立ち歩きについての再考
前々回は、「結局怒ってしまった」を書いたが、見る人から見れば、
それでも優しすぎるそうだ。
前回は、「煽り」という風物詩について書いた。
今は、毎日、子どもと楽しむというか、少しずつできることが増えるようにと作戦をたてることが楽しい。
煽りを感じた日があったが、淡々と考えを述べることで、そういうことはなくなった。
伝わったか、諦めたか笑
さて、ぼくは、いまゆっくりと立ち歩きについて考えている。
今まで、10人くらかなぁ、はっきり思い出せるのは。
これは、時間がかかるだろうなぁという子が4人。
席を立つだけなら問題ないが、外に出ちゃったり、黒板の字を消しに来たり、マグネットや視聴覚、教師用定規なども、触りたくなる。
休み時間ならまだしも、授業中、それも大事な話をしているときだったりするから、指導しなきゃいけなくなる。
ただし、怒ってばっかでは、授業が面白くなくなるし、全体的な空気が重くなる。
それは、避ける。
しつこーく、繰り返されるとき、あまりに激しいとき、厳しく言わざる得ないことはあるが、
一日中というのは、避けたい。
何されても、もうほっとく時もあれば、
ドリルならできるの?と、場合によってだが、その子が別課題を選択することだってやってみる。
くすぐったり、ムツゴロウ方式というのか、わしゃわしゃしたり、しながら授業を進めることもある。
いずれにせよ「できたね」ということを積み重ねる。
着席時間を1分ずつ増やしていったり、迷路なら座ってできた!という達成感を味わってもらったり。
近くに立っていればオッケーにしたり、黒板の前に椅子を置き、そこだったらオッケーという時間を作ったり。
だが、これが、「すわれ!」という威圧の連続だったら、
本人は「できた」なんて感じない。
今後に繋がる意味合いが、全然違うのだ。
威圧により「座らせられた」と、思う気持ちは、次に何を抱くのか、
反発の気持ちや無気力だろう。
1年間押さえつけらることごできたとしても、なんの解決にもならない。
そういうことを、安易に「座れ!」で片付けようとする人たちに伝えたい。
年齢が上がれば、大人不信、学校不信にも繋がってしまう。
もう少し全体が落ち着いたら、「見てご覧、今はね、みんなに説明しているからね。あとでだったら聞くからね」と丁寧に伝えていきたい。
奇声なんかもそう、
声をあげてしまったのだから、
「うるさい!」という威圧で片付けられても、意味がない。
大きな声を出してしまう子も、
出したあとで「しまった」という気持ちになっている場合が多いと思う。
わかっちゃいるのだ、けど難しい。
そんなところだと思う。
いっしょに「できた」をつくる。
それがいい。