができました。
Q.大学生活はいかがでしたか??
自分が何をしたいかを第一に考えた学生生活でした。
周りからは単位を取りやすい科目もとったほうがいいよとアドバイスを貰いましたが
あくまで自分の興味がある科目のみ申請しました。
2年生になって自分の志望通り文転(文系へ専攻を変える)して受理されました。
また、自分の中で大きく変わったのはフランスへ1年間留学に行ったことです。
大学生からは高校生の時よりも自分の好きなことができていましたが、どうしても義務感で勉強をしている感覚もありました。
だから今回の留学では「生きることを楽しむには??」をテーマにフランスへ行きました。
このフランス留学では大きく分けて2つのことに取り組みました。
1つ目は勉強したい科目を全部とりました。
2つ目は高3で遮断した人とコミュニケーションをとることにもう一度チャレンジしました。
Q.そのチャレンジについて詳しく教えてください。
1つ目については,
単位を落とすのを覚悟で興味のある授業は受けられるだけすべての科目を取りました。
ただ、9割落としてしまったのですけどね(笑)
中途半端になるぐらいなら大失敗してみようと思っていました。
ダメなものはダメ。
できないものはできないと示すためにもとりあえずできるだけ挑戦しました。
2つ目については,
毎週パーティーが行われていましたが、誘われたら必ず参加するよう心掛けていました。誘ってもらったとき実際、「馴れ馴れしくてうるさいな」と思いましたがコミュニケーションに慣れるためにも参加しました。
Q.この2つに取り組んでみて「人生楽しむには?」の答えは出ましたか??
結果としては答えは出ませんでした。
ただ、いろいろな人たちと出会うことでこの人楽しそうだなって思う人にたくさん出会えました。そして自分はシンプルに人生を楽しむことはできないが、ネガティブな生きづらさを正面から向き合っていける。いい意味での開き直りができました。
また、自分は正面からとことん考え抜くことができるのだと気づいた。
なので、「答えを出す」というよりも「答えをとことん考えていく」生き方もありだと感じました。
さらに、自分の人間関係の価値観が変わった。日本に帰ってからも、面白そうだなという人に自分からコミュニケーションをとれるようになりました。よくわからないフランス人と約束するよりもよくわかる日本人の方が楽だったからだと思います(笑)
フランス人はいい意味でフランクです。気を遣うときは気を遣う。遣わない時は遣わない。このバランス感覚を覚えることができました。
Q.大学時代は国際教養額専攻で哲学を勉強されていたのを大学院で心理学を専攻することに決めた理由はなんでしょう??
根本にあるのは人生の生きづらさ。
これは子供のころに原因があることが多いですが子供はそれをなかなか言葉にできない。
だからこそ、子供が意識していることや見ている世界を大人に知ってほしいし、研究をしていても一番苦じゃない。
Q.かなり研究や学びを楽しんでらっしゃるように見えます。その楽しさはどこから来るのでしょう??
面白いのは学ぶことで価値観が自分の中が変化していくことです。
この変化には良いも悪いもありません。だからこそ変化が楽しい。
例えばフランスに行った時も「フランスへ行けば自分がどう変わるのか?」という気持ちで挑戦ができる。これが学びの本質だと思っています。
本来挑戦することにデメリットはないのです。
だからこそやりたいと思ったことに素直に挑戦できます。
大学院で研究したいなと思ったから今もしています。
Q.今後どうしていきたいか??
研究者もやりたいし、教育に関わりたいし、発達障害の支援もしたいです。
研究をやりながら発達障害の支援者として動きたい。近い将来は海外にいるかもですね。
あまりどうやって生きるかをあまり考えないようにしています。
自分の探究を行いつつ子供のためになる研究をしたいです。
だから自分の信念に沿う形でやりたいことをやっていこうと思っています。
Q.渡部さんにとって「探究」とはなんですか??
「生きるとは何か」を考え続けること
自分らしさを考えたり、色んな人に出逢って生き方に触れていったりすることです。
Q.中学生へ一言
今の自分でも大丈夫です!!自信が無かったら無くても大丈夫。