戦前… 本土では
本土に住む奄美人
奄美は、苗字が漢字一文字なのが多い。
私の祖母は「日本人に殺される」が口癖だった。
除籍をして苗字も漢字二文字に変えて、大和人になりすます、本土で生きるために。
そもそも、何故に奄美から移民する事になったかともなるんだけどね。
私の祖父母は、明治生まれの奄美人。
◆朝鮮人虐殺:親の目の前に子供たちを並べて首を切った「本庄事件」
◆RT:朝鮮語には濁音がないことから『「五十円五十銭」を言ってみろ』とは道行く人に問い、言えなければ暴行、殺害した。地方から来た方言をしゃべる人や滑舌が悪い人、身体障害者などほぼ無差別に暴行を受けた
関東大震災*ニコニコ大百科より
◆山本おさむ『わが指のオーケストラ』
http://sarutora.g2.xrea.com/comics/wagayubi.html
2003/09/01 山本おさむ『わが指のオーケストラ』
6月17日、24日の朝日新聞夕刊「窓」欄に「手話は母語」という論説文が載り、その後、8月9日に「私の視点」欄で「ろう学校教育 手話のできる教師の増加を(村松孝徳)」が載りました。それらの記事で、日本のほとんどのろう学校では手話が教えられておらず、手話ができる先生も少ない、ということをはじめて知った人もいると思います。なぜろう学校で手話が教えられない(それどころか禁止されたりする)のか。それは、日本のろう教育が、「口話主義」という考え方を採用してきたからです。口話主義とは、ろうの子供達に、唇のうごきから話の内容を読みとる(読話)訓練と、発声(発語)の訓練を平行して行う口話法教育を重視する考え方です。アメリカで発生し、19世紀末に世界のろう教育で広まったこの考え方においては、手話を使うことは口話の妨げになる、として手話が禁止されました。その後、世界ではこの考え方の見直しも進んでいるのですが、日本のろう学校ではいまだに口話主義が主流だということです。
そうした口話主義を激しく批判し、手話は「音声言語を使うことのできない人のための、”不完全な”代替品」ではなく、「音声言語に匹敵する、複雑で洗練された構造をもつ言語である」という事実を訴え、「ろう者とは、日本手話という、日本語とは異なる言語を話す、言語的少数者である」と宣言しているのが、木村晴美十市田泰弘氏の「ろう文化宣言―言語的少数者としてのろう者―」です(『現代思想』一九九五年三月号、『ろう文化』現代思想編集部・編 青土社 2000年に再録)。授業で、ろう者の文化(ろう文化 Deaf culture )の話をするときには、山本おさむ氏の『わが指のオーケストラ』というマンガ(91~2年に『ヤングチャンピオン』で連載)を紹介しています。大正から昭和初期を舞台にしたこのマンガは、日本のろう学校でどのように口話法が広まっていき、手話が弾圧されるようになったか、ということを、日本で唯一手話法を守り続けた大阪市立盲唖学校校長の高橋潔(実在の人物)を主人公に、詳しく描いています。なかなか、いいマンガです(アマゾン・オンラインブックストア)。
さて、この『わが指のオーケストラ』には、大正7年の米騒動と共に、大正12年の関東大震災が描かれています。大正12年9月1日に関東を襲った大地震と火災による被害は、死者10万人、重傷者3万人余におよんだということです。しかし、関東大震災における死者は、地震と火災による死者だけではなかったわけです。以下は、関東大震災で生き残った東京聾唖学校生徒の一作という登場人物が、震災の状況を語る(もちろん手話で)場面です。
一作 地獄です……東京は…まさに地獄です 東京の荒川を渡って 埼玉県の大宮まで線路を歩いて やっと汽車に乗れました その間に何百…何千もの死体を見ました 壊れかけたビルには 殺された朝鮮人の死体が針金で縛りつけてありました 川では自警団に殺され投げ込まれた死体にウジがわいていました
高橋潔 何故だ!? 朝鮮の人達が暴動を起こしたというのは本当なのか!?
一作 デマです!! そんな事はありません おかしいのは軍隊や警察や自警団の連中です!! 連中は片っぱしから朝鮮人を見つけては追い回し捕まえて よってたかって虐殺しました そして…… 殺されたのは朝鮮人や社会主義者だけではありません ろうあ者も殺されました!! 東京聾唖学校の生徒も殺されました!!
高橋潔 何故だ!! 何故ろうあ者が!!
一作 50円50銭です……朝鮮の人は大体「こちゅーえんこちゅーせん」と発音するんだそうです だから憲兵に「50円50銭」と言ってみろと言われ でも黙って答えませんでした その ろうあの生徒は憲兵に呼び止められても耳がきこえないために答えられませんでした だから…朝鮮人だと思われて 憲兵に連れていかれ殺されました
(山本おさむ『わが指のオーケストラ』第22話、秋田文庫、第二巻、238~242ページ)
マンガの一シーンではありますが、これは実話に基づいて描かれています。
いうまでもなく、これは、ろう者が朝鮮人と「間違えられて」しまったという悲劇、ではありません。そもそも、朝鮮人や社会主義者が暴動を起こした、という情報に関しても、それは確かに「間違い」であり「デマ」だったわけですが、問題の本質はそこにはない、とも言えます。恐怖にかられた市民たちは、その暴力の矛先を、まさに「間違わずに(正確に)」自分たちが差別してきた「他者」たちに向けたわけです。この辺の構図は、(単純化しすぎという批判はあるにせよ)あのボーリング・フォー・コロンバインが描いていたのとまったく同じ構図です。『わが指のオーケストラ』では、自らろう者でもある、大阪市立盲唖学校の福田先生はこう語っています。
我々が おし つんぼと 差別を受けてきた事と 今度の震災で朝鮮人や社会主義者が虐殺された事は 決して無関係じゃない 国家は権力を維持し強化するために差別の体制を作りあげ……軍隊や警察や市民に差別を実行させるんだ
(同書第23話、秋田文庫、第二巻、245~246ページ)
◆コミック紹介 山本おさむ作
わが指のオーケストラ
http://japanlabor.party/letter/001025f.html
この漫画は、生涯をろう教育に捧げた高橋潔氏の生涯を描いた作品だ。
一九一三年、貧しい生活のために音楽の道を断念した潔は、やむなく大阪市立盲あ学校の教師となる。ここで耳の不自由な子供たちと手話に出会う。潔は手話を通して、彼らの心に音楽を鳴らす道を進み始める。
当時、障害者は家庭に閉じ込められ、教育を受けることもなく社会の片隅で生きていた。この子らが人間らしく生きていけるように学校、家庭、地域、社会を変えていくため、潔は奮闘する。ろう教育は手探りの時代であった。一九二八年には手話学級は全面廃止となり、ろうあ学校のほとんどが口話法(読唇し発声する方法)を採用する。しかし、潔は「ろうあ者が手話をすることが認められる世界、すべての人びとが手話を理解する世界を理想とする」との信念から、「口話に適する者には口話法、適さない者には手話法で、一人の落ちこぼれもない適正教育を」と訴え、全国で唯一、手話教育を守り続けた……。
* * *
時代背景は大正初期から昭和中期だ。障害者を排除してきた社会と、その中で虐げられてきた人びとの姿が、強烈に描き出される。
とりわけ一九一八年の米騒動の描写は、ていねいで感動的だ。「米騒動の先頭に立った多くは社会的差別を受けていた人たちだった。なぜ世の中に差別があるのか」と問いかけている。また、関東大震災時に朝鮮人が虐殺されたが、「五十円五十銭」が言えないろうあ者が多数虐殺されたことも描かれている。
そして、潔が亡くなった後も、ろうあ者自身が団結して立ち上がり、「手話の否定は聴覚障害者の人間性の否定に結びつく」として、手話を守る運動をつくり出していく。
山本おさむ氏は、「遥かなる甲子園」や「どんぐりの家」など、障害者をテーマにした作品を発表している。ろう教育の歴史を知ると同時に、「人間らしく生きる」とは何かを考えさせてくれる作品である。(U)
差別…
千葉県での生活、幼稚園入園に巡っての出来事が、これが今でも、私の心に棘が刺さったまま。一瞬にして、闇に放り込まれたような突き落とされたような、社会から放り出されたような、本当に一瞬にしてだった。それからの事は、そして。
とにかく、子どもの笑顔を守る。
子どもの笑顔を守る、それには?
結局は、そこにもなってくる…
保守王国、鳥取県での生活は
色んな意味での学び
ここでの恩
思想云々以前に、支えてくれた人々
選挙では、私は石破さんへ票を投じるどころか…だったけどね。
https://www.amazon.co.jp/dp/4253175724/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_h0q8EbV04M98R