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粋なカエサル

「日本の夏」8 朝顔①「つゆ忘られぬ朝顔」

2020.06.23 00:26

   「朝顔は 朝露負ひて 咲くといへど 夕影にこそ 咲きまさりけり」

  (朝顔は朝露を浴びて咲くというが、夕方の薄暗い光の中でこそ輝いて見える)

 これは万葉集の一首だが違和感あり。昼前にはしぼんでしまうはずの朝顔が、夕方の方がきれい、と詠まれているからだ。実は、この「朝顔」は木槿(むくげ)か桔梗(ききょう)だとされる。日本人になじみ深い朝顔(ヒルガオ科サツマイモ属)の原産地は、日本ではなく熱帯アジア。奈良時代末期に日本に入ってきたとされており、万葉集が書かれた奈良時代以前の日本では、キキョウやムクゲなど朝に咲く花のいくつかをアサガオと呼んでいたようだ。

 平安時代になると多くの文学作品に登場する。まずは『源氏物語』。光源氏は実に多くの女性に求愛し、口説き落とすが、実は源氏のしつこい求愛を拒絶し通した女性が3人いる。まず、六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)の娘秋好(あきこのむ)中宮と夕顔の娘玉鬘。この二人は源氏のかつての恋人の娘。父親のような存在の源氏に落ちなかった理由もうなづける。

 もう一人は誰か。それが「朝顔」の姫君なのだ。彼女は源氏の父桐壺帝の弟、式部卿宮の娘だから、源氏の従姉妹に当たる。源氏は17歳頃からこの姫君と文通、つまり求愛している。しかし、朝顔の姫君はさりげなく気のきいた返事をかえしながら、決してなびこうとしない。源氏が多情なことも知っている。辛く恥ずかしい目にあった六条御息所の二の舞にだけはなりたくないと思い、次第に返事も書かないように心がける。しかし、露骨に源氏に恥をかかすような気まずい思いはさせない程度の、情のあるあしらいはする。そのあたりが朝顔の姫君の聡明さで、源氏が惹かれるところでもある(ただし、男にとってこういう対応が勘違いをさせられる困りもの)。求愛をはじめてから9年たっても源氏は、なかなかこの恋を思い切れない。そんな時こんな和歌のやり取りがある。秋の朝、源氏が霧をながめていると、枯れた花の中に朝顔があちこちあるかないか目立たず咲いていた。源氏は、かつて朝顔の花を贈った姫宮に、頼りなげに咲いて色合いの変化した朝顔をわざわざ選んで添えて、次の歌を贈る。

  源氏 「見しをりの つゆ忘られぬ 朝顔の 花のさかりは 過ぎやしぬらん」

(かつて会ったおりのあなたのことが忘れられません。あの朝顔の花の盛りは過ぎてしまったのですか)

  朝顔 「秋果てて 霧の籬(まがき)に むすぼほれ あるかなきかに うつる朝顔」

(秋が終わって霧が立つ垣根にしおれ咲いた、あるのかないのか定かではないように見える朝顔。それが私なのです。)

 源氏としては、朝顔の気持ちを一歩踏み出させるために「花のさかりは 過ぎやしぬらん」などと、なんとも挑発的な言葉を投げかけたのだが、「その通り。それが何か?」とあっさりかわされてしまった。滑稽にすら感じられる光源氏との対比で朝顔の聡明さが際立つ場面だ。

 清少納言『枕草子』第46段にも朝顔は登場する。

「草の花は撫子(なでしこ)。唐のはさらなり、大和のもいとめでたし。女郎花(をみなへし)。桔梗(ききやう)。朝顔。刈萱(かるかや)。菊。壺すみれ。」

 ここでは、桔梗と朝顔は区別されている。平安中期ごろから、両者は区別されるようになったようだ。朝顔を詠んだ平安期の和歌を三首。

 「うちつけに こしとや花の 色を見む 置く白露の 染むるばかりを」(「古今集」)

(急に色濃くなったように花が見える、そこに置いた白露が染めているだけなのに)

 「君来ずは 誰に見せまし 我が宿の 垣根に咲ける 朝顔の花」(「拾遺集」)

(あなたが来ないのなら、垣根に美しく咲いている朝顔を誰に見せればいいのでしょう)

 「ありとても 頼むべきかは 世の中を 知らするものは 朝顔の花」(「後拾遺集」和泉式部)

(今生きているからと言って当てになるでしょうか。そのような無常の世の中を知らせるものは、この朝顔の花なのです)

土佐光起「紫式部」

前田政雄「源氏物語 朝顔」

国貞「紫式部」

広重「「四季の花園 朝顔」