混迷のオスマン1-サファビー朝の再興
2020.06.20 11:16
ヨーロッパが乱れるが、オスマンでは1578年大宰相ソココル・メフメット・パシャが暗殺されてからハーレム支配政治となり、活気を失っていく。1595年にムラト3世が崩御。それを継いだメフメット3世も遊興に溺れるダメスルタン。そして1603年にアフメット1世が即位した。
その東ではイランのサファビー朝が再建されていた。1590年に即位したアッバース1世は、軍政改革を行い、グルジアやアルメニア出身奴隷(キリスト教)からなる直属軍を結成した。これはオスマンのイェニチェリとよく似ている。今までのトルクメン部族を処刑して、土地を没収して財産をつくった。
97年首都をイスファハーンに遷都。アルメニア人やインド人にまで交易を結んで大都市となった。そしてイランの北方を平定したあと、1603年いよいよオスマンからの領土奪回を開始したのである。
まずアゼルバイジャン地方を奪回し、ダブリーズの戦いでオスマンホン軍を撃破した。アフメット1世が即位しても、リーダーシップがそれないオスマンに対して、破竹の勢いで、バグダード、モスルを奪取、アリーの墓所のあるシーア派の聖地ナジャフまで領土にし、おおいに意気をあげたのだ。
下はアッバース1世