吉野・吉田のかくれ念仏
2020.06.22 21:33
吉野のかくれ念仏の洞穴
薩摩藩では、一向宗(浄土真宗)の教義(親鸞のおこした仏教宗派。阿弥陀仏に救われるかぎり師も弟子もない。信者を同朋同行とよんで平等であるという)が、領主権力の軽視にまで発展するということで、400年もの長い間禁制とし、徹底した取り締まりを行いました。一向宗の信者たちは、かくれて洞穴の中で仏像を拝み、念仏をとなえ信仰を続けました。その名ごりが、吉野地区には、12カ所残っているといわれています。
(案内板の説明より抜粋)
雀ガ宮のかくれ念仏洞穴
この洞穴は、三つに分かれていて、手前から偽装洞穴・修業洞穴・説教洞穴となっていて、修業洞穴・説教洞穴は、約16m30cmの間道でつながっています。(間道は大人が歩いて34歩。両出入り口は少ししゃがまないといけないが、中央は170cmの背がまっすぐ立てる高さがある。間道の側面には灯を置いたと思われるくぼみが何カ所かある。)
説教洞穴には、本尊棚があって、大変大がかりな洞穴であったことがわかります。
花尾のかくれ念仏
鹿児島市花尾町2312
高さ14メ-トル・横幅8メ-トル・奥行4メ-トルの、天然の洞穴である。
浄土真宗禁制の藩政末期、この地方の信者達は藩監視がきびしかったので、ひそかに仏壇をここに持ち込み法悦の夜をおくり、また風雨の日や人なき時をえらんで本尊を石谷彦左エ門の家に持ち出して御座を開いたり報恩講を勤めたりして念仏の灯をもやし、終わるとまた本尊や仏具をこの洞穴に隠したと言い伝えられている。
都迫のかくれ念仏
薩摩のかくれ念仏、殉教秘話『血は輝く』佐々木教正著に取り上げられている洞窟である。
薩摩藩が厳しい真宗禁制を行った頃(1550年頃以降)藩の役人の目を逃れて、仏を拝んだり修行するために造られた洞窟であろう。入口は、断崖の中ほどにあり外部からは所在がわかりにくくなっている。
内部の構造は、よほど巧みに造られており、上部にむかって空気の抜け穴がある。奥に小さな室を設け、通路・位置などにいろいろな工夫がなされている。
(吉田町教育委員会の案内板より)