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牧師様へのロザリオ

2020.06.18 00:52

2014/6/18のフェイスブック記事より



まじょ修行をしています。

2011年の秋から。

(修行内容は、ある日ひょっこり、頭の中に浮かびます。歌をつくったり、自画像をかいたり、まあ、いろいろです。今は、自分カルテをつくっています。)

apartmentの形態を取る前に開いていた、カフェと雑貨のお店を一旦閉めて、それから、あなたは、どうするのですか?

と、問われた時に。

ポロリと出てきた言葉です。

それは、自分とは何か。

ここに生まれてきた意味は。

自分のお役目とは。

そういうことを、探す旅のはじまりでした。

それから、何年か経ち。

何がわかったのか。

何がかわったのか。

まだまだ、自分とは何者で、何処へゆこうとしているか。なんてなことは、へぇ、いっさら。

(へぇ。は、甲州弁で、もぅ。

いっさら。は、甲州弁で、全然。

全くもって、わかんない。って事です。)

でも。

なんで、まじょ修行。って、口からついて出たのか、少しづつですが、分かって来た気がします。

少しづつ、欠片を集めるみたいに。

その中の、ひとつ。

自立していくこと。

生活の面や、物質的な自立も、出来たら最高ですが。いやはや。いやはや。

魂の自立といいましょうか。

自分を律し、何事にも動じることなく、ちゃんと芯(自)を立てて。

動じることがないから、相手や起こる出来事を、尊重することもできる。

わたしの好きなまじょの在り方。

森の中、深くに、動物と暮らし。

日頃は、ひとり、たんたんと、静かに自分の生と向き合い、流れる時間を豊かに感じ。

時に野草なんかを煎じて、訪ねてくる、街に住む、困っている人の役にたつ。

自ら働きかけ、動くのではなく。

たまたま、自分のもっているものが、必要な人に行く。そのくらいのペースで。

子どもの頃、読んだ絵本の中にいたのでしょうか。

記憶の中にあったのでしょうか。

ともすると、孤独の中にいるような。

淋しさ、をも、感じるような。

そんな生活。

けれども、そこには、自立し、自分と向き合うことを、たんたんと受け入れている、潔い清々しさが見て取れて。

きっと、わたしは、そういう人に憧れているのだと思います。

まじょ修行とは言っても、魔法が使えるようになりたい。とか、そういうことは、二の次、三の次。(使えるようになったら、めっけもん♡)

自ら、ちゃんと、立つために。

これが、わたしがまじょ修行をします。って口からついて出た、ひとつの理由だったんだ。

まじょ修行をはじめてから。

わたしは、何がかわったのか。

わたしは、何がわかったのか。

答えは、まだまだ。

わたしのまじょ修行は、これからも続きます。

時に、浮かびあがる喜びの中に。

時に、沈みこむ暗闇の中に。

わたしが、わたしを知るために。

まじょ修行しながら、こしらえております、kanji cards。

今日のポエムボンム石ちゃんのワークショップでは、こちらを使っていただきます。

楽しみー♡

画像は、石ちゃんからのオーダーでおつくりしました、ロザリオ。

石ちゃんは、牧師さまみたいな人です。

今日は、祈りの言葉を、プレゼントしよ〜っと♡

では!

今日も今日とて、まじょ修行。

はっぴーにまいります。イェイ。