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2020.06.23 08:25

中山美穂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


詳しくは一番下を参照

中山 美穂(なかやま みほ、1970年3月1日[1] - )は日本の女優、歌手。80年代アイドル。身長158cm。血液型O型。東京都小金井市出身(出生は長野県佐久市[1][2])。ビッグアップル所属。作詞をする時は「北山 瑞穂」(きたやま みずほ)と「一咲」(いっさく)というペンネーム(アルバム『DANCE BOX』のブックレット末尾に「Issaque」との表記あり)を使用していた時期もあった。愛称は「ミポリン」[4]。実妹は女優の中山忍。

略歴

生い立ち

母親の再婚相手の義父は秋田県出身で[5]、義父も歌手を目指して上京した人で[5]、敏いとうとハッピー&ブルーに入る予定だったが、直前で辞め後で悔んでいたとのこと[5]。幼稚園は国分寺市の白鳥幼稚園[6]。幼稚園の頃から、芸能界に憧れ、歌手になりたいと強く願った[5]。「テレビに出れるし、目立つし、人前に出れればキャアキャアいわれる」という単純な動機から[5]。原宿でスカウトされる以前も、映画や劇団のオーディションを多数受けていた[5]。小金井市立緑小学校から小金井市立緑中学校に進学[6]。  

アイドル期

1982年、小金井市立緑中学校1年生の時に原宿でスカウトされる[6]「ラッキーッ!」っと心の中で叫び[5]、疑惑も不安も迷いもなく[5]、芸能界に飛び込む[5]。当時、歌手志望の夢をまだ捨てていなかった父から「おまえが先に芸能界に行くのか!?」と驚かれたくらいで、まわりの誰からも芸能界入りの反対はされなかった[5]。モデルクラブ・ボックスコーポレーションに所属。雑誌『花とゆめ』の懸賞ページの写真モデルが初仕事[5]。テレビに出るのが幼少期からの夢だったため、『ザ・ベストテン』に出るのが最大の目標だった[5]。最初は広告、ポスター等のモデル活動のほか、TDKカセット「スプレンダー」や明治製菓のCMに出演[3]。ビジュアルでは昭和の歴代アイドルの中でもトップクラスという評価があり、この時期の活動がそれを根拠づけている[3]。芸能活動が活発になってきた中学3年の時に東京都板橋区立板橋第五中学校に転校し[6]、のちに卒業。高校は東京都立北園高等学校定時制に進学したが、芸能活動を優先するために1年二学期に中途退学した[1]。高校は無理やり行かされたため、一週間で辞めた[5]。

1985年1月、TBS系ドラマ『毎度おさわがせします』のツッパリ少女・のどか役で女優デビュー。女優としてより、テレビデビューできたことが幼少期からの夢を叶えたと思えた[5]。 思春期の性をテーマにしたホームコメディードラマで、刺激的なシーンやセリフが多く、今までにないその鮮烈な内容が大いに注目されて大ヒットした[3]。また彼女はドラマ開始時は無名な存在だったが、ドラマの要でもある役柄を当時14歳にして体当たりで演じきり、型どおりの清純派とは一味違ったキャラクターで一躍注目を集めた。演じた"のどかイメージ"が強烈に本人とダブるほどの人気だった[6]。

同ドラマ終了後、バーニング傘下のビッグアップルに移籍する[6]。同年6月、シングル「C」でアイドル歌手としてもデビュー[3]。同12月には、ヒロイン役で初出演した映画『ビーバップ・ハイスクール』が劇場公開されて大ヒット[3]。また年末には、新人アイドルが豊作だった中で、その頂点に達する第27回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞するなど活躍が続いた[3]。また同期には当時ドラマ共演がきっかけで親友だった網浜直子、森川美穂、本田美奈子、南野陽子、井森美幸、森口博子、斉藤由貴、浅香唯、おニャン子クラブ、中村繁之、芳本美代子、森下恵理、大西結花、いしのようこなど、のちにトップアイドルになる華々しい顔ぶれと並んでのデビューだった。それぞれ歌手、役者、タレント、モデルなどの道を進み活躍している。

1986年には前年以上の活躍を見せ、ヒット曲を連発。トップアイドル歌手として多くの歌番組に出演。そして、この頃から日立製作所や資生堂など大手企業のCM出演も多くなるなど、名前も全国区となる。1987年に放送された主演ドラマ『ママはアイドル』の役柄・中山美穂の愛称ミポリンが、実際の中山の愛称としても定着した。同年ブロマイド売上枚数が女性部門でトップになる。しかし、11月に溶連菌感染症に罹り、主演ドラマ『おヒマなら来てよネ!』(フジテレビ系)の撮影中断を余儀なくされ、当初の予定より1話減らした9話で完結することになった。

1988年に『第39回NHK紅白歌合戦』に初出場し、以後1994年の『第45回NHK紅白歌合戦』まで7年連続で出場した。

1989年1月、フジテレビ月9枠のドラマ『君の瞳に恋してる!』に主演[3]。男性だけではなく女性からも憧れを誘う存在となって、以後、その月9枠の常連となり、主演が7作品と、女性では最多を記録している(男性を含めると木村拓哉に次ぐ第2位)[3]。また、主演と主題歌を担当した作品も4作で、最多である。

80年代後半に最も活躍した女性アイドル四人(中山美穂、工藤静香、南野陽子、浅香唯)は当時女性アイドル四天王と呼ばれていた[7]。別冊宝島の調査によると、1980年代のシングル総売上げは年間ベスト50位以内のものに限定しても245.6万枚と、当時の女性アイドル中5位だった。年間ベスト50位以内ランクイン曲数10曲と当時の女性アイドル中3位だった[8]。

歌手と女優の両立

1990年代に入り、1980年代にデビューした多くのアイドルが女優もしくはバラエティーアイドルへと転向を図る中、年1本の連続ドラマ、映画、CM、アルバム発売、コンサートツアーと、歌手業と女優業の両立を維持する[1]。

1992年10月、中山美穂&WANDS名義でリリースした「世界中の誰よりきっと」が180万枚を超える売り上げ(オリコン最高位1位)の大ヒットを記録[3]。

1993年1月よりデビュー以来初めてとなる3カ月の長期充電期間に入る。ロサンゼルスに滞在してボイストレーニングやダンスレッスンを受けるが、4月リリース予定だったNHK連続テレビ小説『ええにょぼ』の主題歌「幸せになるために」のレコーディングは充電期間前に済ませていた(当時のレギュラーラジオ番組「中山美穂 P.S. I LOVE YOU」内での本人談[出典無効])。3月末に帰国し4月、読売巨人軍の開幕戦の始球式で投手役を務める。デビュー以来初めて女優活動を休止し歌手活動メインの1年を過ごした。

1994年2月、「ただ泣きたくなるの」が100万枚を超える売り上げ(オリコン最高位1位)を記録し、自身単独名義での初ミリオンヒットとなる。前出の『世界中の誰よりきっと』と合わせると2曲目のミリオンヒットとなり、80年代デビューの女性歌手でミリオンヒット2曲は初の快挙で、現在までにこの快挙達成は中山美穂と今井美樹の2人だけである。

1995年に映画『Love Letter』(岩井俊二監督作品)に主演し、各映画祭で主演女優賞を受賞。

1996年11月、シンガーソングライター岡本真夜とのコラボレーションにより「未来へのプレゼント」をリリース。

1997年公開の映画『東京日和』(竹中直人監督作品)がロングランヒットを記録。また、映画賞で主演女優賞を受賞。

1998年秋クールの連続ドラマ『眠れる森』(フジテレビ系)に主演。SMAPの木村拓哉と共演し、最高視聴率30.8%を記録[1]。

1999年9月にリリースした「Adore」が、現時点での最後のシングル発表曲である。以後、歌手活動を休止している。

2001年春クールの主演ドラマ『Love Story』の平均視聴率が20%越えを達成。これにより1980年代、1990年代、2000年代の三世代で主演ドラマ平均視聴率20%越えを達成した唯一の女優となる。同じく10代、20代、30代での主演作品としても平均視聴率20%越えを達成した唯一の女優となっている。

結婚~離婚、現在

2002年6月3日、ミュージシャンで小説家の辻仁成と結婚。同時に、当初予定されていた主演映画『サヨナライツカ』の製作が延期と発表された。この年の10月クールの連続ドラマ『ホーム&アウェイ』(フジテレビ系)を最後に日本での芸能活動を一時休止し、フランス・パリに移住。

2004年1月、長男を出産。育児に専念していたが、2005年6月にキリンビバレッジ「茶来」のCMで3年ぶりにメディア出演をした。2006年3月、シングルを全て収録したCDボックス『Complete SINGLES BOX』が発売された。

2007年から集英社の女性月刊誌『LEE』でエッセイの連載を開始。同年、コカコーラ社の缶コーヒージョージアや味の素のCMにも出演。また、夫とツーショットで女性誌にも登場した。

2008年夏、ドキュメンタリー映画『GATE』を元に作成された絵本『ランタンとつる』の朗読を担当、その朗読CDが絵本に付属されスターバックス限定で発売された。

2009年、女性月刊誌『LEE』でのフォトエッセイに加筆された『なぜなら やさしいまちが あったから』が5月に単行本化され集英社より発売された。また、製作延期とされていた主演映画『サヨナライツカ』の製作が監督をはじめとするスタッフ・キャスト陣を改め2008年より新たに敢行された。

2009年10月から2010年3月にかけて『中山美穂"恋ドラ"DVDコレクション』として、フジテレビで放送された中山の主演ドラマ『君の瞳に恋してる!』『すてきな片想い』『逢いたい時にあなたはいない…』『誰かが彼女を愛してる』の4作品がDVD化された。さらにドラマ『おいしい関係』『For You』及び1991年に公開された映画『波の数だけ抱きしめて』がDVDとして2010年3月から順次DVDリリース。

2010年1月23日、主演映画『サヨナライツカ』(イ・ジェハン監督作品)公開[9]。2009年10月、2001年のドラマ「Love Story」の制作発表以来となる公の場である制作発表記者会見及び試写会に登壇した。また同年末から映画が公開される年初にかけ数多くのテレビ番組に出演。2010年7月7日にはベストアルバム『中山美穂 パーフェクト・ベスト』が発売。

2011年3月21日、3月11日に起こった東日本大震災の被災地へ向け作詞した楽曲「I am with you(とおくはなれてても)」を動画共有サイト・YouTubeで公開した旨を(当時の)夫でミュージシャンの辻仁成が自身のツイッターで明らかにした[10]。“新曲”は、2000年12月に発表した配信限定曲「キミがいるから」以来、10年3ヶ月ぶり。 同曲を制作した辻のアコースティックギターの伴奏にあわせ、久々に歌声を披露した。辻はツイッターで「この歌が、被災された方々の心によりそえますように」とメッセージを贈っている。

2014年7月8日、辻仁成と協議離婚が成立。

2015年12月2日、フジテレビ系列の年末大型音楽番組『2015 FNS歌謡祭』で、18年ぶりの音楽番組出演及び19年ぶりの『FNS歌謡祭』出演を果たして、「世界中の誰よりきっと」「ただ泣きたくなるの」の2曲を披露した。

2016年3月、デビュー30年にして初めてとなる、本格的舞台『魔術』(共演:萩原聖人、橋本敦、勝村政信)に出演し、東京公演のほか全国6か所で公演を行った。

2018年春、日韓同時公開の映画「蝶の眠り」で5年ぶりの映画主演。公開に先駆け2017年秋に釜山国際映画祭でワールドプレミアとして上映が決定[11]。