1900年6月26日
2020.06.25 20:14
1900年6月26日 明治33年
【内 閣】
第2次山縣有朋内閣
総理 山縣有朋/外務 青木周蔵/内務 西郷従道/大蔵 松方正義/陸軍 桂太郎/海軍 山本権兵衛/司法 清浦奎吾/文部 樺山資紀/農商務 曾禰荒助/逓信 芳川顕正
内閣書記官長 安広伴一郎/法制局長官 平田東助
【元 老】
黒田清隆 伊藤博文 山県有朋
【東 京】
府知事 岡部長職/東京市長 松田秀雄
桂太郎が台湾協会学校(拓殖大学の前身)を設立
台湾協会学校は、日清戦争によって日本の植民地となった台湾の「拓殖経営に資する機関」として設立された学校で、現在の拓殖大学の前身である。設立時は自前の校舎を持たず、9月15日の仮開校式は九段上の和仏法律学校で行い、同月17日から和仏法律学校校舎を昼間だけ借りて授業を開始した。翌年に小石川区茗荷谷町32・33番地の5千有余坪の官有地を取得し、6月に着工した新校舎は10月28日に完成し、翌月1日に移転式を行った。この校地が拓殖大学の文京キャンパスとして現在に至るまで継承されている。
イギリス領トロとブガンダとがトロ協定。
宮内庁、帝室博物館官制公布。東京・京都・奈良の帝国博物館を改称して帝室博物館に。
天津から北京へ向かっていた、イギリス提督シーモア率いる8ヵ国連合軍、天津に退く。