生駒聖天・寶山寺と門前町(いっこう寺社解説28)
―大和の現世利益のお寺6・
最古のケーブルカーなど
〝寶山寺堪海〟は験者として世に聞こえ、大和郡山藩に及ばず御所・将軍家の帰依を受け近世後期には聖天(大聖歓喜天)の神威絶大と喧伝され、庶民の霊地となった。その参詣道は、近世から明治期は生駒山を越えて寺に通じる大和側は生駒谷壱分からの表参道、大坂側として枚岡石切からの辻子谷越え参道、脇参道として暗峠寶山寺道・八丁門峠越え寶山寺道の4本があり石畳舗装され、道標・丁石も整備されていた。山駆け道として平群千光寺からも庄兵衛道も存在したが、通行する人は絶えた。
明治43(1910)年大阪電気軌道(現近畿日本鐡道奈良線)が大阪上六-奈良駅が開通し〝生駒駅が開設〟された。山麓の生駒駅前一之鳥居から山門まで、一千段余幅6mの石段による新参道が整備され(現市道宝山寺参詣線830m・2020/4.改修工事で改変)、生駒山開発(山上・仲之町住宅街など)と共に「大阪奥座敷」としての歓楽街色彩の〝門前町〟が生駒駅から参道に形成されていく事となる。近世には〝八丁門越え〟・〝暗峠越え〟にあった茶屋が移動し、料理屋・旅館・置屋を備えた〝寶山寺新地〟歓楽街へと発展・繁栄したのも今は昔の事となった。また大正7(1918)年には日本最初のケーブルカーが大軌により鳥居前-宝山寺駅(宝山寺線・複線)、宝山寺-生駒山上駅(山上線・昭和4(1929)年)まで参拝客を運ぶ為に敷設される(大正3(1914)年大軌の生駒トンネル大工事の費用負担や社員給与支払い困窮を寺が切符10萬枚と引き換えに資金提供したのは有名な話である)。
今も寺の玉垣や燈籠にも〝億・千萬・百萬〟単位の永代浴油寄進・献灯寄進を記したのを目にする。講の存在は天保1(1830)年では6講社が記録に見えるが、平成4(1992)年55講社・令和3(2021)年36講元が確認される。檀家を持たない寺院であるが、講の総参りと奉仕と寄進による庶民信仰の現世利益の寺と言えるだろう。
因みに聖天堂から奥の院へと上がっていく道沿いには、地蔵尊が建ち〝文殊堂・観音堂・常楽殿・遥拝殿・多宝塔・宝山寺観音・五社明神・大師堂・子安地蔵六地蔵尊・開山堂・大黒堂・奥の院本堂〟諸々の堂宇もまた信者寄進によるものである。聖天縁日は1日と16日、この日愛染明王を祀る多宝塔も開扉される。不動明王縁日は毎28日・観音縁日18日・弘法縁日21日・地蔵縁日24日。
【freelance鵤書林252 2020/7/3いっこう記】