僕がいまだに岐阜へ行く理由〜嫌われ続けていた過去〜
前回ご紹介した、今西さんという偉大な方との岐阜での出会い。この出会いは僕にとって本当に大きなものとなった。なぜなら、この出会いこそが僕がいまだに岐阜へ行く理由なのだから。
こんなことを言うと、FC岐阜のファンの皆さんから怒られてしまいそうだが、よそから見た昔のFC岐阜のイメージを少しお話ししたい。
僕は、FC琉球時代、JFLの運営をお手伝いしている頃FC岐阜を迎えたことがある。実名を出すのは控えるが、あの頃のFC岐阜は正直酷かった。。。
会場となった北谷町陸上競技場での試合の時、会場の中でも外でも、ベンチの脇でも、子供もファンも見ている前で堂々とタバコを吸っては、その辺にポイっていう感じだった。
試合中の態度なども、これが本当にスポーツマンか??
とショックを受けるほどだった。。。
そんな負のイメージをよそのチームは持っていたため、僕が岐阜へ行くとまわりに相談すると、あそこはやめておけ!といく先々で言われたのを今でも覚えている。
しかし、今西さんが経営を行ってからチームが変わり始めているという声も少し聞こえ始めた。
僕も一度行くと決めたので、まわりの反対も多少あったが、岐阜へ行くことを決意した。
僕は、地域貢献推進部という部署で働くことになった。
FC岐阜は、Jリーグクラブでも珍しい、県と県内全市町村が株主という、名実共に地域に根ざしたクラブだった。いや、地域に根ざさなければならなかったというのが正解かもしれない。
すぐお隣に愛知・名古屋があり、サッカークラブといえば「名古屋グランパス」だった。
これは沖縄から来た僕には衝撃だったのだが、地元紙やTVも「ぎふチャン」「岐阜新聞」とあるのだが、やはりテレビの主役は、「東海テレビ」「メーテレ」「中京テレビ」、新聞は「中日新聞」など、東海圏全域を対象にしたメディアが中心なのだ。その為、スポーツニュースや新聞のスポーツ面は、沖縄だとJFLやJ3でも大々的に扱ってくれるが、東海圏だとやはりJ1の名古屋グランパスの記事が中心で、岐阜のことは小さく扱われることが多かった。もちろんリーグが違うのでしょうがないことなのだが、比較対象が世界のトヨタのクラブとあっては、岐阜のクラブが太刀打ちするには、やはり同リーグに属し、グランパスを上回る結果をだないとなかなか厳しいのだろう。
これが、どう言うことかというと、入場料収入と並んで大切なスポンサー収入が、露出の多いグランパスと露出の小さい岐阜では、スポンサー料に大きな差が出る。
そしてもちろん、この様に毎日見るテレビや新聞で、これだけ扱いが違うと、車や電車でほとんど移動時間が変わらないグランパスの試合を見に岐阜から行く人も多くいて、入場料収入にも差が出るのである。
そうなるともちろんチームの強化費にも大きな差が生まれ、その結果チームの順位にも影響することになる。
そんな強化費が少ないクラブが、天皇杯で次々強豪チームを倒し、ベスト8まで勝ち進んだのである!(長良川劇場)これが語り継がれるほど大変なことだというのは、のちにクラブに携わるようになってから痛感させられた。
これは、本当にあった笑い話なのだが、岐阜よりも名古屋寄りのある市の市議会で、グランパスのホームゲームを誘致しよう!という話が持ち上がっていた。
行政担当者から、問い合わせがあり、基本Jクラブは、ホームタウンでの試合開催が基本で、ましてやよそのチームのホームタウンで試合を行うなど、もっての外であるということを説明に行った。(笑)
特に海がなく、県境が全てよその県と陸続きな岐阜にとっては、よそを排除したり、地元のものを特別視することは、沖縄のように海に囲まれた県と違い、なかなか難しいことなのだ。
そんな状況でクラブを経営していくとなると、本当に県民に「我が街のクラブ」であると認識してもらわなければならない。そこで今西さんは、地域貢献推進部を設け、「子どもたちに夢を!!」というスローガンのもと地域を訪問し、「岐阜県のクラブとして地域に何ができるのか?」「クラブとして何をすべきなのか?」これをスタッフに徹底的に考えさせ活動を行わせた。
ただサッカースクールをしたから応援して!スクールやったからチケット買って!というようなことはほとんどなかった。
県民に、Jクラブが街にあるという喜びを感じてもらうためには何をすべきか考えて活動を続けたのである。
明日、「僕がいまだに岐阜へ行く理由」最終回。