長沼伸一郎 著『現代経済学の直観的方法』
新型コロナ禍が
資本主義をリセットする?
193時限目◎本
堀間ロクなな
目からウロコがぼろぼろ落ちる思いがした。数理物理学者の長沼伸一郎の著作『現代経済学の直観的方法』(講談社)だ。書店のふだん縁遠い経済学のコーナーでこの分厚い書籍を手に取ったのは、オレンジ色の帯の「わかりやすくて、おもしろくて、そして深い。資本主義の本質をつかむ唯一無二の経済書!!」との宣伝文句に惹かれたからだ。いくらなんでもそんな……と、眉にツバつけながらページを開いてみると、あにはからんや看板に偽りなしで、一気呵成に読みとおしてしまった。
ソ連崩壊(1991年)後に世界の唯一の経済原理となりおおせた資本主義が、想像を絶する規模の環境破壊や格差社会をもたらすに至って、かまびすしく警鐘が轟きわたり、それに代わる新たな未来像が希求されて久しい。だが、これまでのところ机上の空論にとどまって現実の歯車を回転させられないばかりか、急速に膨張するインターネットのヴァーチャルな領域を巻き込んで資本主義の暴走ぶりにはいっそう拍車がかかり、もはや人類自身の手ではとうてい制御できないように見受けられる。
このへんの事情について本書は、資本主義が際限なく拡大しながら死ぬまで走り続けなければならないのは、「金利」というものがあるから、と解き明かし、これを飛行船に譬えるなら、現在の高度を保つための浮力(金利)の5分の4は船体(消費)が発生させるが、残り5分の1は翼の揚力(設備投資)によってまかなわれ、つまりいったんストップしたらたちまち墜落してしまうと述べる。ことほどさように、まったくの門外漢にも経済学のエッセンスが直観的に把握できるよう工夫されているのが特色なのだ。
著者によると、世界の資本主義は、(1)軍事力維持の基盤として=旧英国型、(2)アメリカン・ドリームの舞台として=米国型、(3)他国の資本主義から自国を守るため=日本型の三つのタイプに大別されるとのこと。わたしなら(3)についてはいまや中国型と呼びたいところだが、それはともかく、もしこれから資本主義に代わるものを設計しようとするときは、三タイプのすべてをクリアする必要があり、それを押してでも新たな経済体制をめざさなければならないのは、資本主義がその本質に「縮退」というメカニズムを持っているからだという。
「縮退」とは、たとえば自然の生態系では、サンゴ礁でオニヒトデが大繁殖すると他の多数の弱小種を駆逐してしまうのと同様に、経済システムにおいても、大型の店舗が進出してくると周辺地域がシャッター街と化してしまい、今日GAFAに代表されるごくひと握りの超巨大企業が世界市場を席巻してしまうような現象を指す。たとえ中心部は栄えて経済全体の量的拡大を見たとしても広汎・多様な相互作用の劣化へとつながり、ひいてはそれが人類の「欲望」だけを掻き立て「理想」を見失わせていくことが大問題だと強調するのだ。こうした事態への処方箋を、著者はつぎのように示す。
「実例を見ても多くの場合、一旦縮退に陥ってしまったものは、そこからゆっくり回復するより、むしろ全体が一種の大破局でリセットされて、更地から再出発していることが多い」(太字原文)
そして、「以下はまだぼんやりとしたスケッチに過ぎないが」と断ったうえで、囲碁をモデルとして開放的な「呼吸口」を持った経済システムのあり方を提言する。だが、率直に言って、この将来ビジョンの部分はいきなり小手先の説明と化した印象があって、わたしには直観的な把握が叶わなかった。
本書の奥付を確かめると、2020年4月8日第1刷発行。ということはふつうに考えて、まだ新型コロナウィルスを知らない段階で原稿が書き上げられたはずだ。ここに摘出された「縮退」の概念とは、すなわち「三密」に通じるのではないか。だとするなら、目下、世界的なパンデミックのさなかにあり、さらに第二波、第三波と続く長い闘いのプロセスで、人類が否応なく「三密」の経済システムからの脱却を余儀なくされるのであれば、この災厄こそ資本主義をリセットするチャンスとなるように思うのだが、どうだろう? 著者の見解を知りたいところだ。