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美的なるものを求めて Pursuit For Eternal Beauty

日本の美の真髄へ ー美を宿す 朱・白・黒ー

2020.06.23 12:48

(「新・美の巨人たち」テレビ東京放映番組<2020.6.6> 主な解説より引用)


今こそアートのチカラを ―国宝 日本の美の真髄―
朱く・白く・黒く ここの3色にどんな美を宿しているのか・・・

<朱> 
 国宝・世界遺産  嚴島(いつくしま)神社  (平 清盛 1168年造営)
 平 清盛は、仁安3年(1168年)に寝殿造の様式を取り入れた社殿を造営した。
本殿、社殿を中心とする両流造(りょうながれづくり)を特徴とする檜皮葺の屋根は、優美であり、緑青の建具と主たる構造体に塗りこめられた朱色とのコントラストも、みごとである。丹塗には、防腐剤と魔除けの2つの意味がある。
   清盛は、武士として初めて太政大臣に任じられ、日本で初めて武家政治の権力の頂点に立った。その後も、平家一門のみならず、多くの皇族・貴族がここを参詣し、都の文化がもたらされた。
   瀬戸内海を航路とする、日宋貿易により巨万の富を得ていた清盛は、海の上にいわば「美の王朝」を造り上げた。海に浮かぶ「大鳥居」も象徴のひとつとして有名であるが、海底には松の杭が何本も埋められていて、強靭な造りとなっている。
<白>
 国宝・世界遺産「姫路城」(池田 輝政 1609年築城) 別名を「白鷺城」とも。
  もっとも印象的というか、意外であったのは、ある意味「美しさ」を否定するかのような要素が、この姫路城には散りばめられているという、まさにその「意外性」である。
   この城をつぶさに観察してみると、驚いたことに、「火灯窓」に、所々あえて格子を組み込んでいない。狭間(さま)という矢弾を撃つための窓の形が、丸、四角、三角などと変化を取り入れ統一させていない。天守の屋根が、不整形、あえて不揃いにしている・・などである。
「変化が、見るものにリズムを与える」「完成させてしまうと、あとは崩壊がはじまるのみ」「あえて、未完成としている。乱れている点に美を追求する。美は乱調にあり、といった「侘び寂びを思わせる発想が、真逆な形で垣間見える」というように、初代城主ともなった池田輝政の意向・アイデアの、なかなかの知的・美的センスが光る。
<黒>
 同じ黒でも、「城」とは別に対照的なのが、「国宝 銀閣寺」(東山慈照寺 足利義政 1482-1490年建立)である。また、11年に及ぶ「応仁の乱」の後、
 堂内の「同仁斎」には、「日本文化の原点」である最古の「書院造」をはじめ、「日本の美の真髄」が秘められている。


(番組を視聴しての私の感想綴り)
<朱色>
「国宝・世界遺産  嚴島(いつくしま)神社」
「奢れるものは久しからず ただ春の夜の夢の如し」
有名な「平家物語」の一節である。
「平家にあらずは、人にあらず」栄華をほこった平家も貴族と化して、大丈夫(ますらを)の源氏に敗れた。そして全てを失った。
 広く世界の歴史を観ても、ヨーロッパのローマ帝国も、シナの秦も漢も、モンゴル帝国も、滅び去り消えるときは、あっという間に塵のようになくなってしまった。
 ここの景観は、「安芸の宮島」として、松島、天橋立とともに、海に囲まれた国、日本を象徴する絶景「日本三景」のひとつに数えられているが、その一方で人の世の「栄華と没落」「栄枯盛衰」を考えさせられる場所でもあると感じた。


<白色>
「国宝 姫路城」(世界文化遺産)
「この城はなぜ真っ白にしているのか」
 築城の時代に注目すると、「黒い城」は豊臣秀吉の時代(関ヶ原の戦い以前)のものが多く、武力を誇示する「黒」が好まれたとする説がある。「黒い城」の代表例としては、松本城、熊本城、岡山城などがあげられる。
 一方、「白い城」は徳川家康の時代(関ヶ原の戦い以後)のものが多く、優美さを演出できる点や、徳川時代の到来を世にアピールする狙いもあり、むしろ「白」が好まれたとする説がある。「白い城」の代表例としては、姫路城、名古屋城、彦根城などがあげられる。
 戦(いくさ)のためではなく、不滅の輝きである「白の美しさ」を優先したともいえる。最近取り上げられた、戦のための城ではなく、迎え入れる城としての「二条城」も、徳川時代の築城である点が共通している。
 「白き品格 不戦の城の不滅の輝き・・」として、以前の放映では番組を結んでいる。
建築物として、これほどまでに手の込んだ品格を感じさせる城は、ヨーロッパの城なども含めて詳しくはないが、ほかにありそうで、なかなかないのも事実かもしれない。
いずれにせよ、この姫路城。ずっと観ていてもまったく飽きないのは、400年の歳月を超えてもなお、「美しい」ということの証明であろうか・・

<黒色>

「虚無と無常の果て」に、足利義政が敷地内に建立した。慈照寺は、足利義満の華麗な「北山文化」に対し、「侘び」「寂び」の「東山文化」が生まれた地である。ここには、創建当時から残っている建物が二棟あり、「東求堂」(とうぐどう)と観音殿(銀閣)のそれである。
 よく比較される「金閣寺」が「太陽」とすれば、「銀閣寺」は「月」として例えられる。とすれば、私の好みは、幽玄の美などもを醸しだす「銀閣」ということになる。生け花、茶の湯、書院、書画など、日本文化の原点がここにある。
 「同仁斎」は、「書院造の源流」といえる。また、室内には炉が切られ、茶を点てていたとみられ、 茶道史では江戸時代以来、同仁斎は「四畳半茶室」のはじまりと伝えられている。
 「護るだけの日本文化」ではなく、世界に「攻める日本文化」は、決してアニメやポップカルチャーだけの独壇場ではないはずである。
 ポストコロナ、ウィズコロナ時代の幕開けが2020年、令和2年だとすると、「新しい日常」が誕生するなら、矛盾を孕む言い方になるかもではあるが、世界にも通用する器のひろい「日本文化」としての「日常」でもあってほしい。そこには、サステナブル(持続可能)な視点も不可欠ではないかと考えた。
   
「新・美の巨人たち」(テレビ東京放映番組<2020.6.6>)より転載。同視聴者センターより許諾済。


写真:上から嚴島神社、姫路城、銀閣寺