〈寺院紹介〉西岸寺
南さつま市金峰町宮崎4365-1
℡ 0993-77-0177
<開基・初代住職 桑土僧雄>
開基は、桑土僧雄(天保6年正月元旦生)といい、長崎県南高木郡杉谷村(現在の島原市杉谷下山寺)の本願寺派西方寺第十二代住職であった。
薩摩開教のきざしのみえた明治6年、西本願寺の命により、大洲鉄念等と共に薩摩に下り、鉄念は薩摩郡を巡錫し、桑土僧雄は吹上町永吉村に滞在の後、吹上町和田助代赤ケ谷の下薗次郎宅に身をよせ、日置郡内を中心に内々に布教に専念したのである。
明治9年、信教自由の発布と共に、公然と布教が許されたものの、桑土僧雄は三業安心上の問題で本願寺派と袂をわかち、同9年12月14日興正派の門流と転じたのであった。
=転派と披露=
本寂上人の日記(華園家乗参照)に次の記述がある。
明治九年十二月十四日 晴
長崎県第八大区六小区肥前国高来郡杉谷村六百七十九番地 桑土僧雄
先般大谷家にて宗意に背候旨にて擯斤に遭候。寺跡、寺は本国に残し、一身上当山に帰依仕候間御訂を蒙(中略)仍従属許可後、十九日に対面説諭了。
× × ×
明治九年十二月十九日 晴陰
小広間にて夕景直諭。盃菓子、対面之御不思議之因縁にて従属に相成候段感悦。就いては向後彌正当の安心に住すべく云々。
元長崎県 桑土僧雄
披露 赤澤融海 田宮宗忍 両人
相伴 薩マ野口信三 田中伝九郎 月泰舒 瑞穂慈雲
<沿 革> 資料「阿多村風土記」初代阿多郵便局長 西田舜彌著
桑土僧雄は転派後、阿多説教所(現在の瑞光寺)を開設するも、明治27年、門徒との衝突がもとで同説教所は二分。桑土僧雄は、南谷藤右ェ門、中野善太郎、丸田兼三(阿多村初代村長)等の率いる僅かの門徒を擁して別に、有村宗太郎の尽力で同村松田内司堀九十
五番戸に移転。浜崎伝次郎宅のおもて座敷を離し、これを説教所として開設した。これが現西岸寺のおこりで、初代住職には桑土僧雄が就任した。
ところが、その翌年の明治28年8月、桑土僧雄はこの地で62歳で往生。当地で火葬、遺骨は故郷長崎の地に埋葬された。
<開教後のあゆみ>
明治19年 中島正信(長崎県高来郡口之津村に明治6年11月生)は、19年師桑土僧雄阿多の地へ赴くにあたり同行入村す。時に正信13歳。旧姓酒井、叔母中島家を相続
明治43年 4月21日 和田教会(説教所)設立許可
? 永吉教会(説教所)設立許可
大正 3年 1月24日 説教所現在地移転、本堂起工式
5月15日 本堂落成
大正 9年 9月27日 「西岸寺」と寺号公称 中島正信、西岸寺二代住職就任
昭和18年 4月30日 中島千尋、西岸寺三代住職継承
昭和48年 3月25日 中島武人、西岸寺四代住職継承
平成31年 2月 1日 中島良典、西岸寺五代住職継承
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