「日本の夏」9 朝顔②「朝顔の露」
日差しがまだ柔らかい早朝に花開く朝顔。爽やかで清涼感のある夏花の代表格だが、咲いてからわずかの時間でしぼむことから「朝顔の花一時」との慣用句もある。物事の衰えやすいことのたとえだが、青い朝顔の花言葉も「はかない恋、短い愛」。鴨長明も『方丈記』の中で、はかない命、無常観のたとえとして「朝顔の露」と表現している。
「知らず、生れ死ぬる人、何方(いずかた)より来たりて、何方(いずかた)へか去る。また知らず、仮の宿り、誰(た)が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。
あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。」
(わたしにはわからない、生まれたり死んだり人は、どこからやってきて、どこへ去っていくのだろうか。また私にはわからない、仮りの宿りのような家のことで、誰のために心を悩まそうというのか、家の何を見て目を楽しませようとしているのか。
家の持ち主と家とが無常をあらそうような姿は、朝顔の露と同じである。ある時は露が先に落ちて花が残る。残ると言っても、朝日にあたって花も枯れて行く。またある時は花が先にしぼみ、露が消えずに残る。消えないといっても夕方まで残るということはない。)
「はかなくて 行きにし方を 思ふにも 今もさこそは 朝がほの露」西行
(はかなく行ってしまった過去を思うにつけても、この現在もまた同じように無常である。はかなく消える朝顔の露のように。)
朝顔にまつわる有名な逸話に「一輪の朝顔」がある。登場人物は千利休と豊臣秀吉。ある時、利休がその庭に咲き誇った朝顔が見事なので、秀吉を「朝顔を眺めながらの茶会」に誘う。千利休から使いをもらった秀吉。「満開の朝顔の庭を眺めて茶を飲むのはさぞかし素晴らしかろう」と、大いに期待して利休の屋敷を訪れる。ところが、庭に朝顔の花は全く見当たらない。なんと利休は、庭の朝顔を全て切り落としてしまっていたのだ。がっかりする秀吉。ところが、茶室に入ると、一本の光の筋が差し込むその先に一輪だけ朝顔が生けてあるではないか。利休は言う。「一輪であるが故のこの美しさ。庭のものは全て摘んでおきました。」と。秀吉は侘びの茶室を見事に飾る朝顔の美しさに驚き、千利休の美学に感嘆したという。
この話、実はそれほど単純ではないように思う。利休の行為の意味するところは何か。「幾万もの首を刈り取り、一人咲いているのが、あなたである。そのあなたの栄華も、この朝顔のようにやがて衰えるのですよ。この一輪の朝顔の美しさも一時のものであるように。」と読めなくもない。そして、秀吉は単に利休の美学に感嘆しただけなのか。利休の裏の意図を感じ取り不快感を覚えた可能性も否定できない。秀吉による利休の切腹命令につながるやりとりをこの逸話から感じるのは、深読みしすぎだろうか。
ちなみに、野上彌生子の小説『秀吉と利休』を原作とする映画『利休』(1989年 監督:勅使河原宏 主演:三國連太郎、山崎努)は、冒頭でこの「一輪の朝顔」のシーンを描いている。
元禄6年(1693年)7月、50歳の芭蕉は、7月中旬のお盆過ぎから8月の中旬までの1か月間、「閉関」(門を閉じて閑居すること)の生活に入り、固く人には合わなかった。その折に書いた『閉関之説』(へいかんのせつ)によれば、「ただ利害を破却し老若を忘れて閑にならむこそ、老いの楽しみとは言ふべけれ」(利害や年齢を忘れて清閑の境にいる、それこそが老いの楽しみというものだろう)と彼は考え、「友なきを友とし、貧しきを富めり」として戸を閉じて引きこもった。閉関の理由は、表向きは酷暑に衰弱して病気療養のためだが、甥の桃印の死による心痛ためとか、点取り俳諧が流行している江戸俳諧から逃れるためなどがあったといわれる。
「朝顔や昼は錠おろす門の垣」芭蕉
こんな引きこもり生活での唯一の話し相手は朝顔。しかし、その朝顔もやがて深い孤独を慰めてくれるものではなくなる。
「蕣(あさがお)や是も又我が友ならず」芭蕉
鈴木其一「朝顔図屏風」
菊川英山「朝顔と三美人」
円山応挙「朝顔狗子図」
月岡芳年「風俗三十二相 めがさめさう」
寝起きの乱れ髪の美女が手にしているのは歯磨き用の房楊枝
北斎「横大判花鳥 朝顔に蛙」
二代目歌川芳宗「撰雪六六談 英雄の風雅」豊臣秀吉と千利休