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フォートカニングパーク散策

2020.06.24 06:00

まだ土砂降りの雨が長く続く前の日曜日の朝、行った事のないフォートカニングパークへ!

シンガポールのSNSスポットとして若い子たちに人気の場所、公園北側のフォート カンニング パーク ツリー トンネルから園内に入った。

流石に並んで撮影待ちしている人達はいなかったけれど、ローカルのカップルが何度も撮り直ししていた。彼氏の方が彼女の指示通りに上手く撮れないようで、なかなかコレっていう一枚が撮れないらしく、眉間に皺寄せて彼氏に指示して、カメラを向けると満面の笑みで、これを見ている方が面白かった・・・・彼氏もドラえもんに出てくるのび太君みたいに気の弱そうな優しい感じの子だったなぁ~

緑が鬱蒼と茂る丘の急な階段を上るとすぐにフォートカニングホテルが見えた。

その前にはバトルボックスとして知られるバンカーが博物館になっているけれど、今は臨時休業中なので、又再開したら訪ねてみたいと思う。

コロニアル様式の建物は1926年に建てられ、イギリス軍の極東指令本部として使用された後は日本軍によって占領され日本軍の駐屯基地だった場所。

公園内には至る所に大きなバンヤンツリーがあって、ここシンガポールが昔は何もないジャングルだったと思い出させる。バンヤンの木がイチジクの仲間だと初めて知った。

フォートゲートの周りには大砲も配置されだけれど、ここから砲丸が宙を舞った事はなかったし、イギリス軍は日本軍がシンガポールの南側から攻撃してくると予想して、計画をしていたのに、予想に反して日本軍は島の北側から攻撃を仕掛けて来たのだそう。

13世紀後半にスマトラの王子がシンガポールに辿り着き、その後数世代に渡って王族がこの丘で暮らしていたそうで、王族たちが沐浴した池や、墓所があった事から、平民の間ではここはその当時”禁じられた丘”と呼ばれていたそう。


マラッカ王国を築いた王、ラジャ イスカンダル シャーがが亡くなった後にこの丘に埋葬されたと言われていて、その墓がある。

ちなみに紀元前に一大帝国を築いたギリシャのアレキサンダー大王は世界史の教科書で見聞きしたことはあると思うけど、

ギリシャ語読みのアレクサンドロスがペルシャ語読みのイスカンダルなのです。

知り合いのギリシャ人旦那さんの名前がソクラテスだし、旦那の元同僚はスパルタ教育で知られるスパルタ王と同じ名前のレオニダス、アテネのセコンドリーの管理をしてくれている10年来の不動産屋さんがアレクサンドロス。

ギリシャに住んで以来、紀元前に生きた人の名前を今でも普通に使っている事がとても不思議だった。

当時、イスカンダルと聞くと宇宙戦艦ヤマトしか思い浮かばなかったので、こういう事を聞くと海外暮らしは色んな勉強になるなぁ~と・・・・

まぁ~日常生活では役に立たないけれどね!

以前にCNAでも放送したいたシンガポールの遺跡発掘を丁度見たことがあったので、この場所は「テレビでやってた所だよね~」覚えていた。

当時の王族の装飾品かも知れないという物が幾つか出土している。

バリ風な庭園もあった。

緑の斜面の上に建つ白い館はフォートカニングセンター。

以前はキリスト教徒の墓地だった場所で、周りの壁に墓石がずら~っと埋められていた。

シンガポールに上陸したラッフルズが住んでいたバンガローからは目の前にフラッグスタッフと遠くにマリーナベイサンズが見える。

ここからはシンガポール海峡が良く見えたに違いない・・・・

バナナの木や見た事ない植物もあって、朝からとても充実した散策だったのです。