さだまさし 「関白宣言」
いや、本当に、別にオールディーズばかり聴いているわけではないんです。
むしろ、普段全然聴いてないっていう方が正確なんです。
でもなぜか、パッと浮かんだコトバがこの曲だったのです。
ということで、さだまさしの代表曲「関白宣言」を。
さださんは、メロディのキレイさも素晴らしいのだけど、コトバの選び方がとても秀逸な方だと思っている。そういう意味で小説を書かれていることもすごく自然なことに思うし、コンサートでもそのコトバを選ぶセンスが巧みな話術へとつながって、MCの面白さも大きな見どころのひとつになっている。
そして何より、あの周りを惹き込む笑顔は、ずるいなぁとすら思う。
人懐っこい笑顔と、巧みな話術と、秀逸なコトバ選びがそろったら、そりゃ愛されるわ。
なんというか、大御所っぽくない雰囲気が、逆に大御所感を演出しているような、そんなイメージ。
ところで、私事で大変恐縮ですが、6月22日に結婚記念日を迎えて、結婚5周年となりました。せっかくなので結婚に関するコトバを考えていたら、気がついたら数日がたち、結婚記念日とはまったく関係のない日になってしまったのだけれど。
ボクら夫婦(というか特にボク)はとてもマイペースで、平和主義者で、のんびりとまったりと居心地の良い空間で過ごす時間がとっても好きで。そんなだから、特に大きなケンカもなく、気付いたら5年という月日が経っていた。
もちろん、たかだか5年間しか結婚生活を過ごしていないので、結婚のなんたるかを語るほどの何かを会得しているとは全く思わないのだけど。それでもこの曲の歌詞の一部は、ボクの結婚観にすごくフィットしていて、とても共感できる。
幸福は二人で育てるもので
どちらかが苦労してつくろうものではないはず
「絶対に幸せにする」っていうコトバはカッコいいのだけれど、相手を幸せにするために頑張りすぎて、無理をして、それで苦しそうな姿を見せてしまったら、きっと相手は幸せを感じてくれない気がしていて。
だから、相手を思いやりながら、自然体でいることがいいんだと思う。
自然体と思える範囲の中で、相手を思いやるというか。
真冬の寒い日のこたつのように、相手にとって自分が居心地のいい空間になれるような努力を続けていると、いつしかそれが自然体へと融合していって。
そしてお互いにそれを続けていくうちに、二つの円が重なり合うように、お互いの居心地の良さがシンクロしていって。
でも、自然体だから、どうしたって完全には重ならないわけで、そのちょっとしたズレも自然なものとして受け入れていけばいいんじゃないかな、と。
誤解を恐れずに言えば、育ってきた環境の違う他人なわけだし、きっと完璧に重なり合う円になることは難しくて。もしそうなったとしたら、きっとそれはどっちかが無理をしているはず。つくろっているはず。
ありのまま、というより、そのまんま、な自分と相手で、パーフェクトじゃないかもしれないけど、ベストな空間を作っていく。
「幸せにする」ではなく、「幸せにしてもらう」でもなく、「二人で幸せになる」がちょうどいいんじゃないかと。
5年という期間を過ごしてきた中で、得られた今の結婚観。
そしてそれは、結婚前から描いていたもので、それを手に入れられたボクは、きっと幸せ者なんだろう。
ところでこの関白宣言。
こんな感じの結びを迎える。
子供が育って年を取ったら、
俺より先に死んではいけない。
例えばわずか一日でもいい、
俺より早く逝ってはいけない。
何もいらない。俺の手を握り、
涙のしずく、ふたつ以上こぼせ。
お前のおかげでいい人生だったと、
俺が言うから。必ず言うから。
数年前から、世の男性は肉食だの草食だの言われているけれど、肉食動物でも草食動物でもパートナーへの愛情表現は人間よりよっぽど素直なわけで。「関白宣言」という体ではあるものの、素直な愛情をちゃんと伝えているこの人は、いい男だと思う。
※死の間際にではなく、「今」の素直な気持ちを伝えているのがいい。
愛情を伝える、という面においては、言ってみれば「言うは一時の恥 言わぬは一生の恥」とばかりに、恥ずかしがらずにちゃんと伝えることが大切だよな、と思う。
もしかしたら結婚記念日というのは、そういう素直な気持ちを伝えるタイミングを作るために機能するものなのかもしれない。
ということで、たかだか5周年。
今までありがとう、というよりも、これからもよろしく、ということで。