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教室記録

立ち歩きについての再考

2020.06.25 15:15

前々回は、「結局怒ってしまった」を書いたが、見る人から見れば、


それでも優しすぎるそうだ。


前回は、「煽り」という風物詩について書いた。


今は、毎日、子どもと楽しむというか、少しずつできることが増えるようにと作戦をたてることが楽しい。


煽りを感じた日があったが、淡々と考えを述べることで、そういうことはなくなった。


伝わったか、諦めたか笑


さて、ぼくは、いまゆっくりと立ち歩きについて考えている。


今まで、10人くらかなぁ、はっきり思い出せるのは。


これは、時間がかかるだろうなぁという子が4人。


席を立つだけなら問題ないが、外に出ちゃったり、黒板の字を消しに来たり、マグネットや視聴覚、教師用定規なども、触りたくなる。


休み時間ならまだしも、授業中、それも大事な話をしているときだったりするから、指導しなきゃいけなくなる。


ただし、怒ってばっかでは、授業が面白くなくなるし、全体的な空気が重くなる。


それは、避ける。


しつこーく、繰り返されるとき、あまりに激しいとき、厳しく言わざる得ないことはあるが、


一日中というのは、避けたい。


何されても、もうほっとく時もあれば、


ドリルならできるの?と、場合によってだが、その子が別課題を選択することだってやってみる。


くすぐったり、ムツゴロウ方式というのか、わしゃわしゃしたり、しながら授業を進めることもある。


いずれにせよ「できたね」ということを積み重ねる。


着席時間を1分ずつ増やしていったり、迷路なら座ってできた!という達成感を味わってもらったり。


近くに立っていればオッケーにしたり、黒板の前に椅子を置き、そこだったらオッケーという時間を作ったり。


だが、これが、「すわれ!」という威圧の連続だったら、


本人は「できた」なんて感じない。


今後に繋がる意味合いが、全然違うのだ。


威圧により「座らせられた」と、思う気持ちは、次に何を抱くのか、


反発の気持ちや無気力だろう。


1年間押さえつけらることごできたとしても、なんの解決にもならない。


そういうことを、安易に「座れ!」で片付けようとする人たちに伝えたい。


年齢が上がれば、大人不信、学校不信にも繋がってしまう。


もう少し全体が落ち着いたら、「見てご覧、今はね、みんなに説明しているからね。あとでだったら聞くからね」と丁寧に伝えていきたい。


奇声なんかもそう、


声をあげてしまったのだから、


「うるさい!」という威圧で片付けられても、意味がない。


大きな声を出してしまう子も、


出したあとで「しまった」という気持ちになっている場合が多いと思う。


わかっちゃいるのだ、けど難しい。


そんなところだと思う。


いっしょに「できた」をつくる。


それがいい。