月下百鬼道中 2.【月下の出会い】 4話 噂
ゆっくりと瞼を開く。部屋は足元が見えないというほど暗くもなくうっすらと明るい。壁にかけてある振り子時計の、こち、こちとした音だけが耳に入ってくる。針を見ると6時前を指していた。
まだ、眠い。
もう一度寝ようか、そんなことを考えながら、剥ぎかけたシーツを被りなおしていると物音が聞こえてきた。誰かもう起きているようだ。ローザかな。マリアさんかな。
…起きよう。この時間だ、朝食を作っていてもおかしくない。だとしたら何か手伝いたい。
ベットから降りていつもの服に袖を通す。と、その時部屋にある机に目が行った。
一枚の写真が置いてある。覗いてみるとそこには幼いころのローザと、彼女を肩車している赤薔薇色の髪に緑色の目の男性が写っていた。
おそらくローザの父親だろう。
「…そっくりだな…」
あまり人様の物をじろじろ物色するのも気が引けるので部屋を後にする。
リビングにいくと、キッチンにいたのはマリアさんだった。朝食を作っている。
「あら、おはよう。タビトくん」
「おはようございます。」
「まだ早いから寝ててよかったのに。ローザなんて私が横で物音立てても全然起きないのよ。」
「はは…僕は大丈夫です。ゆっくり眠れましたし。あ、何か手伝いますよ。」
「そう?じゃあ食パン焼いてもらえる?私はスープを作るからそうしてもらえると助かるわ。バターはコンロに置いてあるからから焼けたら塗ってね。」
「はい。」
キッチンに入りコンロへ向かう。
さて、食パンを焼こう。コンロの上に薄い箱のようになった厚みのある金網を置く。マリアさんがすでにスライスしてある食パンをその上に置く。火は強火。網のそこには細かく穴の開いた焼網受がついてあり、それが火を弱める役割をするので焦げてしまう心配はない。
ちゃんと焼き色を見ていればの話だが。
じっくりと火を通していると香ばしい匂いがしてくる。ひっくり返し、裏表綺麗に焼き目が付いたら網から離し、バターを塗る。それを大皿の上に重ねていく。
それを繰り返していると、背後にぺたぺたとした足音が近づいてきた。
「お母さん、ごはん……」
食パンから目を離し、カウンターテーブルの方を振り返るとそこにはぼっさぼさ頭でシャツ姿で立ち尽くしたローザがいた。
そんな寝起き感たっぷりの彼女の顔がみるみる真っ赤になっていく。
「あ……あぁぁぁぁああああ!!ちょっ、ま、なんでタビトがっ!!じゃなくって、ごめん!!!」
「こらっ!ローザ!部屋から出るときはちゃんと身支度済ませて来なさいっていってたでしょっ!」
母親のお叱りを受け、ひー、と言いながら逃げるように少女は去った。
「あの子ったら…ごめんなさいね。」
「いえ…まぁ……そんなときもありますよね。」
ああいうところもあるんだな。しっかりした子だなと思っていたけれど意外な一面が見れて、少し嬉しい。新鮮だ。
その後、食卓の準備ができマリアさんと一緒に席についていると、奥からローザがとぼとぼと歩いてくる。
「お見苦しいところを…お見せしまして…」
しゅんとしている。気持ちポニーテールにも元気が無いように見える…気のせいだろうか。
「もう、殿方にはしたない姿を見せて…そうならないようにと思って小さい頃から何回も言ってきたのに…」
「……ごめんなさい。」
あぁ、親子の会話だなぁ。
「さっ、食べましょう。はい、タビトくん。モーニングコーヒー。」
「あっ、ありがとうございます。」
もらったコーヒーを飲みながら横目でローザを見る。
わぁ、ちみっちみ食パンかじってる。小動物かな?あられもない姿を見られたのがよほどショックだったんだろうな。
僕も食パンをいただこう。噛むとさくっという音と共に焼きたての小麦の味が広がる。コーヒーにも合う。バター最高。
スープは野菜たっぷりのミネストローネだ。トマトの酸味とベーコンのうま味がよく出ている。美味しい。
そうしてまったりとした朝食を堪能し、食事も落ち着いたころ、マリアさんが思い出したように言った。
「あっ、二人はいつまで連邦にいるの?昨日は旅の話で盛り上がっちゃったから聞くの忘れてたわ。」
「ローザ、どうする?」
「えっ、あー…どうしよっか…帰るまでしか考えてなかったな…」
「そうだなぁ…」
今は仕事も入れていない。情報収集や依頼を受けに連邦を回ったほうがいいだろう。
「少し街を見てからにします。次の仕事があるか酒場にも寄らないと。」
「そう。じゃあまた連邦から出るってなったら教えてね。…そうね、噂だけど小耳に挟んだことがあるの。」
「噂?」
「えぇ、あまり確証のない話をするのもどうかと思ったけれど…」
「いえ、噂も情報源ですから教えていただけると嬉しいです。」
「わかったわ。」
マリアさんは手にしていたコーヒーカップをテーブルに置くと少し怪訝な表情になった。
「『氷の化け物』……その誰も見たこともない魔物に何人もの冒険者が倒されたって話なの。」