ウイルス増殖
https://www.jst.go.jp/pr/announce/20100824/index.html 【ウイルスRNA合成酵素と宿主翻訳因子との複合体の構造を解明-新たな抗RNAウイルス薬開発へ期待-】
<ポイント>
○ 1970年代初頭から不明であったQβウイルス注1)の宿主(しゅくしゅ)注2)である大腸菌の翻訳因子の役割を解明
○ 宿主翻訳因子がウイルスRNA注3)合成酵素複合体の活性部位構造形成を促進
○ 宿主翻訳因子がウイルスRNAの合成伸長を促進する役割
独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)バイオメディカル研究部門【研究部門長 織田 雅直】RNAプロセシング研究グループ 富田 耕造 研究グループ長、竹下 大二郎 専門技術者(財団法人 日本産業技術振興協会)らは、ウイルス由来のRNA合成酵素と、宿主由来の翻訳因子注4)との複合体の構造を世界で初めて解明した(図1)。
今回、大腸菌に感染するQβウイルス由来のβ-サブユニット注5)(RNA合成酵素に相当)と、宿主由来の2つの翻訳因子との三者複合体の構造解析および機能解析により、複合体形成やRNA合成における翻訳因子の役割の分子的基盤が明らかになった。今後、ウイルスのRNAゲノム注6)複製を担う複合体の形成を阻害することによる新たな抗ウイルス薬の開発につながるものと期待される。
本研究は独立行政法人 科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)「RNAと生体機能」【研究総括 微生物化学研究所長 野本 明男】研究領域における研究課題「RNA末端合成プロセス装置の分子基盤」【研究者 富田 耕造】の一環として行われた。また、独立行政法人 日本学術振興会(JSPS)基盤研究A、文部科学省 特定領域研究公募研究からの研究費補助金による支援も受けている。本成果は、2010年8月23日(米国東部時間)に、米国科学アカデミー紀要(PNAS)のオンライン版に掲載される。
<開発の社会的背景>
1970年代初頭に、大腸菌に感染するQβウイルスのQβ複製複合体注7)の形成には、大腸菌に由来する翻訳因子EF-Tu注8)とEF-Ts注8)が不可欠であることが報告された。その後、いくつかの動物、植物、バクテリアに感染するRNAウイルスのゲノムRNA上にコードされているRNA依存性RNA合成酵素(RdRp)注9)が、宿主の翻訳因子と複合体を形成し、その複合体がRNAウイルスゲノムの複製・転写注10)に必要であることが報告されてきた。しかしながら、RdRpが宿主由来の翻訳因子と複合体を形成する分子機構や、複合体中の翻訳因子の役割については不明のままであった。ウイルス由来のRNA合成酵素と宿主由来の翻訳因子との複合体形成やRNAウイルスゲノムの複製・転写における宿主翻訳因子の役割の分子的基盤を解明することは、新たな抗ウイルス薬の開発につながると期待されているため、国内外で研究が進められてきた。
<研究の経緯>
産総研らはここ数年、RNA合成システムの機能構造基盤研究を進めてきた。特に核酸性の鋳型注11)を用いないRNA合成酵素の反応機構解明において、世界有数の研究成果を発信してきた(産総研プレス発表など:2006年10月16日、2008年7月8日、2009年10月5日)。今回、核酸性の鋳型を用いてRNAを合成するウイルス由来のRNA合成酵素のうち、大腸菌に感染するQβウイルス由来のRNA合成酵素とQβウイルス感染細胞内の翻訳因子(EF-Tu、EF-Ts)との複合体形成機構やRNA合成における翻訳因子の新たな役割の解明をめざし、エックス線結晶構造解析と機能解析を行った。
<研究の内容>
本研究で対象としたQβウイルスは一本鎖のRNAをゲノムとして有するウイルスであり、Qβ複製複合体によってそのRNAゲノムの複製・転写を行う。Qβ複製複合体は、他のRNAウイルスではRdRpに相当するβ-サブユニットと、宿主由来の翻訳因子EF-Tu、EF-Ts、およびリボソームタンパク質S1注12)から構成される。特にQβ複製複合体によるRNA複製・転写活性にはβ-サブユニットと宿主由来の翻訳因子EF-Tu、EF-Tsとが三者複合体を形成することが必要である。β-サブユニットとEF-Tu、EF-Tsとの三者複合体のエックス線結晶構造解析と機能解析を行った結果、以下のことが明らかになった。
1) Qβウイルス由来のβサブユニットと翻訳因子EF-Tu、EF-Tsとの複合体はボートのような形をしており、β-サブユニットと翻訳因子EF-Tu、EF-Tsとは1:1:1の比率で、主に疎水的な相互作用注13)で複合体が形成されていた(図2、3)。
2) β-サブユニットは通常のウイルス由来のRNAを鋳型として用いるRNA合成酵素と同様に、サムドメイン、パームドメイン、フィンガードメイン注14)の3つのドメインからなる構造をしていた(図3)。
3) 翻訳因子EF-TuとEF-Tsは強固な複合体を形成し、EF-Tuのドメイン2と呼ばれる領域はβ-サブユニットのフィンガー領域、EF-Tsのコイルド-コイルドメイン注15)と呼ばれる領域はβ-サブユニットのサムドメインと疎水的な相互作用をしており、これら翻訳因子とβ-サブユニットとの相互作用によって、RNA合成複合体のRNA合成触媒中心注16)構造が維持されていた(図3)。
4) 翻訳因子との相互作用を破壊すると、β-サブユニットとの複合体形成が阻害され、また、β-サブユニットの発現も著しく抑えられることが示された。
5) 複合体の構造中に鋳型RNAおよび基質であるリボヌクレオチド注17)が入っていく、RNA合成触媒中心へと通じるトンネルをそれぞれ同定した(図4)。
6) 複合体の構造中への鋳型RNA、それに相補的な合成されたRNAの二本鎖RNAの結合モデルから、RNA合成伸長過程において、鋳型と合成されたRNAからなる二本鎖RNAは複合体中のEF-Tu、EF-Tsの方向へ伸長することが示された(図4)。
7) ウイルスゲノムRNAの効率的な複製、転写には、鋳型と合成されたRNAからなる二本鎖RNAの構造を変化させる必要があり、複合体中のEF-Tu、EF-Tsは、二本鎖RNAをほどく機能があることが示唆された。
以上の結果から、ウイルス由来のRNA合成酵素の機能発現において、宿主由来の翻訳因子はRNA合成触媒中心構造を維持するために必要なタンパク質シャペロン注18)として働いていることを提唱した。さらに、RNA合成伸長モデルから、翻訳因子はウイルスRNAゲノムの合成伸長反応を効率よく行うために、鋳型RNAと合成されたRNAの二本鎖RNAをほどいてRNAの構造を変化させる新機能を有していることをも提唱した。
なお、本研究で明らかになった複合体の構造は、世界で初めてのウイルス由来のRNA合成酵素と宿主タンパク質との複合体の構造であると同時に、翻訳因子が翻訳サイクル以外の過程で機能する様子を捉えたものでもある。また、ウイルスの感染細胞での増殖は宿主のタンパク質に依存しているが、今回、明らかになった分子的基盤により、ウイルス由来のRNA合成酵素と宿主由来のタンパク質との複合体形成を阻害することによって、ウイルスの増殖を阻害することが可能な新たな抗ウイルス薬の開発が期待される。
<今後の予定>
今後、ウイルス由来のRNA合成酵素と宿主由来の翻訳因子との複合体が、RNAウイルスゲノムの合成を開始しRNAを伸長合成していく様子を捉えたエックス線結晶構造解析と機能解析を行い、ウイルスゲノムRNAの複製・転写における翻訳因子の詳細な動的反応の分子的基盤を明らかにしていきたい。
<参考図>
(略)
http://www.md.tsukuba.ac.jp/basic-med/infectionbiology/virology/blankpage.html
【ウイルス増殖Virus proliferation】
はじめに
ウイルスとはいったい何なのでしょうか? その答えは、哺乳類をはじめとする生物との違いにヒントがあります。生物は自己複製することができますが、ウイルス自身では増殖できず、その増殖は感染した宿主細胞に依存し、細胞内の多様な機能を必要とします。そのため、ウイルス増殖はウイルス由来因子と宿主細胞因子が関与する細胞機能に支えられていると考えられています。現在まで、ラウス肉腫ウイルスゲノムにコードされたがん遺伝子産物の発見、mRNAのキャップ構造やスプライシング機構の発見など、重要な生物学的現象がウイルス研究により明らかとなってきました。また、感染と増殖が細胞特異的であることを利用したウイルスベクター系の開発が様々なウイルスにおいて進められており、医学や薬学などの分野に新たな手法を提供し始めています。このようにウイルス研究は生物学的な基礎研究から臨床の現場に至るまで応用されてきています。
1.宿主因子の探索
当研究室では、インフルエンザウイルスとアデノウイルスウイルスの増殖に関与する宿主因子の探索を行っています。モデルウイルスゲノムを用いた試験管内転写系および複製系の反応を促進する宿主因子として、当研究室において非感染細胞の核抽出液よりインフルエンザウイルスではRAF(RNA polymerase Activating Factor)を、アデノウイルスではTAF(Template Activating Factor;「クロマチン制御」の項を参照 )を同定しました。RAFはウイルスRNAポリメラーゼを活性化することが示唆され、一方、TAFはアデノウイルスクロマチン構造変換に関与することが考えられています。また、インフルエンザウイルスではRAFと同様にRNA合成活性化因子としてPRF(Polymerase Regulating Factor)が分画され、現在、その同定を進めています。
2.病原性の解析
さらに麻疹ウイルスとインフルエンザウイルスを用いてウイルス病原性および細胞特異性についての解析も起こっています。培養細胞系における増殖性の違いは細胞側の因子によって規定されていると考えられます。その規定している因子の同定および規定様式を研究することは自然界におけるウイルス病原性や宿主域を理解するための第一歩となると考えられます。そこで、麻疹ウイルスでは基底の細胞表面受容体の探索による病原性の解析、インフルエンザウイルスではウイルスゲノム機能の違いによる細胞特異性の解析を行っています。
3.ウイルス増殖
インフルエンザウイルスについてはウイルス増殖過程に関する解析も行っています。インフルエンザウイルスのRNA依存性RNAポリメラーゼはウイルスゲノムの転写と複製の両反応を担ってます。このことは、ウイルスポリメラーゼには転写酵素から複製酵素への転換を行う調節機構が存在すると考えられます。現在、ウイルス以外には見出されていないRNA依存性RNAポリメラーゼの機能を解析することは、RNAi(RNA interference)の機構を含め、今までに知られていない細胞内機能の理解につながる可能性があります。ウイルスポリメラーゼの詳しい機能調節に関しては未解明な部分が多く、現在集中的に解析を行っています。 また、インフルエンザウイルスはゲノムが8本に分節化されているという特徴を持っています。分節化しているゲノムには、それぞれ別のウイルスタンパク質がコードされており、感染性を示す粒子内には8種類の分節化ゲノムが最低でも1本ずつ含まれている必要があります。しかし、集合と選別のメカニズムについては明らかになっていません。ゲノムが選別され、集合するというメカニズムは非常に興味深く、ウイルス制御はもちろんのこと、この機構を解明できれば新たな細胞生物学的なツールとして利用できると考えられます。 以上のようなウイルスの基盤情報を用いて、新規のウイルスベクターの開発も目指しており、ウイルスの工学的および臨床での応用を視野に入れた解析も行っていく予定です。