月下百鬼道中 2.【月下の出会い】 3話 我が家
地図で見ると『アブル連邦』は、45度傾いた細長い大陸の西側の海岸、そのちょうど真ん中に位置する。『アブル連邦』はジョージ王という王様が統治する城塞都市だ。城壁に囲まれた街には、大きさが人の何倍もある風車や歯車が点在し街のシンボルになっている。街は隅々まで整備され、賑わいも絶えない。
けれど、それは城塞の「中」での話。「外」には魔物が跋扈する平原にむき出しになってるキャンプ地がある。そこには街に入ることができない人々が日々怯えながら暮らしているけれど、それは連邦にある「労働の義務」というものによりできたものだ。
世界には魔物が跋扈する。弱肉強食、争って奪い奪われるが常識の魔物。それらから限られた資源、安全を維持するための「義務」。結果的に能力なしと判断され、街に貢献できない人間、仕事のできない人間は中に入ることができない。
そんなキャンプ地の前で牛車から降り城門へ向かう。どこから取り入れたかわからない品物を並べた商人。戦えるようになれば中へ入れる、と渇望し剣を振る少年。全てを諦めてしまったような顔の大人。見慣れた風景だ。けれど、慣れてしまってはだめなのではないかと、なんとかできないだろうかと、お節介だろうかと、そんな風に思ってしまうこともある。
そんな後ろ髪をひかれる故郷。けれど、やはり生まれ育った故郷なんだろう。許可証を見せ城内へ入ると、どこかほっとした気持ちになる。円状の模様を描く石畳の道を歩き、街の中を進んでいく。街は高低差のある地形を生かして作られているため、ローザの実家までの道のりにも階段や橋が幾つもあって、たどり着いたころには軽めの運動になっていた。
ローザの実家は石造りの一軒家だった。扉の周りには赤薔薇がワイヤーに巻き付けられ飾られている。この限りある土地の中で一軒家、というのは、ローザの両親はそれなりに名の通った人なのだろうか。そんなことを考えている間にローザは木の扉を3回ノックする。
「はーい、ちょっと待ってくださいねー!」
扉の奥から元気の良い女性の声が聞こえてくる。作業中だったのだろうか、少し経ってから慌てたような足音が近づいてきた。そして扉が開かれると同時に、黒髪の女性が姿を現す。
「……!ローザ!!」
女性はローザをぎゅっと抱きしめた。
「う〜、苦しいよ、お母さん。」
「驚いちゃったじゃない。こっちに帰ってくるなら手紙の一つくれても良かったのに!試験に行った後ずっと心配してたんだから。」
ローザの母親は娘の姿を上から下、下から上へと視線を移す。ローザが怪我をしてないことに安心したのか、はっと気づいてこちらに視線が移った。
「この方は?」
「うん、紹介するね。この人はタビト。私と一緒に旅をしてくれてるの。」
「あ、初めまして。タビトです。」
「そうでしたか!いつも娘がお世話になってます。私の名前はマリアといいます。よろしくお願いしますね、タビトさん。」
にこりと微笑むマリアさんの表情はローザにそっくりだ。さすがは親子といったところか。
「さ、中に入って。寒かったでしょ?すぐ暖かいの出すから。あっ、そうそう。ローザ、テーブルの上にあれ、置いてるからね。」
「ほんと!?やった!ずっと食べてなかったから嬉しい!」
二人の間で交わされる『あれ』とはなんだろうと思い尋ねると、ローザは嬉しそうに答えた。
「私の大好きな、マフィン!」
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木の板が敷き詰められた家の中は簡素な作りで、とても落ち着く。リビングに出ると木製の三人掛けできる丸テーブルがあり、カウンターテーブル付きのキッチンには薪オーブンが備え付けられており、壁にはずらりと調理器具がかけられている。マリアさんは料理好きなのだろう。
テーブルに視線をずらすと、その上には焼きたてのマフィン達が網の上に並んでいた。焼き菓子は焼きたても悪くないが、冷ますと味がはっきりしてくるのだ。
そんなマフィンを眺めていると、マリアさんが黒い陶器のコーヒードリッパーと金属製のスタンドを持ってきた。
「タビトさんはコーヒーは飲めるかしら?」
「はい、ブラックでも大丈夫です。」
「へぇ〜、コーヒー飲めるんだ。私苦くって飲めないよ。」
ローザは苦笑いを浮かべながら席に着いた。
「そうなの?でもコーヒーにも色々あるから、ローザに合うのがあると思うよ?」
「詳しいのね。タビトさんはコーヒーお好きなんですか?」
「はい。実家では結構飲んでました。」
「ふふ、じゃあ私と好みが合いそうね。私もコーヒー好きなのよねぇ。…あっ、ごめんなさい。タビトさんってなんだかローザと雰囲気が似てたからつい。」
「あ、お構いなく。僕もローザと同じ20ですし、それに…タビトさんって呼ばれるの慣れてなくて…」
「そう?じゃあタビトくんって呼んでいいかしら?」
「はい、大丈夫です。」
コーヒーの話題のおかげで少し打ち解けることができたみたいだ。僕としてもコーヒーの話題ができる人がいるのは正直嬉しい。
それからはコーヒーをお供に旅に出てからの一ヵ月であった事を話した。魔物との戦いや関所を通るために苦労したこと、公国での出来事等々だ。
「そう…色々と大変だったのね。今日はゆっくりしてちょうだい。…そうね、そろそろ私は晩御飯の支度をするから。」
「あの、手伝いましょうか?」
「大丈夫よ。晩御飯楽しみにしててね。」
「お母さん、そろそろいい?」
ローザが待ちきれない様子でマフィンを見ている。
会話の途中でもちらちら見てたな、この子。そんなに好きなのか。
「いいわよ。でもあんまり食べ過ぎないようにね。」
「はーい。タビトもどうぞ。」
「ありがとう、いただきます。…これはイチゴジャム?」
「それはブラックベリーって言うんだよ。」
「ん?ブラックベリー?」
「ふふっ、すごいでしょ!私達の名前と一緒のイチゴ!」
「へぇ…!これがブラックベリーか。…じゃ、いただきます。」
マフィンを口に近づけるとバターの香りと甘酸っぱい匂いがした。
まずは一口。口に入れると、バターの濃厚な味が広がったかと思うと、それに続くようにベリージャムの甘みが。
そして二口、三口と焼き菓子を食べると口の中の水分が無くなってくるので、コーヒーが欲しくなる。三杯目の熱さが残るコーヒーを口に運ぶ。すると、コーヒーの苦味がまだ残っているマフィンの余韻と絶妙に混ざり合い、喉を通り過ぎていく。
美味い。
「…っはぁ〜。なんだか落ち着くなぁ…。マフィンすごい美味しいねぇ。」
「でしょ?私これ大好きなんだ。」
そうして談笑を続けているといつの間にか日が暮れてしまっていた。話が盛り上がると時間が早く経ってしまうように思う。ローザと話している間にマリアさんは夕食を作り終えていた。メニューは種類豊富なパンに鳥の丸焼き、公国の近くでとれるジャガイモを使ったマッシュポテトなど豪華。一人で作ったとは思えない量だ。
「お母さん、頑張ったね…。」
「腕によりをかけましたっ!召し上がれ!」
「「いただきます!」」
マリアさんの料理はとても美味しかった。ローザはこの料理を食べて育ったのか、なるほど、そりゃ元気だ、なんて考える。
夕食中に彼女の父親の話を聞いた。彼女の父親は連邦の騎士団の団長なのだそうだ。それを聞くと、この家も、ローザの剣術や護衛術の高さにも納得がいった。
そんな話や旅の話、話題は夕食中ずっと尽きず、美味しい一日は終わってしまった。そしてローザはマリアの部屋で、僕はローザの父の部屋を借り、眠りについた。