言い訳の「なぜ?」と理解のための「なぜ?」
肉体をもって体験することには魂の成長に欠かせないものが多くあります。
しかし言い訳の「なぜ?」はその貴重な体験をあなたがするのを、妨げてしまうことがあります。
一方理解のための「なぜ?」は、あなたの体験を高め、パワーを生み出します。
「なぜ遅刻したのか」という質問に対し、「言い訳のなぜ」は、「家を出る直前に電話があって」などと、時間のロスを特別な出来事として利用したりするようなケースです。
しかし「理解のためのなぜ」は、人に会うことに対するためらいや、抵抗感に関するもの。被害者意識やいらだち、罪悪感といったものに関係しています。
こうしたことは認めたくないために、見て見ぬふりをしてやり過ごすことが少なくありません。そうしないと日常がスムーズにまわらないように思うからです。
しかしちょっとしたひっかかりを軽視せず、その都度自分を見つめていくことで、意識に変化が生まれてきます。それは言い訳の理由ではなく、本当の理由が理解できたときのみ起こることです。
言い訳の「なぜ?」は、自分が自分自身の現実を創り出しているということを知る妨げにもなります。
言い訳の「なぜ?」は、現実があなたを創り出すかのように見せてしまいます。
言い訳の「なぜ?」は、自分が体験している世界の創造に、自分は全く関与していないかのように、あなたに感じさせます。
理解のための「なぜ?」は、あなたにパワーを与えてくれます。ですが自分をさらけ出すことにもなるでしょうし、時にはきまり悪い思いをしなければならなかったり、うろたえることもあるでしょう。ですからほとんどの人が、この煩わしい「なぜ?」を避けようとします。
理解のための「なぜ?」に取り組んでいると、あなたは自分が自分自身の現実を創り出しているということをとてつもないパワーと共に体験します。
その現実をどのようにして創り出したかを知り、なぜその現実を創り出したかを理解していないと、将来もう一度その現実を創り出せるかどうか、あるいはそれを再び創り出すのを避けられるかどうか、完全に知ることはできません。
つまり、なぜそのような現実を創り出してしまうのか、もともとの動機や、潜在的な理由を理解するまでには至りません。
あなた以外の誰も、あなたの現実を創り出すことはできないのです。
たとえ目の前の危機が通り過ぎても、あなたが言い訳の「なぜ?」をやめて、理解のための「なぜ?」を理解するまで、あなたはずっと無力のままです。
言い訳の「なぜ?」をやめてパワーを取り戻してください。