文学作品にみる阿蘇の自然
https://note.com/p_achira/n/n6f1cce4fd305 【三好達治「大阿蘇」】 より
(石原千秋監修、新潮文庫編集部編『新潮ことばの扉 教科書で出会った名詩一〇〇』より)
先週の立原道造、今週の三好達治と、
なんだか合唱経験者にとっては馴染みぶかい名前が続きます。
立原道造作詩の「夢みたものは・・・」、三好達治作詩の「鷗」は、
色々な場面で歌ったり聴いたりしていました。
昨年のラ・フォル・ジュルネ(クラシック音楽祭)のエリアコンサートでも
美しい「鷗」を聴くことができました。
女声合唱団を率いていた指揮者の先生(穏やかなおじ様)が
「これは女学生にとても人気がある曲で——、いまはもう女学生て言わないか」
と「鷗」を紹介していたのがなんだかとても素敵でした。
さて、今週読んだ「大阿蘇」は私のなかでかなり確信をもって光景を思い浮かべることができました。
雨と噴煙でもったりとした空気の匂いもわかりそうなほどに。
幼いころに何度か阿蘇の牧場に連れていってもらったためかもしれません。
九州の地ならではの肌感覚など、意外と残っているものですね。
雨の丘で、阿蘇山を背景にして草を食む馬たち。
この地やこの詩に限らず、雨には自他を遮る作用があるように感じます。
絶え間ないホワイトノイズで物音はマスキングされ、
雨粒は透明にけぶるカーテンを作り。
厚い灰色の雲は視界を手が届く範囲にまで縮めてくれるようです。
加えて、阿蘇山。
ぼんやりと輪郭を黒っぽく浮かびあがらせて、煙が空にたなびいていく。
自分とその周りの世界が薄鈍色のドームでとざされているような、そんな気分にさせられます。
太陽の動きもたしかには見えず、凪いだ心でいつまでもいつまでも馬を眺める。
「もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう」
という一行がしみじみと好きです。
そういえば以前に読んだ三好達治の作品「雪」からも、
家と家、人と人を隔てる存在としての雪を感じました。
冒頭に挙げた「鷗」には「雲を彼らの臥床とする」というフレーズがでてきますし、
三好達治は見晴らしのよい、澄みきった「晴れ」ではないからこそ
もたらされる安らぎや思索を味わう人だったのかもしれません。
16-17 新・熊本散歩 ~阿蘇・文学散歩(Adobe PDF)
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-キャッシュ
句碑が、阿蘇登山道沿い、坊中の西巌. 殿寺にあるという。寺の入り口にある. 石碑は、 風化して文字が見えない。八. 十五歳で、いまだかくしゃく、朗々と. 経を詠む住職がを教えてくれた。 酒飲めばいとど寝られぬ窓の雪. 他の歌とあわせ、建立はおそらく天.
https://www.pref.kumamoto.jp/common/UploadFileOutput.ashx?c_id=3&id=4278&sub_id=1&flid=9&dan_id=1
http://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=19991019&tit=%97%E9%96%D8%8C%FA%8Eq&tit2=%97%E9%96%D8%8C%FA%8Eq%82%CC 【芋煮会阿蘇の噴煙夜も見ゆる 鈴木厚子】
今年度俳句研究賞受賞作「鹿笛」五十句のうち。芋煮会の本家は山形県や宮城県、そして福島県の会津地方だが、最近では全国的に行われるようになった。東京でも多摩川などにくり出す人々がいて、定着しつつある。こちらは九州というわけだが、阿蘇の噴煙を背景にしての大鍋囲みは、さぞかし気宇壮大な気分になることだろう。昼間の阿蘇をバックに芋煮会の写真を撮って、それをネガで見ると、句の視覚的理解が得られる。そこには噴煙をあげる阿蘇の雄大さが強調されているはずで、人の昼間の営みは幻のようにぼんやりとしている。夜も働く自然の圧倒的な力が、句のテーマである。ところで芋煮会の「芋」は「里芋」だ。俳句でも「芋」といえば「里芋」を指してきたが、今日「芋」と聞いて「里芋」を連想する人がどれほどいるだろうか。たまたまこの句の掲載された雑誌に、宇多喜代子が「いも」という一文を寄せている。ある集まりで「いも」と言って何芋を思い出すかというアンケートをとったところ、「サツマイモ」と「ジャガイモ」と答えた人がほとんどだったそうだ。となると、これから「芋」を詠むときには、それが「里芋」であることを指し示すサインを出しておく必要がありそうだ。「俳句研究」(1999年11月号)所載。(清水哲男)
https://www.aso-sougen.com/data/h10/1-08.pdf#search='%E9%87%8E%E5%8F%A3%E9%9B%A8%E6%83%85%E9%98%BF%E8%98%87' 【文学作品にみる阿蘇の自然】
・阿蘇の自然とは何か(草原を含めた阿蘇の自然の価値)について考える一材料として、明治以降の文学作品の中から阿蘇の自然が描かれているものを拾い出してみた。
・まず下表では小説、随筆、紀行文等及び詩については作者名と書名(作品名)を、短歌や俳句については俳人、歌人の名前を挙げた。阿蘇の草原で迷った話からなる夏目軟石の「二百十日」や三好達治の詩「艸子里浜」などは特に有名である。
・次に、地域外から訪れた作家や詩人、俳人、歌人などの目に阿蘇の自然はどのように映ったのか、阿蘇の自然が作家たちに与えた感動はどのようなものであったのかを知るため、いくつかの作品の中からそれらの表現を引用し、対象となった自然属性や要素ごとに整理して示した。
●阿蘇が描かれている文学作品(明治以降)
3.短歌
歌人の名前を以下に挙げる。
太田 水穂 尾上 柴舟 鹿児島 寿蔵 北原 白秋 黒木 伝松 斉藤 史 佐々木 信綱 釈 迢空 清井田 由井子 宗 不旱 土屋 文明 中島 哀浪 中村 憲吉 野口 雨情 宮 柊ニ 安永 蕗子 結城 哀草果 与謝野 晶子 与謝野 鉄幹 吉井 勇 若山 牧水
4.俳句
俳人の名前を以下に挙げる。
青木 月斗 赤星 水竹居 阿部 小壷 池内 たけし 伊藤 信吉 河東 碧梧桐 熊谷 正蜂 後藤 是山 笹原 耕春 佐藤 寥々子 高野 素十 高浜 年尾 種田 山頭火 中村 汀女
夏目 漱石 野見山 朱鳥 藤崎 久を 宮部 寸七翁 山口 誓子 吉岡 禅寺洞 吉武 月二郎
資料:
「熊本近代文学館・総合案内」
「阿蘇の文学」(阿蘇の司ビラバークホテル発行)
「阿蘇」(荒木精之著 第 4 回熊本県民文化祭阿蘇実行委員会発行)
「文学のふるさと 熊本における近代文学散歩」(熊本日日新聞社発行)
「くまもと文学百景」(平山謙二郎著 熊本日日新聞社発行)
「平成 14 年度熊本大学放送公開講座 熊本の文学Ⅱ」
「くまもと文学紀行」(熊本県高等学校教育研究会国語部会発行)
●すさまじさ、生命力
国木田独歩:「忘れ得ぬ人々」(明治)
その時は日がもうよほど傾いていて肥後の平野を立てこめている霧謁が焦げて赤くなってちようどそこに見える旧噴火口の断崖と同じような色に染まった。円錐形にそびえて高く群峰を抜く九重嶺の裾野の高原数里の枯れ章が一面に夕陽を帯び、空気が水のように澄んでいるので人馬の行くのも見えそうである。天地審廓、しかも足もとではすさまじい響きをして白煙濠々と立ち上りまっすぐに空を衝き急に折れて高嶽を掠め天の一方に消えてしまう。壮といわんか美といわんか惨といわんか、僕らは黙ったまま一言も出さないでしばらく石像のように立っていた。この時天地悠々の感、人間存在の不思議の念などが心の底からわいて来るのは自然のことだろうと思う。
三浦清一:「阿蘇は今日も荒れている」(昭和)
阿蘇は今日も荒れている
山鳴りの音絶え間なく
火山灰は空を被うて暗い
山口誓子:(俳句)
地ならずば冬雷天に鳴りいでよ
●規模の大きさ
志賀重昴:「日本風景論」(明治)
ようやく山の北麓坊中村に出で、ここより山嚢中の中岳に登る、登りて四望せん_か、右に火山嚢中の杵島岳、烏帽子岳長揖し来り、左に高岳、根子岳を仰望し、火口よりは硫気水蒸気天を衝きて直上し、真に雄大を極尽す、しかも山上の最奇観は阿蘇の旧火口を双胖の中に収る所にあり、すなわち旧火口の外輪は北は長倉嶺一帯の山岳をもって、東は豊後境上の連山をもって、南は大矢山、冠岳をもって、西は俵山二重嶺をもって、これを限り、黒川の-水外輪の北より西をめぐり、白川の上流輪の乗より南に限り今の阿蘇山は実に新火口として輪の中央に聳立するもの、輪の直径七里、中に一町一四村あり、無慮四百の生霊を衣食せいしむ、このごとき火口の絶大なるもの実に全世界第一と称す。
国木田独歩:「忘れ得ぬ人々」(明治)
ところでもっとも僕らの感を惹いたものは九重嶺と阿蘇山との間の一大窪地であった。これはかねて世界最大の噴火口の旧跡と聞いていたがなるほど、九重嶺の高原が急におちこんでいて数里にわたる絶壁がこの窪地の西を回っているのが眼下によく見える。男体山麓の噴火口は明媚幽すいの中禅寺湖と変わっているがこの大噴火口はいつしか五穀実る数千町歩の田園とかわって村落幾個の樹林や麦畑が今しも斜陽に静かに輝いている。
三吉達治:「艸千里浜」(昭和)
肥の国の大阿蘇の山
裾野には青押しげり
尾上には煙なびかふ山の姿は
そのかみの日にもかばらす
環なす外輪山は
今日もかも
思出の蓋にかげろうふ
うつつなき眺めなるかな
深田久弥:「日本百名山」(昭和)
阿蘇の規模は世界一と言われる。中学生の頃、その旧噴火口の中に町や村があり、汽車が走っていると教えられたが、想像できなかった。後にそれが陥没火口であることを知ったが、東西四里、南北六里という広さは、やはり想像では実感できなかった。
なるほどこれは大きいとつくづく思ったのは九重山の上から、祖母山の上から、眺めた時であった。阿蘇より高いそれらの山から陥没火口を覗きこむ事が出来た。その中央に立っている所謂阿蘇五岳も数えることが出来た。しかし私がさらに驚いたのは、
そのカルデラよりも、環をなした外輪山の外側に広がる裾野の大きさであった。(中略)
火とを避けて私は外輪山の大観峰へ行った。おそろしく寒い日で、茫々と風に吹かれる私のほか誰もいなかった。そこから眺めた外輪山の長大な連なりには目を見張った。自然の万里の長城といった趣である。
阿蘇は今日も荒れている
山鳴りの音絶え間なく
火山灰は空を被うて暗い
地ならずば冬雷天に鳴りいでよ
●はてしない広がり
徳富蘆花:「青山白雲」(明治)
人家と樹木は湯谷に至って尽きたり。湯谷より一歩上がれば、身は芽萱の海にあり。
見渡せば、峰と云はず、谷と云はず、眼の届く限りは青っき萱芽なり。山を包み谷をおおふもの、皆人の長程の青き萱芽なり。
髪よりも稠く山の頭をおおうもの、皆青き萱芽なり。一陣の山おろし山頂より颯と吹き下れば、ざわざわざわざわ、山韲き谷揺らぎて、日に背く方は青緑の浪を漲らし、日に向かふ処の谷又山は、青白き光澤ある天鷲城の浪うてり。身をたち隠す萱芽を傘にて押し分け押し分け上り行けば、さわさわさわさわ、路は前に開けて後ろに合ひ、行きても行きても萱芽中、宛ら波を踏んで大洋を渉るに似たり。
夏目漱石:(俳句)
阿蘇の山中にて道を失ひ終日あらぬ方にさまよふ二句
灰に濡れて立つや薄と萩の中
行けど萩行けど薄の原廣し
種田山頭火:(俳句)
すすきのひかりさえぎるものなし
枯草の果てに山あり火を吐けり
中村憲吉:(短歌)(昭和)
山のうえに草千里浜とは寂びしけれ雲がたちまちひくく時雨れつ
くさ原の紆はろけし雨のなかとほき小山に馬あらはるる
大空に阿蘇の草山はてしなし放ちの牛馬とほく遊ぶべく
佐々木信綱:(短歌)
大空に燃ゆる火の山仰ぎ見つつ茅萱わけ行く阿蘇の裾原
若山牧水:(短歌)
風さやさや裾野の秋の樹にたちぬ阿蘇の月夜のその大きさや
●なだらかさ
荒木精之:「波野高原」(昭和)
駅前からすぐ原っぱになっている青草をふんで、波野で一番高いというところに立った。一番高いところといってもそれは知れたもので丘ともいえぬ、原っぱの小高いところにすぎなかった。そしてそこからみると波野高原はちょうど波野ようになだらかなうねりをなしてはてもないもでにひろがっていた。雲雀の鳴く音がしきりに聞こえ、ときどき閑古鳥も啼いていた。
●柔らかさ
伊藤信吉:「詩のふるさと」(昭和)
私がいったのは開きの末だから、すでに牧草は枯れ、放牧も終わっていた。その枯草のなんという柔らかい色。目にうつる色の柔らかさが、そのまま触感になって皮膚をあたたかくするような少し青味を含んだラクダ色である。私はラクダ色という形容を思いあてるまで、この柔らかさは、いったい何にたとえたらいいのかと、乏しい色彩の知識をあれこれとさぐっていた。季節はちがうけれども、その冬枯れの色には「名もかなし艸千里浜」とうたわせるような懐かしさがあった。
●静けさ、安らぎ
宮柊ニ:短歌(昭和)
冬の日の遍く差して阿蘇谷の一千町歩憩へるごとし
有明の湾より誘ひ鴨獲ると隼田に水を湖のこと張る
外輪の山々めぐるしづかなる国の最中の霜溶けんとす