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ʻOluʻOlu

色んな日があっていい

2020.06.26 06:07

私は元来ケチだ

がつくほどケチです。

時間にもお金にも

最近それを意識的に改善しようとして色々実験中です。


どこか旅行に行く時も

海に潜りに行く時も

遠出する時も

天気やコンディションが良いことに越したことははないけれど

最近では昔ほど気にならなくなってきた。


ハワイ島にいた時

たっぷりと時間があって、

天気によって遊びかたが変化していった。

晴れた日には晴れた日の

雨の日には雨の日の

凪の海

荒れた海

その日の過ごし方

そしてその季節、その天気にしか出会えない景色たち


一旅行者だった時は、一番いい季節に良い天気で良い景色?に出会いたくて必死になっていた自分がいたことを思い出す。思い返せば目の前にある風景よりも頭の中でしか動いていなかった。何も感じず、見ておらず、聞こえもしなければ、触感や味も素っ気もない。


ヒロ、という小さな町に住むようになって

雨の町

と言われているのだけど

虹も沢山見せてくれた町だった。

私はそこに住んでから

雨の海も好きになった。

カラパナの波が高い海を見ているのも好きだった。

コナの真っ白な砂のビーチも

コハラの澄んだブルーの海も

カウーの流れの速いブラックサンドの海も

みんな表情が違って

天気によっても違って

みんなみんなどの景色も好きだった。


この間、千葉のLAS仲間のところに遊びにいったのだけれど

大荒れの雨、風、海の1日だった。

特に何も予定していなかったけど

荒れ狂う灰色の海を部屋から眺めながら

1日、ずっと話していた。

きっと、この天気でなければ出てこなかったであろう話題。

話は時に重く苦しく、そしてその話は昇華されていったと思う。


私はその日、目の前の天気を荒れ狂う海を丸ごと愛した。

今日、この時にしか出会えない景色、友人、場所、全てを。

それがその時の時間を濃密なものに導いていってくれたんだと思う。

そしてそれは一緒にいた友人もきっと同じような思いでいてくれたに違いない。

2人も、その時を全力で感じながら過ごしていたと思う。


昔の私なら、天気が良くて海で泳いでいたかったなあ、と残念がっただろう。

そしてその思いは友人にも伝わり、つまらないという思いから、その日のように話し込んで思い出を昇華させることはきっとできなかっただろう。


人生にも色んな時があって

晴れた日もあれば

嵐の日もあるだろう。

優しく降る雨の日もあるし

日照りの日だってある。

もしかしたら、その時その時を全力で感じながら進んでいけば

どの時間もそんなに悪いものではないかもしれない。

とてもキツイ、と感じる時でさえも。

頭の中で生きるのではなく

体で目の前のことに

自分の感情も全てオープンでいられたら、と思う。


ケチでないこととは

お金や時間だけでなく

人生全般にも言えることなのかもしれない。

そう思いました。

色んな日があっていい。