【加古川銀行】境界石が語る石造西洋建築
本町2丁目の表通り…
高砂コンピューターさん前の東角に郵便ポストがあるが、その足元に、よほど注意して見ないと気付かない“郵政”と彫られた境界石が、遠慮がちにひっそりとたたずんでいる。
開戦前夜の昭和16年3月に開設され、朝鮮戦争を経て戦後の荒廃からやっと光明が見え始めた昭和33年まで、17年に亘って営業…。
今は昔「加古川郵便局本町分室」の唯一名残の石である。
加古川銀行〜郵便局 その変遷と歴史
“団塊の時代”のはしりである私は、自宅から近いこともあり、幼い頃この辺りでよく遊んでいた。
半世紀以上経った今でも建物の造作もおぼろげながら記憶の片りんに留まっており、古き良き時代の思い出の一つとなっている。
ここに当該建築物にまつわる近隣住民の方々による思い出話をも交えながら、本町2丁目で唯一の石造西洋建築、その歴史の一端を紐解いてみようと考える…。
郵便局前での紙芝居の思い出…。
小学低学年の頃だったと記憶していますが、週に一回郵便局の前に五十歳前後でしょうか、“正(しょう)ちゃん”という紙芝居屋さんが来て、子供たちを呼びこんでいました。場所は、郵便局前が定位置。
その時間になると、一斉に子供たちが騒ぎだし、正ちゃんに借りた“拍子木”を我先にと町内に打ち鳴らして、子供たちみんなに正ちゃんが来た事を知らせて回ったものです…。
拍子木を鳴らした子には、水飴がタダ。当時、水飴は5円で、買わない子は、最後尾で指をくわえて見ていたと記憶しています。
楽しみの少ない時代でした。飴をしゃぶりながらみんな食い入るように見ていたことを、今でも鮮明に覚えています。
●住民Aさんの話:郵便局の前、向かって右側の鉄枠内には、たしか…大きな防火水槽があって、そのフタの上にあがって遊んだことを覚えている、とのこと。
●住民Bさんの話:郵便局の裏には、丸田さん(?)という「管理人さん」のお家があった。
●住民Cさんの話:いつだったか…境界石を撤去しようとした人がいたが、余りの深さに、途中であきらめた…そんなこともあった。
【昭和41年当時の写真】
郵便局址(現在の高砂コンピューターさん)が丸宮百貨店に生まれ変わっている。
【昭和7年当時の現本町二丁目・住宅地図】
中央に、「三十八銀行西出張所」が記載。
編集後記…
「郵政」その境界石が当地にあることを、奇しくも史学者である岡田功氏に教えてもらってから、すでに二ヶ月以上になるが、なぜか、いつも気になってデータは集めるものの資料に纏めるのが、やっと今になってしまった。
これほどまでに私を駆り立てたものは、やはり母の思い出ではないか、そう思う。夕方になれば遅くまで友達と遊んでいる私を呼びに、彼女は、表通りまで高ゲタをカラカラ鳴らして迎えにきてくれた。彼女も長きに亘り郵便局の建物を見続けてきたことであろう…。
そんな郷愁が、私をしてこの資料を作成せしめたのではないか…私はいま、そのように感じている。