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「宇田川源流 日本万歳!」 コロナウイルス禍で得たものは「日本人の本来の姿」ではなかったか?

2020.06.28 22:00

「宇田川源流 日本万歳!」 コロナウイルス禍で得たものは「日本人の本来の姿」ではなかったか?

 月曜日は「日本万歳!」。日本人の素晴らしいところかや日本人特有の価値観、日本人の技術などを紹介し、そのすばらしさを堪能して、自分も日本人であるということに関してほころうぃ以て仕事をするようにしてもらいたいと思って、このような文章を書いている。

実際に、コロナウイルス禍で日本人の心は徐々に荒んでしまっているし、現在私の周辺では東京都知事選で、まあ、なんだかわからない論争をしている。実際のところあまり興味がない。なぜと知事選挙で国政の論争をしているのか全く意味が不明だし、また、世界がコロナウイルス禍で、まだまだうまくいっていない状況の中で、日本は特に克服宣言を大々的に(ちっちゃくはやったよな)やったわけではないが、いつの間にか経済復興にシフトしているのである。まさに、「いつの間にか」「なんとなく」日本というのはそのような状況で変わってゆくのであるが、まさに日本はそのような日本らしさを発揮している。

日本は、日本人らしさから、「コロナウイルスの感染も死者も世界で驚愕されるほど少ない」ということになっている。このことに関してはすでに書いた通りであるが、残念ながら「そのような結果なのになぜか政治が悪いことになっている」というのも不思議なものである。

一方、日本人の意識も変わっている。まあ、政治の話は別にして「テレワーク」という就業体型が、そのまま「会社に通って、働いて、給与を得る」というような生活習慣が、今回劇的に変わった。との内容の変化に対応して、日本人は日本人的な思考の中で、新たな内容を模索しているという感じになる。

ある意味で、日本人は農耕民族であり、なおかつ日本人は村社会的な地縁社会である。同じ生活の糧を得る集団をもって、その生活の糧を得る集団の内容を一つの組織として認識するようになっている。この生活習慣の変化がそのまま、次の時代を示すカギになっているのである。

「仕事より生活重視」「地方移住に関心」…コロナが変えた価値観

 内閣府は21日、新型コロナウイルス問題を受けて実施した世論調査で、感染拡大中に「テレワークを経験した」人が全国で34・6%、東京23区で55・5%に上ったとする結果を公表した。

 調査は緊急事態宣言解除後の5月25日~6月5日、インターネットを通じて15歳以上の男女約1万人を対象に行った。

 調査によると、テレワーク経験者の64・2%、通常通り勤務した人の34・4%が「仕事より生活を重視するように変化した」と回答。「地方移住に関心が高くなった」とする人もテレワーク経験者で24・5%と通常通り勤務した人の10・0%を大きく上回り、テレワークで意識が変化する割合が高かったと指摘した。

 西村経済再生相は21日の記者会見でハンコや紙に依存した慣行の見直しを課題に挙げ、「社会全体のデジタル化は今回、我々に突き付けられた大きな課題で、一丁目一番地で進めていきたい」と述べた。

2020年06月21日 18時05分 読売新聞

https://news.nifty.com/article/domestic/society/12213-701794/


 上記のように、日本人のことを「村社会文化」というようなことを言う場合がある。農耕民族でなおかつ地縁的な共同関係を重要視し、その共同関係の中において暗黙の了解を重視するというような文化性である。

その文化性が現代社会になると「地縁的」ではなく「会社などの共通の生活の柱を中心にした人間関係」ということになる。「愛社精神」などというのはまさに村社会的な連帯感であるといえる。血縁などとは全く関係なく、同種の収入源、ある意味で生活基盤の共有をもとに、そこに連帯感を求めるという行為である。当然に政治や選挙などは、この「生活基盤」単位で物事を行うべきであり、そのような行為を行うことの政治利権団体が、現在で言えば「業界団体」ということになる。

まあ、政治の話は少し置いておいて、これがコロナウイルス、特に「家の中に閉じこもる」ということによって、「生活基盤の共有」は変わらないものの「毎日顔を合わせて連帯感を深める」という作業がなくなってきてる。ある意味で、「ネット内における仮想空間での生活基盤の共有」ということと「実際に肉体が感じる生きている実感の共有」が分離したというように考えるべきではないのか。

まさにそのような考え方ができるようになり「体が求めるものと生活基盤の共有の分離」が発生する。今まで、「体や精神が求めるもの」と「生活基盤」が分離してしまうことによって、過労死や鬱ということが発生していたが、テレワークによってその二つの要素を分離することによって一つの解決策ができるようになる。会社側とすれば、それでも時間などを拘束し「テレワーク飲み会」などを企画することによって、連帯感の演出を行うことになるのであるが、一方で、全くそのこととは関係ない状況で、人間の感覚は拡大してゆくことになるのである。

テレワーク経験者の64・2%、通常通り勤務した人の34・4%が「仕事より生活を重視するように変化した」と回答。「地方移住に関心が高くなった」とする人もテレワーク経験者で24・5%と通常通り勤務した人の10・0%を大きく上回り、テレワークで意識が変化する割合が高かったと指摘した。<上記より抜粋>

まさに、そのような感覚が出てきたことが「実際に空気管を共有しない仮想空間の村社会」ということが出てくる。そして、人間そのものは田舎に住むことによってその問題を解除するというような状況が生まれてくる。

ある意味において、それは日本にzんの「農村回帰」を意味しているのではないか。コロナウイルスの中で、様々な多様性を見てきたが、まさにその多様性を十分に考えられる日本人こそ素晴らしいのではないかという気がする。