〈寺院紹介〉大鏡寺
指宿市池田3885
℡ 0993-26-2321
<沿 革>
念仏禁制下にあった徳川末期、池田の石嶺に居住していた湯上了証を中心に「御鏡講」という念仏結社が組織され、その教線は指宿の永嶺、幸屋、下門、池崎、石嶺、大迫、中浜、頴娃の飯山、永谷、谷湯、拵山、瀬谷の各地まで及んでいた。初代講頭湯上了証は、自宅を御鏡講の仮説教所として使用し、念仏弘広に務めていたが、湯上了証の子息、湯上観証も父に劣らぬ強信な念仏行者であった。湯上観証は明治19年2月27日、20歳の時に興正派で得度し、明治32年1月17日父了証亡き後二代講頭を継承、そして昭和2年4月、聞法の便宜をはかる為に説教所設立を計画し、同年8月26日に興正派池田説教所の認可を得た。
その後説教所の移転新築計画が起され、翌8年には現在地に32坪の本堂および庫裡が新築された。彼はその喜びを当時の過去帳に池田説教所、仮観証寺と記してあるが、その観証も本堂完成の5年後、昭和13年9月18日に73歳で往生した。彼は存命中、門徒内不信の者がいれば時を選ばず夜中にでも訪問し、化導したといわれ、その真摯な布教活動ぶりが偲ばれるのである。
観証亡き後、昭和13年10月二代目担任教師を継承したのは、観証の養子崎山信証であった。池田説教所はのち昭和17年、宗教団体法により真宗興正派池田教会と改められ、また昭和22年宗教法人令により「大鏡寺」と寺号公称されたが、教会時代は主管として、また大鏡寺となってからは初代住職としていずれも崎山信証が就任した。
昭和35年9月29日、57歳で崎山信証が往生したあとは、養子美代教証が第二代住職を継承。現在は美代隆証が第三代住職を継承している。
<飯山出張所>
飯山地区から池田の大鏡寺までは距離も遠く、その為多くの便宜を計り、昭和30年に大鏡寺の飯山説教所を設立。ここに居住した今田(長崎県出身)という老人は、自ら三尺余りの阿弥陀如来立像を刻み、出張所の本尊として安置したり、また土地の人々から生菩薩の如く慕われていたが、35年4月17日に死亡。その後出張所は無住となり、49年には焼失した。この時地区の人の手によって難を免れた本尊は、現在地区公民館に本尊として安置されている。
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