不要腐朽の断捨離で
少しずつ少しずつ、世の中、社会が、再び動き出しているようで、けれどそれはあの新型コロナが猛威をふるう前の『世界の状態』とは同じではないですね。
私の悲嘆も、少しそれに似通っている部分もあるんでしょう。
娘の自死から『物事への向き合い方』が変わってしまったように思います。
途方もない大きな悲しみを抱えてでも、生きていくことを選択した?(なんて言うとおこがましいですが)、どうにか生かされています。
精神面での浮き沈みはあるにしろ、わりに健康状態であるようで、そのぶんアンテナが張っているので日々要らぬことまで感知してしまい、しんどいこともあります。
生きる上ではもうこれ以上心に余計な負荷をかけたくないのが本心です。
防衛本能も以前より作動してるのでしょう。
で、変な話、自分の心に素直に行動するようになりました。
無理なところで頑張りたくないんですよね(^_^;)。
無理のないところで、踏ん張るスタイル?になってきています。
* * *
事後間もない頃の話です。
娘の自死、そして自身の肺の手術、その後退院してから自宅療養中のことでした。
家庭ゴミを出す日、よろよろと町内班の集積所にゴミ袋を出しにいくと、交流こそないけれど挨拶は交わしているご近所の年配女性に声をかけられました。
『具合が悪そうだけど、どうかしたの? あなたにはお子さんがいらっしゃいましたか?』………と。
なんでしょうか、このよくわからない二つの質問は(^_^;)。
体を気遣う質問のあとに、お子さんはいらっしゃいましたか??とは??
脈絡欠如?………はて………。
亡き娘は学校敷地内での自死だったこともあり、すぐに全国ニュースでも流れてしまっていたし、直後から周知のことでしたから、居住地域、ご近所にも一気に噂が流れていたんですね。
なのでこの年配女性は探りを入れてきたわけです。
『実は肺の手術からまだ日が浅いので……痛くてまともに歩けないんです。それとうちの娘(長女)は自宅から大学に通ってます』
と、探りを入れてきたところについて、“嘘は言わない”けれど“上手く外して”答えました。
早朝から、こんな場所で、自死した我が子の話は無理、というより爆弾をぶっ飛ばすような行為でしょう。
三年以上も前のことなのに、つい先日のことのように、いまだにゴミ集積所に行くと思い出してしまう嫌な質問。
その、班違いで声をかけてきた年配女性は小学校で教師をしていたと、交流のあるご近所さんから聞きました。
詮索するとしても、もう少し脈絡のある会話でキメられなかったのでしょうか。
ずばり断捨離対象です。
その人の肩書だったり、過去の経歴だったり、そういうので人を見ることは一切しなくなりました。
今、自分の心に無理なく、不要腐朽の断捨離で少しでもスッキリンコ。
できる限り生きやすく、が、現在の私のモットーです。
あれから物にしろ人間関係にしろ断捨離を多くしてきましたが、空いたスペースが出来たことで、そこに大事に置きたい救いになる出会いがたくさんありました。
もちろんウェブ上でも、有り難い言葉や考え方、人との出会いは続いています。
📷遺品整理80%まで進んだ亡き娘の部屋で昼寝中のニャンズ。この子たちとの出会いも。。
◆自死遺族の集い◆