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[BYRDS=BY+RDS] 「ロデオの恋人」の衝撃がアメリカを走り抜けた頃、新生バーズが最高のライブバンドとして評価される

2020.06.24 03:00

カントリー・ロックの

名盤「ロデオの恋人」に関しての話。


カントリー界からは

”それは”異論の音楽と呼ばれ、

過激的な人達からは

「労働者階級の音楽(カントリー)を

馬鹿にしている」とブーイングが起きた。


一方では「アメリカの最高のバンドが敵(保守的なアメリカ人)にへつらっている」と、

ロック評論家やそれ迄の

バーズのファンからは

”裏切り”に値する酷評を浴びる。


クリス・ヒルマンは当時を振り返り語る。


「バーズを破壊した『ロデオの恋人』のトラブルは、単にバンドだけの問題ではなかった」。


「あの頃の時代全体の傾向であり、60年代は68年に大きく左へ曲がり、過激になった」と。


「ビートルズと共にやってきた”無邪気さ”が失われてしまい、今にもアナキズムに陥りそうだった。キング牧師、ケネディの暗殺、ベトナム戦争はエスカレートし・・・」。


70年代になるとイーグルスを筆頭とした

アウトロー・カントリーの台頭、

80年代のルーツロック現象と

オルタナティブカントリーブームが、

バーズのナッシュビルでの

思い切った試みに負い、

評価が上がってきた。


「バーズは、カントリーをカントリーとして演奏することで、素朴なカントリーがいかに

今日の音楽にパワフルな影響力をともなうか、を示した。それはバーズがロックンロールをまだ演奏できることを示すために、ドラムズにロックン・ロールを充分残している。これこそが”私がルーツに戻る”と呼ぶものである」と。


ローリングストーン誌(1968年9月28日号)で、ジョン・ランドゥは、

「ロデオの恋人」を評価した。


ロジャー・マッギンは

ボブ・ディランの歌をロックにして

フォークロックを世に出した時も


「ディランの熱狂的なファンがステージに銃を向けている気がした」と語った。


デビッド・クロスビーがステージから

過激発言をすることが嫌で仕方なかった。


グラム・パーソンズにいいように利用され、

グループの信用を失ってしまった。


「ロデオの恋人」では、

保守派カントリーからはけなされ、

ロックファンからは非難を受けた。


ようやくロジャー・マッギンに

平和が訪れたのはメンバーが

クラレンス・ホワイト、

ジーン・パーソンズ、

スキン・バッティンの

アメリカ一のライブバンドとして

評価された時代だった。


バーズの後期のアルバム

①「DR-BYRDS Mr.HYDE」


②「イージー・ライダー」


③「タイトルのないアルバム」。


これらを後期の前編としよう。


クラレンス・ホワイトは

最高のギタープレイヤーで、

後期のバーズの要となっている。


「火の車」

①に収められている。


「ナッシュビル・ウエスト」

①③に収められている。


「ジーザス・イズ・ジャスト・オールライト」

②に収められている。


「栗毛の雌馬」

③に収められている。


「霧の8マイル(ライブ版)」

③に収められている。


これらを聴くと

クラレンス・ホワイトのギターが

いかに上手く、正確で、比類のない

プレイヤーであったことが理解できる。


「霧の8マイル」のライブ版はスゴい!


(続く)