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感染症の現状 -医療関連感染の防止には何が必要か?

2020.06.21 05:50


【感染症の現状 (前編)-医療関連感染の防止には何が必要か?】

2019年08月13日 保険研究部 主席研究員・ヘルスケアリサーチセンター兼任 篠原 拓也

■要旨

人類は、有史以前から、常に感染症と闘ってきた。現在も、その脅威から完全に逃れることはできていない。

感染症は、医療が対象とする病気の一種ではあるが、感染症への対処はその範疇にはとどまらない。予防時やアウトブレイク時の各種対策は、自然災害のものと似ており、社会制度、社会心理など、幅広い領域に関係してくる。

本稿と次稿の2回に渡り、感染症の現状を概観していく。読者が、感染症の予防や拡大防止の対策に興味を持っていただければ幸いである。 

■目次

0――はじめに

1――「感染」とは

  1|「感染する」とは

  2|感染症の原因微生物は、コッホの4原則を満たすことにより実証される

  3|感染には、感染源、感染経路、宿主の3つの要素がある

2――感染症の分類

  1|感染原因となる微生物として、さまざまな細菌やウイルスがいる

  2|感染の由来には、環境、動物、ヒトがある

  3|感染が起きる場所によって市中感染と医療関連感染に分けられる

3――医療関連感染の拡大防止策

  1|医療関連感染における予防は、標準予防策が中心

  2|抗菌薬治療は、初期治療、最適治療、予防投与の治療段階に分けられる

  3|感染症の予防には、ワクチンが利用される

4――医療関連感染の細菌

  1|黄色ブドウ球菌は、臨床上もっとも重要な細菌

  2|腸管出血性大腸菌O-157は、わずか50個ほどの菌が体内に入っただけで発症する

  3|緑膿菌は、水が溜まる場所に繁殖しやすい

  4|クロストリディオイデス・ディフィシルは、病院内の患者の下痢の原因として

   一般的

5――医療関連感染の予防

  1|標準予防策では、予防策の具体的な判断が医療従事者に委ねられている

  2|病室での感染の防止策は、病気の原因菌や感染経路によって異なる

  3|手術部位感染の発生率は年々低下している

  4|透析室では、感染拡大防止のために感染者を免疫のある人で取り囲むことも

   行われる

6――医療関連感染の耐性菌対策

  1|政府は薬剤耐性対策のアクションプランで、6つの目標と2020年の成果指標を

   掲げている

  2|医療施設には、「アンチバイオグラム」の作成と活用が求められる

7――おわりに

0――はじめに

人類は、有史以前から、常に感染症と闘ってきた。衛生環境を整備したり、医療における診療技術を高度化させたりして、感染症拡大防止に努めてきた。しかし、現在も、その脅威から完全に逃れることはできていない。

感染症は、医療が対象とする病気の一種ではあるが、感染症への対処はその範疇にはとどまらない。予防時やアウトブレイク1時の各種対策は、自然災害のものと似ており、社会制度、社会心理など、幅広い領域に関係してくる。

健康な人であっても、感染症にかかる不安は拭えない。人々の病気に対する無知や誤解が、感染症のアウトブレイクを誘発してしまう恐れもある。そればかりではない。誤った対策が、いわれのない差別や偏見を引き起こし、二次災害的に被害者を生んでしまうこともある。

本稿と次稿の2回に渡り、感染症の現状を概観していく。読者が、感染症の予防や拡大防止の対策に興味を持っていただければ幸いである。

1 一定期間内に、特定の地域、特定の集団内で、予想されるより多くの感染症が発生すること。

1――「感染」とは

これから感染症とその拡大防止や予防にについて概観していくにあたり、まず「感染する」とはどういうことか、みていくこととしよう。

1|「感染する」とは

「感染する」とは、どういうことだろうか。公衆衛生学では、「感染」とは、「病原体となる微生物が、宿主となる生物の体内に入り、定着・増殖すること」と定義されている2。そして、感染によって何らかの病気になった場合、その病気が「感染症」となる。

2「図解入門 よくわかる公衆衛生学の基本としくみ」上地賢・安藤絵美子・雑賀智也著(秀和システム, 2018年)を参考に、筆者がまとめた。

2|感染症の原因微生物は、コッホの4原則を満たすことにより実証される

感染症は、病原体、すなわち感染の原因となる微生物(「原因微生物」という)によって引き起こされる。微生物学や公衆衛生学などの学門分野が未整備で、顕微鏡などの分析ツールが未発明の段階では、この原因微生物を特定することは、容易ではなかった。感染症の原因微生物を実証するための原則として、19世紀にドイツの細菌学者ロベルト・コッホが唱えた「コッホの4原則」が有名である3。

図表1. コッホの4原則

コッホは、この原則と細菌培養法を組み合わせて、炭疽菌、結核菌、コレラ菌を発見した。1905年には、ノーベル生理学・医学賞を受賞している。この原則をもとに、日本の北里柴三郎とフランスのアレクサンドル・イェルサン(ともに細菌学者)がペスト菌を発見するなど、感染症のベースとなる微生物学が大きく前進することとなった4。

3 ロベルト・コッホは、フランスの細菌学者ルイ・パスツール(ワクチンの予防接種を開発)とともに、「近代細菌学の開祖」とされている。

4 ただし、微生物学が進歩するに連れて、コッホの4原則では証明できない感染症が存在することも明らかになってきている。たとえば、日和見(ひよりみ)感染症のように、もともと体内に常在している微生物が、免疫不全などにより疾患を引き起こす感染症である。その微生物を分離して、別の健康な人に感染させても、日和見感染症は発症しない。

3|感染には、感染源、感染経路、宿主の3つの要素がある

では、感染が成立するための条件はなんだろうか。「感染」の定義をもとにすれば、病原体となる微生物の存在元である感染源、宿主となる生物の体内に入るための感染経路、定着・増殖をする先の宿主の3つの要素が考えられる。感染が成立するためには、これら3要素がすべてが揃う必要がある。

このうち、感染源には、ヒトを含む哺乳類、鳥類、節足動物などの生物と、食品・水・土壌などの非生物が該当しうる。特に、ヒトの場合は、病気の発症者や原因菌の保菌者5が感染源となりうる。

つぎに、感染経路には、空気感染、飛沫感染、接触感染、ベクター媒介感染など、いくつかの経路が考えられる。

そして、宿主は、感染源にある病原体がたどり着いて侵入し、定着・増殖する先である。宿主が病原体に対する抵抗力(免疫)をもっていれば、感染したり発症したりすることはない。

図表2. 感染成立の3要素

ある感染症について、感染の成立を防ぐためには、これらの要素を阻害すればよい。たとえば、感染源をなくすために、原因微生物の消毒を行ったり、感染した人を隔離したりする。感染経路を断ち切るためには、媒介生物の駆除や、検疫の実施が有効となる。また宿主については、ワクチン予防接種や、健康維持がポイントとなる。

感染症について、過去の事例を振り返ったり、対策を検討したりするときには、これらの3要素を確認してみることが頭の整理に役立つだろう。

5 感染源となりうる保菌者は、さらに3つに分けられる。感染直後でまだ発症していない潜伏期の保菌者。感染が進んでも症状を発しない不顕性の保菌者。発症した後回復しつつある回復期の保菌者である。

2――感染症の分類

第1章でみたとおり、感染症には、原因微生物、感染経路など、さまざまな切り口がある。また、感染症として言い表される病気の種類にも、さまざまなものがある。この章では、それらの切り口や種類を具体的にみてみることを通じて、感染症に対する理解を深めていくこととしたい。

1|感染原因となる微生物として、さまざまな細菌やウイルスがいる

感染症としてとらえられる病気には、それぞれの病気を引き起こす原因微生物がいる。原因微生物として、寄生虫、真菌、細菌、ウイルス、プリオン、の5つが挙げられる。

このうち、寄生虫、真菌、細菌には、細胞があり、細胞のなかにDNAとRNAの両方を持っている。このため細胞分裂による自己複製が可能で、なにかの生物に付着していない状態でも、栄養があるなどの条件が整えば増殖することが可能だ。寄生虫と真菌は真核生物、細菌は原核生物である6。なお、寄生虫には、多細胞生物の蠕(ぜん)虫と、単細胞生物の原虫がある。

一方、ウイルスはDNAとRNAのどちらか一方しか持っていない。自己複製はできず、なんらかの細胞にとりついて増殖する。このため、生物学的な分類では、生物には含まれない。

また、プリオンは、DNAやRNAを含まないタンパク質からなる。このため、自己複製はできず、ウイルスと同様、生物学的な分類では生物には含まれない。細菌やウイルスとは別の形で増殖する7。

図表3. 感染原因となる微生物

6 真核生物は「核を持ち、細胞分裂の際に染色体構造を生じる生物。細菌・古細菌以外のすべての生物。真生核生物。」、原核生物は「構造的に区別できる核を持たない細胞から成る生物。細菌と古細菌に分類される。前核生物。原生核生物。」(「広辞苑 第七版」(岩波書店)より)

7 正常プリオンタンパク質に、異常プリオンタンパク質が接近して、二量体を形成する。これにより、正常プリオンタンパク質が、異常プリオンタンパク質に構造転移して、異常プリオンが増加する。

8 クロイツフェルト・ヤコブ病の名は、1920、21年に症例報告をおこなった二人のドイツ人神経学者ハンス・ゲルハルト・クロイツフェルトとアルフォンス・マリア・ヤコブに因む。ただし、クロイツフェルトが報告した症例は今日理解されている症状と相違があるため、実際は別の疾患の患者であった可能性が高いと現在では考えられている。このため病名を「ヤコブ病」と改めるべきとの主張もなされている。

2|感染の由来には、環境、動物、ヒトがある

感染は、どこに由来するのか。大きく分けて、環境からの感染、動物からの感染、ヒトからの感染がありうる。いくつかの例を、次表のとおりまとめた。

図表4. 感染の由来

このうち、ヒトからヒトへの感染の経路には、母親から子どもに感染する「垂直感染(母子感染)」と、それ以外の「水平感染」がある。水平感染には、空気感染、飛沫感染、接触感染などがある。また、垂直感染は、経胎盤感染、産道感染などに分かれる。感染症により感染経路は異なり、感染拡大の規模やスピードに影響する。また、診療やケアにあたる医療関係者の感染予防策も異なってくる。

図表5. ヒトからヒトへの感染経路の分類

このうち、空気感染は、感染が拡大しやすい。結核、麻疹、水痘が空気感染の主な感染症となる9。これらの患者をケアする医療従事者は「N95マスク」という呼吸器防護具を装着する。また、通常、患者は「空気感染隔離室」に入院して感染拡大を防ぐこととなる。

9 空気感染は、さらに3つに分類される。「絶対的空気感染」は自然環境下で、空気感染しかしない病原体による感染。結核が該当する。「優先的空気感染」は自然環境下で、複数の経路で感染するが、主な経路が空気感染であるもの。麻疹や水痘が該当する。「日和見(ひよりみ)的空気感染」は通常は他の経路で感染するが、特別な環境下では、空気感染するもの。SARS、インフルエンザウイルス、ノロウイルスなどが該当する。日和見的感染には、下水や感染者の嘔吐物がエアロゾル(気体中に固体や液体粒子が浮遊している分散系)となり、それを吸い込んだ人が感染するケースなどが含まれる。

3|感染が起きる場所によって市中感染と医療関連感染に分けられる

感染症を、感染が起きる場所で分けると、「市中感染」と「医療関連感染」に分けられる。市中感染は、病院や診療所の外で生じる感染症のこと。一般の人々が生活していく中で、罹患したり伝播したりするさまざまな感染症が含まれる。

一方、医療関連感染は、通常、患者が入院した後48時間経過以降に感染する感染症をいう。医療施設内で、手術や、カテーテル人工呼吸器などの医療機器の処置等に伴って罹患する。一般に、体力が落ちている入院患者の感染は、深刻な事態を招きかねず、医療施設内の感染拡大防止策が求められる。

なお、実際の感染拡大では、市中感染と医療関連感染が並行して進行することもある10。そこで、感染拡大防止のために、両方の対策を同時に行うことも必要となる。本稿(前編)では、第3章以降で、医療関連感染を取り上げる。次回の稿(後編)では、市中感染について代表的な事例などをみていく。

10 一例をあげれば、1976年にザイール(現在のコンゴ民主共和国)で発生したエボラ出血熱では、外来患者を診療していた病院が感染の中心となった。当時、医療資材が限られており、注射器(ピストンと針)が患者間で使い回されていた。外来患者から持ち込まれたエボラウイルスが、この注射器の使い回しにより病院内の患者に広がり、これが感染を拡大させた。さらに感染した患者を家庭内で看病していた家族などが次々とウイルスに感染して、感染拡大に至った。(エボラウイルス病については、後編を参照)

3――医療関連感染の拡大防止策

感染症は、感染が拡大すること自体が特徴といえる。それでは、感染症の拡大を防ぐには、どのようなことが考えられるだろうか。そのための対策として、大きく3つものが考えられる。

(1) 感染した人を「治療する」

(2) 感染した人から他の人への「伝播を防ぐ」

(3) 感染症が起こる前に「予防する」

治療((1))は、一般に、感染症に限らず、どのような病気に対しても行われる。感染症の場合は、患者を治療することで、新たな患者が出ることを防止する。治療には、抗菌薬や抗ウイルス薬が用いられる。伝播防止((2))は、患者をケアする際のガウンや手袋などの着用、ケア前後での手洗い、などを指す。空気感染隔離室での患者の隔離も、これに含まれる。予防((3))は、ワクチンの接種などを指す。手術時の抗菌薬の予防投与も、これに含まれる。

1|医療関連感染における予防は、標準予防策が中心

それでは、医療関連感染についてみていこう。ひとくちに医療関連感染といっても、さまざまな内容のものがある。そこで、米国疾病予防管理センター(CDC 11)は、「標準予防策」と各分野の「ガイドライン」を発行している。この標準予防策やガイドラインが臨床医療におけるスタンダードとして、医療機関の院内感染対策に広く用いられている。(標準予防策については、第5章で詳述。)

図表6. CDCの標準予防策とガイドライン

11 CDCは、Centers for Disease Control and Preventionの略。

2|抗菌薬治療は、初期治療、最適治療、予防投与の治療段階に分けられる

感染症の治療は、抗菌薬の投与が中心となる。この抗菌薬の投与には、発症後の「初期治療」と「最適治療」、曝露(ばくろ)12後で発症前の「予防投与」という治療段階ごとの違いがある。

図表7. 抗菌薬の投与の種類

12 細菌、ウイルスや薬品などにさらされることを指す。

(1) 初期治療

患者になんらかの感染症の疑いがある場合、まず培養検査による原因微生物の鑑別診断が行われる。この培養検査には、一定の日数がかかる。たとえば、感染症の原因微生物を分離して、培養するのに1日。顕微鏡などを用いて、感染部位や原因微生物を特定するのに1日。その微生物の抗菌薬への感受性検査(薬剤が効くか、効かないかという検査)の結果が出るのに1日程度かかる。このため、治療が開始しても、最初の数日間は、原因微生物などが未判明な状態となる。この間は、初期治療として、医師の経験などをベースに、幅広い微生物に効く「広域抗菌薬」が用いられる。

(2) 最適治療

培養検査や感受性検査の結果が判明すると、抗菌薬は特定された原因微生物などに応じた「標準薬」に変更される。これは、「ディ・エスカレーション」と呼ばれる。仮に、初期治療で用いていた抗菌薬が効いていたとしても、ディ・エスカレーションにより、標準薬へと変更される。これは原因微生物に対して、最も効果が高い抗菌薬をピンポイントで使用するためとされる。

(3) 予防投与

感染症の症状が出ていない状態で、原因菌に曝露した人に抗菌薬を投与して、感染症の発症を予防することがある。たとえば、外科手術の前に、患者に抗菌薬を投与するケースがある。また、医療従事者がHIV陽性患者の治療の際に誤って針刺しや切創の事故を起こして、患者の検体に曝露した場合、その医療従事者に抗菌薬を投与することもある。

なお一般に、医薬品やワクチンには、「副作用」や「副反応」の問題がある13。複数の薬剤を併用することによって、「相互作用」が起こることもある。さらに、同じ医薬品を使い続けることで、薬剤耐性菌が出現するおそれがある。感染症の投薬治療では、薬剤耐性菌の出現を防いだり、遅らせたりするために、有効な薬剤による治療を、最後の切り札としてあえて温存するような治療方針もみられる。

13 治療に用いる医薬品によって、治療の目的に沿わないか、生体に不都合な作用が生じる場合、その作用を「副作用」という。特に、ワクチンの予防接種の場合、免疫獲得以外の発熱や腫脹(しゅちょう)などの反応を「副反応」という。

3|感染症の予防には、ワクチンが利用される

感染症に対して、ヒトが持つ免疫機構を活かした予防策がとられることがある。ワクチン接種による、免疫の獲得である。ただし、すべての感染症にワクチンがあるわけではない。また、ワクチンの効果は、病気によって異なる。ワクチンには、生ワクチンと不活化ワクチンがある14。

14 ワクチンには開発時に鶏卵を用いるものがあり、卵アレルギーのある人には接種できないケースがある。インフルエンザワクチンや黄熱病ワクチンは、卵アレルギーがある人には使用できない。なお、CDCは卵アレルギーのある人へのワクチン接種について、2016年に勧告を修正している。卵を食べたところ蕁麻疹(じんましん)のみを経験した卵アレルギーの既往のある人には接種するとされた。血管浮腫、呼吸困難、意識朦朧、繰り返す嘔吐などの蕁麻疹以外の症状を経験した人にも接種してもよいが、その場合は、重症アレルギー状態を認識かつ管理できる医療者により監督されるべきとされた。

(1) 生ワクチン

生きた微生物を、発症しない程度に弱毒化して接種する。終生免疫を獲得することを目指す。接種により感染した細胞や抗体ができるため、不活化ワクチンよりも免疫効果の持続が長いとされる15。

一方、生ワクチンは、生きた微生物を用いるため、免疫不全のある人が接種を受けると発症のリスクが伴う。通常、免疫不全者や妊婦に対しては使用できない。

15 生ワクチンでも、自然感染に比べると、年月とともに抗体の効果が低下して感染症を発症することが判明している。このため、生ワクチンでも複数回の接種をすることがある。たとえば、麻疹、ムンプス、風疹の生ワクチンである三種混合ワクチン(MMR)は、2回の接種とされている。

(2) 不活化ワクチン

微生物の全体または一部を使用する。ワクチンに用いられる微生物は死滅(不活化)しているため、その微生物の感染症に感染することはない。接種により感染する細胞はできず、抗体が血清中に溶解した液性免疫しか得られない。通常、効果は終生免疫とならない。このため、一定期間ごとに再接種をして免疫を維持する「ブースター接種」が必要となる。なお、一般に、不活化ワクチンは、免疫不全者や妊婦への接種も可能とされている。

図表8. 感染症ごとのワクチン

4――医療関連感染の細菌

この章では、医療関連感染を引き起こす細菌についてみていくこととしよう。

細菌の分類法として、グラム陽性・陰性、球菌・桿(かん)菌、好気性・嫌気性がある。これらは、顕微鏡を使って細菌を鑑別・特定したり、培養の条件を決めたり、治療に用いる抗菌薬の選択をしたりする際の手がかりとなる。

まず、グラム陽性・陰性は、微生物の細胞の外膜や細胞壁の違いによる分類。グラム染色16という細胞の染色法で、紫色になるとグラム陽性、赤色になるとグラム陰性とされる17。グラム陽性菌には外膜がなく、細胞壁が250ナノメートル程度と厚い。一方、グラム陰性菌には外膜があり、細胞壁は8ナノメートル程度と薄い18。

つ ぎに、球菌と桿菌は、微生物の形状による分類。球菌は球状、桿菌は棒状のものを指す19。

そして、好気性と嫌気性は、微生物の生育環境による分類。空気中や酸素の存在下で生育するものは好気性、無酸素条件下で生育するものは嫌気性といわれる20。嫌気性の細菌は、通常の培養では菌が増殖しないため、嫌気培養が必要となる。

図表9. 医療関連感染の原因菌の分類 (主なもの)

医療関連感染では、どのような原因菌がよくみられるのだろうか。厚生労働省の院内感染対策サーベイランスの調査21によると、黄色ブドウ球菌、大腸菌、緑膿菌が分離されることが多いようである。

図表10. 主な感染症原因菌の分離患者数 (2017年、検体提出患者数 2,818,296人)

以下では、医療関連感染において分離患者数の多い黄色ブドウ球菌、大腸菌、緑膿菌についてみていく。また、近年、病院内で患者の腸炎による下痢の原因として注目が高まっているクロストリディオイデス・ディフィシルについても、簡単にみていく。

16 1884年に、デンマークの医師ハンス・グラムが発見した。

17 細菌を、まずクリスタルバイオレット(青色)で染色し、水洗のうえ、媒染剤(ヨウ化ナトリウムとヨウ素の混合剤)で処理。それをアルコールで洗ったうえで、サフラニン(赤色)で染色する。クリスタルバイオレットがアルコールにより脱色されなければ紫色でグラム陽性、脱色されれば赤色でグラム陰性となる。

18 1ナノメートル=100万分の1ミリメートル

19 この他に、螺旋(らせん)状の螺旋菌もあるが、桿菌の一種と考えられている。

20 嫌気性の細菌は、酸素があると生育できない「偏性嫌気性」と、酸素があっても生育できる「通性嫌気性」に分けられる。上記図表に例として挙げた細菌はいずれも偏性嫌気性。

21 2000年より厚生労働省は、院内感染対策サーベイランスを実施している。調査は、医療機関における感染症の発生状況の報告と、院内感染対策の推進を目的として、毎年行われている。都道府県を通じて調査に参加する医療機関を募り、そのデータを集計している。

1|黄色ブドウ球菌は、臨床上もっとも重要な細菌

顕微鏡で観察すると、球菌がブドウの房のように連なる形状をしており、培養すると黄金色のコロニー(細菌の集落)を形成するため、「黄色ブドウ球菌」と呼ばれる22。黄色ブドウ球菌は、臨床上、もっとも重要な細菌とされる。

黄色ブドウ球菌には、病原性がある。このことは、ヒトなどの哺乳類の皮膚や鳥類の表皮に常在する他のブドウ球菌(表皮ブドウ球菌)とは異なっている23。黄色ブドウ球菌は、鼻腔、腋下、会陰部、膣内などに保菌しているケースがあり、創傷部などから体内に侵入した場合に感染・発症することが多いとされる。

感染症の症状には、皮下の発赤(ほっせき)や腫脹などを伴う、急性の化膿性炎症(「蜂窩織炎(ほうかしきえん)」と呼ばれる)がある。また、血管内に細菌が侵入すると細菌が全身を循環する菌血症となる。その状態が続くと、頻呼吸・頻脈・体温上昇などの炎症反応を伴う敗血症となり、複数の臓器が傷害される多臓器不全など重篤な状態に至ることもある。

医療関連感染としては、手術部位感染、中心静脈カテーテル関連感染、人工呼吸器関連感染などで原因菌となる24。

黄色ブドウ球菌は、薬物治療において耐性菌が問題となることが多い。これまでに、メチシリンやバンコマイシンといった抗菌薬に耐性をもつMRSA、VRSAなどが報告されている25。治療に用いられる抗菌薬には、効果のある菌が限られる狭域抗菌薬と、幅広い菌に効果のある広域抗菌薬がある。たとえば、MRSAを保菌している人に、広域抗菌薬を使用し続けると、他の菌が死滅してしまい、MRSAが生き残る。このようにして生き残ったMRSAが増殖して、新たな感染症を引き起こすとされる。

このため、治療には、狭域抗菌薬の使用が求められる。薬剤によっては、たとえ効果がある場合でも、他の薬剤の使用後でなければ使用してはならないといった取り扱いルールが決められている。

図表11. アメリカでのブドウ球菌の抗菌薬導入と耐性菌出現

日本では、かつてMRSAの分離率が10%を超えるなど、薬剤耐性菌が蔓延していた。医療の現場で治療薬の厳選が図られた結果、分離率は徐々に低下してきている。一方、フルオロキノロン耐性大腸菌のように、近年、分離率が徐々に高まっている細菌もある。さまざまな原因菌が薬剤耐性を獲得するなかで、適切な治療薬の選択が困難である様子がうかがえる。

図表12. 細菌の分離率(入院患者)の推移

22 現在は、コアグラーゼというウサギやヒトの血漿(けっしょう)を凝固させる酵素をつくるブドウ球菌のことを、黄色ブドウ球菌と呼んでいる。

23 ただし、表皮ブドウ球菌は免疫力の低い患者に対して、日和見感染を起こすことがある。

24 黄色ブドウ球菌は尿管等の上皮細胞との親和性が低いため、通常は尿路カテーテル感染は起こさない。もし尿培養からこの細菌が検出された場合には、血流感染、腎腫瘍、前立腺腫瘍などの考慮が必要とされる。

25 MRSAはMethicillin Resistant Staphylococcus Aureus、VRSAはVancomycin Resistant Staphylococcus Aureusの略。

2|腸管出血性大腸菌O-157は、わずか50個ほどの菌が体内に入っただけで発症する

大腸菌は、ヒトの常在菌として大腸に存在する。通常は、感染症を発症させることはない。ただし、免疫不全のある患者には日和見感染症として、大腸菌が血流などに乗って感染症を起こす場合がある。

大腸菌のうち、感染症が問題になるのは「腸管出血性大腸菌」で、重症患者では痙攣(けいれん)や意識障害などの脳症や、「溶血性尿毒症症候群(HUS 26)」を起こすことがある。HUSは、溶血性貧血、血小板減少、腎臓の細い血管内に血小板血栓が生じることによる急性腎不全が主な症状となり、致死率が高くなる。これまでに国内では、汚染された井戸水などが原因となって、医療施設での集団感染が発生している。特に、O-15727は、30分ごとに二分裂を繰り返すような高い増殖能力を有している。このため、体内にわずか50個ほどの菌が入っただけでも、10時間後には100万個以上に増殖して、大腸内でベロ毒素と呼ばれる毒素を産生して発症に至るとされる。

医療施設では、まず、日常的な給食管理における腸管出血性大腸菌による集団感染の1次発生を防止する。併せて、感染症を発症している患者の入院を受け入れる際に、他の入院患者や医療従事者への伝播による2次感染を予防することも重要となる。腸管出血性大腸菌感染症に対しては、標準予防策に加えて糞便を中心とした接触感染予防策がとられる。

26 HUSは、Hemolytic Uremic Syndromeの略。

27 O(オー)は、O抗原という細胞壁の抗原を意味する。大腸菌は、O抗原によって180種類ほどに分類される。O-157は、157番目に発見されたため、そのような名称となった。

3|緑膿菌は、水が溜まる場所に繁殖しやすい

緑膿菌は、水が溜まる場所に繁殖しやすいとされる。このため、病院内のトイレ、浴室などの水回りで繁殖して、患者に感染する頻度が高い。ときには氷嚢(のう)用の氷の製氷機のなかで、緑膿菌が増殖するといったケースもある。

緑膿菌は、傷口に感染したときに、緑色の膿を出すことからこのように名づけられた。緑膿菌の病原性は低く、通常、健康な人は感染症を起こすことはないとされる。緑膿菌が起こす感染症は、主に免疫力の低い患者に対する日和見感染である。

一般に大腸菌や緑膿菌等のグラム陰性菌は、グラム陽性菌よりも高い薬剤抵抗性を持つとされる。このうち、緑膿菌は、抗菌薬の継続使用により、耐性を獲得しやすいとされる。複数の抗菌薬に耐性を示す多剤耐性緑膿菌(MDRP28)も出現している。このため、治療に抗菌薬を用いる際の選択範囲が限られるという問題も出てきている。緑膿菌の感染が想定される場合には、初期治療と最適治療とで、厳格に抗菌薬を変えるといったことも行われている。

28 MDRPはMulti Drug Resistant Pseudomonas aeruginosaの略。

4|クロストリディオイデス・ディフィシルは、病院内の患者の下痢の原因として一般的

病院内で、腸炎により発症する頻度の高い下痢として、クロストリディオイデス・ディフィシル感染症(Clostridioides difficile infection, CDI)が知られている。抗菌薬の投与により、腸内細菌叢(そう)(腸内で一定のバランスを保ちながら共存しているさまざまな腸内細菌の集まりで、「腸内フローラ」とも呼ばれる)が破壊されると、クロストリディオイデス・ディフィシル(CD)という菌が増殖する。この菌がトキシンという毒素を産生して、腸炎を引き起こす。CDIの症状は、下痢や腹痛が中心となる。

CDIの感染を予防するためには、患者を個室管理29し、トイレを他の患者と共有しないことと、医療従事者の予防策が必要となる。

医療従事者を通じた患者間の感染を防ぐために、標準予防策と接触感染予防策が用いられる。特に、医療従事者は、患者ケアの前後に衛生的手洗い30をする必要がある。CDは、「芽胞」を形成することが特徴とされる。この芽胞には、アルコール消毒が効かない。このため、CDIを防ぐためには、石鹸と流水での手洗いが必要となる。また、医療従事者は、患者ケアの際、ガウンと医療用手袋の着用が求められる。このガウンや手袋を使い回しは禁止とされており、患者ごとに廃棄される。

29 すべての感染患者に対して個室が確保できない場合もある。その場合は、同じ病原体の保菌者、感染者を、同じ大部屋で入院させる。これは「患者のコホーティング」と呼ばれる。アウトブレークが起こり、感染患者が多数発生している場合、医療従事者のうち、専任スタッフを指定する「スタッフのコホーティング」が行われることもある。専任スタッフは、感染患者のみをケアして、他の患者のケアは行わない。これは、スタッフの手指や衣類を介した患者間の感染拡大や耐性菌の移動を防ぐ狙いがある。

30 手洗いには、一般の人が食事前やトイレ後に行う「日常的手洗い」、医療従事者がケアの前に行う「衛生的手洗い」、手術前に行う「手術時手洗い」がある。

5――医療関連感染の予防

この章では、医療関連感染の予防策を概観する。標準予防策をベースに、病室、手術、透析室での感染について簡単にみていく。

1|標準予防策では、予防策の具体的な判断が医療従事者に委ねられている

医療関連感染の予防は、標準予防策をベースに行われる。そこでは、「全ての湿性生体物質(血液、汗を除く体液、分泌物、排泄物、粘膜、損傷した皮膚)は、何らかの感染性を持っている可能性がある」という考え方を前提にして、感染対策が決められている。

具体的には、つぎの10個の項目について、定められている。

図表13. 標準予防策の10項目

標準予防策では、感染対策をとるかどうかの判断が、医療従事者に委ねられている。後述の感染経路別予防策のような詳細なルールが定められているわけではなく、医療従事者が状況に応じて判断しなくてはならない。その意味で、予防策としての難易度が高いとされる。

また、標準予防策は、常時行われるもので、感染症予防策のベースといえる。標準予防策だけでは感染経路を完全には遮断できない場合に、感染経路別予防策(接触感染予防策、飛沫感染予防策、空気感染予防策等)が用いられる。複数の感染経路がある場合には、複数の感染経路別予防策が併用される。

2|病室での感染の防止策は、病気の原因菌や感染経路によって異なる

病室での入院患者のケアは、原因菌や感染経路によって異なる。感染経路別予防策について、接触感染、飛沫感染、空気感染別にみていこう。

(1) 接触感染予防策

患者とその周辺環境への接触を通じて、感染病原体が伝播することを防止する。患者をケアする医療従事者は、病室に入る際にガウンと手袋を装着し、病室から出る前に廃棄する。患者は個室へ入院させるが、個室が不足する場合は、同じ病原体の保菌者・感染者を同じ大部屋で入院させる「コホーティング」が行われる。

(2) 飛沫感染予防策

飛沫に含まれた患者の呼吸器からの分泌物が、別の人の呼吸器や粘膜に接触して感染病原体が伝播することを防止する。飛沫感染では、病原体が感染性を維持しながら長距離を移動することはないため、換気や特別な空気処置は不要とされる。患者をケアする医療従事者は、病室に入る際に「サージカルマスク31」を装着し、退室時に廃棄する。また、患者も咳エチケットとして、サージカルマスクを装着する。

31 耐水加工で水滴を通しにくい外層、高密度でほこり・飛沫などに含まれるウイルスを捕集する中間層、肌触りや通気性のよい内層、の三層構造からなる。平均径3マイクロメートル(1000分の3ミリメートル)以上の粒子が除去される割合は、95%以上とされる。

(3) 空気感染予防策

空気中を浮遊して、長距離に渡って感染性を維持しうる病原体が伝播することを防止する。患者は、「空気感染隔離室」に入室させる。病原体を含んだ空気流が室内から外部に出ていかないよう、室内の空気圧が隣接区域よりも陰圧となるように維持する。病室の扉は、必ず閉める。患者をケアする医療従事者は、入室時に「N95マスク 32」を装着する。一方、患者は咳エチケットとして、サージカルマスクを装着する。

32 Nは「耐油性なし(Not resistant to oil)」、95は最も捕集しにくいとされる動力学的直径が0.3マイクロメートルの粒子に対する試験で「95%以上の捕集効率を示した」ことを意味する。N95マスクは、工事現場のような油分を含む環境では使用できない。装着にあたり、空気の漏れがないか、事前にフィットテストを行っておく。フィットテストには、噴霧したサッカリンの味を装着状態で感じるかどうかといった定性的フィットテストと、専用機器によりマスクの内外の室内粉塵の割合を測定する定量的フィットテストがある。そして臨床医療において、フィットテスト合格済のN95マスクを装着する際は、息を吐く陽圧チェックと、息を吸う陰圧チェックのシールチェックを通じて、空気の漏れがないことを確認する。

3|手術部位感染の発生率は年々低下している

手術を行う場合、患者には、手術部位感染のリスクが伴う。CDCの診断基準では、術後30日以内に起こった手術部位の感染症を、「手術部位感染」と定義している。

厚生労働省の院内感染サーベイランスによると、近年、手術部位感染の発生率は年々低下している。これは、大腸や直腸の手術等で内視鏡手術が増え、感染のリスクが低下していることなどによるものとみられる。

図表14. 手術部位感染発生割合(推移)

感染防止対策として、手術を行う医師や看護師は、手術前に「手術時手洗い」を行う。この手洗いでは、液体石鹸と流水を用いて指先から肘まで洗い流す。流水は水道水でもよい。ペーパータオルで水分を拭き取ってから、消毒液を含んだアルコールで、指先から肘まで5分未満で擦り込む。そして、乾いた後に、手術着と手袋を装着する33。

また、災害や事故に伴う救急処置として手術を行うような場合、患者は大量の出血をすることがある。医療従事者は、患者の血を浴びる血液曝露の恐れがあるため、ゴーグルやフェイスシールドを装着して、眼や顔面を守ることが必要となる。

33 以前は、ブラシを用いて、洗浄剤を含んだ消毒薬で5分以上手洗いを行っていた。しかし、そのために手荒れが悪化して、かえって手に付着する細菌が増えてしまうことがあったといわれる。

4|透析室では、感染拡大防止のために感染者を免疫のある人で取り囲むことも行われる

患者に人工透析を行う透析室には、手術室や病棟とは異なる特殊性がある。まず、血液透析を受ける患者の血液が飛散しやすい。患者の血管に、何度も穿刺針が挿入されるためだ。また、1回4時間程度の透析中、他の透析患者と透析室を共有する。すなわち、透析室では数件の小手術を同時に行っている状態とみることができる。このため、感染症の病原菌が患者間で伝播する恐れがある34。

特に、B型肝炎ウイルスは透析装置のコントロールスイッチ、鉗子(かんし)、はさみ、ドアノブなどに生息して1週間程度感染力の維持が可能とされる。このため、透析室の感染予防策が必要となる。

予防策の1つとして、透析を受ける患者のベッド配置が工夫される。B型肝炎ウイルスに感染している患者(同ウイルスの外殻を構成するHBs抗原というタンパク質が検出される患者)のベッドを透析室内の隅に配置する。そして、B型肝炎ウイルスに対する免疫を持っている患者(HBs抗原に対する抗体を持っている患者)のベッドを、それを取り囲むように配置する。B型肝炎ウイルスに対する免疫を持っていない患者のベッドはその外側に配置する。つまり、感染防止のために、免疫を持つ患者を緩衝として配置する形をとる。加えて、ケアを行う医療従事者について、感染者と免疫を持っていない患者の同時ケアは不可とする。ただし、感染者と免疫保持者のケア、免疫保持者と免疫を持っていない患者のケアは可とする。このようにすることで、ケアを通じた感染を防止する。

6――医療関連感染の耐性菌対策

抗菌薬治療を進めるうえで、耐性菌への対策は大きな課題となりつつある。この章では、耐性菌対策についてみていく。

1|政府は薬剤耐性対策のアクションプランで、6つの目標と2020年の成果指標を掲げている

感染症の原因菌に対して、さまざまな抗菌薬が開発されている。一般に、抗菌薬は、繰り返して使用しているうちに、耐性菌が出現して効かなくなってしまう。そうした場合に、耐性菌に効果のある、別の抗菌薬が使用される。しかし、いずれその抗菌薬に対しても耐性を持つ菌が出現する。抗菌薬による治療は、このような耐性菌とのいたちごっこを免れない。

耐性菌の出現を遅らせるためには、むやみに抗菌薬を使用するのではなく、投与する順番や量を踏まえて、適切に抗菌薬を選択して使用する必要がある。不要な投与をすれば、早期に耐性菌の出現を許すリスクが高まる。

首相官邸に2015年に設けられた「国際的に脅威となる感染症対策関係閣僚会議」は、このような薬剤耐性の問題について議論を進めてきた。そして2016年に、「薬剤耐性(AMR)対策アクションプラン」(以下、「アクションプラン」)を公表した35。その内容を簡単にみていこう。

35 AMRは、AntiMicrobial Resistanceの略。

(1) 6つの目標

アクションプランでは、6つの目標が設定されており、それぞれについて戦略が立てられている。薬剤耐性についての国民への普及啓発・教育、医療等での抗微生物剤の使用量の動向調査、薬剤耐性等についての研究、国際協力などが掲げられている。

図表16. 「薬剤耐性(AMR)対策アクションプラン」における6つの目標

(2) 成果指標

アクションプランでは、2020年時点の成果指標が掲げられている。耐性菌の出現状況(分離率)と、抗菌薬の使用量についての数量指標である。2018年に公表された2017年時点の進捗状況をみると、目標値との乖離が大きい指標が多い。目標を達成するためには、さらなる取り組みの強化が求められる状況といえる。

図表17. 「薬剤耐性(AMR)対策アクションプラン」における成果指標の進捗状況

2|医療施設には、「アンチバイオグラム」の作成と活用が求められる

薬剤耐性菌は、各医療施設内でさまざまな形で蔓延する。どの原因菌にどの抗菌薬が効くか(感受性を持つか)、効かないか(耐性を持つか)という状況は、医療施設ごとに異なってくる。そこで、抗菌薬の選択は、医療施設ごとに判断することが必要となる。

各医療施設で、原因菌に対して感受性を有する抗菌薬の一覧表リストを「アンチバイオグラム」として用意し、院内の医師による抗菌薬の処方に活用していくことが、耐性菌対策として重要となる。

アクションプランでは、各医療施設で、アンチバイオグラムを作成するためのマニュアルやガイドラインの整備が、薬剤耐性対策の取り組みの1つとして示されている。

7――おわりに

本稿では、感染症の概要と、医療関連感染の現状についてみていった。ひとくちに感染症といっても原因菌や感染経路は多様であり、治療法、感染拡大防止策、予防策もそれに応じて異なったものとなる。どのような治療法や対策をとるか、という判断は、臨床の医師や医療従事者に委ねられている。その判断によって、医療関連感染は拡大することもあれば、防止できることもある。入院する患者は、医療従事者の指示に従って、感染拡大防止に協力することが必要となろう。

次稿では、感染症の市中感染をみていく。感染症が人類の歴史にどのような影響を及ぼしてきたか、過去の事例を概観して、そこからいくつかの気づきを抽出していく。また、病気が拡大する様子を表す数理モデルについても簡単に触れていく。

その上で、次稿の最後に、感染症への対策について、まとめと私見を述べることとしたい。

【参考文献・資料】

(下記1~11の文献・資料は、包括的に参考にした)

「感染症まるごと この一冊」矢野晴美著(南山堂, 2011年)

「ウイルス・細菌の図鑑 - 感染症がよくわかる重要微生物ガイド」北里英郎・原和矢・中村正樹著(技術評論社, 2016年)

「矢野流! 感染予防策の考え方 - 知識を現場に活かす思考のヒント」矢野邦夫著(リーダムハウス, 2015年)

「You Can Do it ! CDCガイドラインの使い方 感染対策 - 誰でもサッとできる !」矢野邦夫著(メディカ出版, 2019年)

「図解入門 よくわかる 公衆衛生学の基本としくみ」上地賢・安藤絵美子・雑賀智也著(秀和システム, 2018年)

「創薬科学入門(改訂2版) - 薬はどのようにつくられる? - 」佐藤健太郎著(オーム社, 2018年)

「人類と感染症の歴史 - 未知なる恐怖を超えて」加藤茂孝著(丸善出版, 2013年)

「続・人類と感染症の歴史 - 新たな恐怖に備える」加藤茂孝著(丸善出版, 2018年)

「パンデミックを阻止せよ! - 感染症危機に備える10のケーススタディ」浦島充佳著(化学同人, DOJIN選書049, 2012年)

「怖くて眠れなくなる感染症」岡田晴恵著(PHPエディターズ・グループ, 2017年)

「インフルエンザ なぜ毎年流行するのか」岩田健太郎著(KKベストセラーズ, ベスト新書593, 2018年)

(下記の文献・資料は、内容の一部を参考にした)

「広辞苑 第七版」(岩波書店)

「動物由来感染症ハンドブック2018」(厚生労働省)

“Standard Precautions for All Patient Care”(CDC)

“Guidelines Library”(CDC)

「院内感染対策サーベイランス 検査部門」(厚生労働省)

“Antibiotic Resistance Threats in the United States, 2013”(CDC)

「墨東病院院内感染対策マニュアル」(東京都立墨東病院ホームページ)  http://bokutoh-hp.metro.tokyo.jp/hp_info/kansenkanri_manual.html

「院内感染対策サーベイランス 手術部位感染(SSI)部門」(厚生労働省)

「薬剤耐性(AMR)対策アクションプラン」(国際的に脅威となる感染症対策関係閣僚会議, 2016年)

「薬剤耐性ワンヘルス動向調査 年次報告書2018」(薬剤耐性ワンヘルス動向調査検討会, 平成30年11月29日)