奄美の打田原、和田さんとは同級生☘
2020.06.18 16:50
私の祖父は昭和18年に亡くなっている。
病死らしいが、何処で どう亡くなったか、わかんないのよね…
戦死だって言う人もいるし…
戦地で病死したのかなぁ
一家の大黒柱を失い
移民先の大阪から、奄美へ戻る事になる。
海は既に危険な海域だったらしい。
現に、魚雷により沈められた船が何隻あるのだろうか
一旦、箇条書き
私の伯父は、大阪で和田さんと会う事もあった。
和田さんが、あまみへUターンしてから
奄美を訪ねてもいる。
打田原は、奄美大島の北部。
うちは、奄美大島の南部・加計呂麻島だしね
奄美大島を、2泊3日で縦断する旅はハードやったと言っていたのを思い出す。
大阪では、沖縄でのことはタブーだった。
◆奄美で天然の塩づくり。「打田原のマシュ」に込められた思いとは…
https://amamikke.com/9123/?fbclid=IwAR33bNN7vVfhWo_2wn9EsPZynfVfpnETQR9kXsmhf3rPq-JCWyclemqtJWg
大阪で長年、教職と地域活動に勤しまれていた和田さんは、70歳の時に打田原集落にUターン。砂浜の美化作業で集まった大量の流木の処理を考えて思いついたのが、塩づくりだったそうです。手づくり天然塩の商品化をきっかけに、集落の活性化を図るため集落運営を決めたのだとか。工場は集落皆の力で作り上げ、収益も集落のスタッフに還元される仕組みです。