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代表的日本人

2020.06.28 07:21

 本書はキリスト教徒でありキリスト教思想家(*注1)でもあった内村鑑三(1862-1930)氏の代表作で、もともと英文著作として書かれたものを日本語に翻訳した作品です。(題名は、Representative Men of Japan。1908年/明治41年出版)

 みなさんは、日本人の代表として5人挙げるとすれば誰を思い浮かべますか? 聖徳太子、紫式部、織田信長、伊達政宗、豊臣秀吉、徳川家康、坂本龍馬、、人によって千差万別だと思いますが、内村氏は、当時、キリスト教国の人々から「異教徒」と呼ばれている日本人の中にも、(西洋のキリスト教徒よりも)よりキリスト教徒らしい人物がいたことを見出していました(解説より)。 そして、私心を捨て社会の向上に尽くす人物を「代表的日本人」として西郷隆盛・上杉鷹山(うえすぎようざん)・二宮尊徳・中江藤樹・日蓮の五人をあげています。 本書はこのように、政治家や軍人より、私利私欲の無いリーダーシップで周囲の人間を巻き込み社会向上に尽くした行動家や思想家といった感じの偉人を人選した、その内村さん独特のキリスト教思想家の視点が独特の魅力になっていると思います。また、素朴な文体に仕上げている鈴木範久氏の訳が素晴らしいせいもあるでしょう。(実は私の勉強不足で、上杉鷹山とか中江藤樹といった人を初めて知ったのですが、今更ながらですが、「こういう日本人もいたんだ。」という感動も持ちました。)

 また、「なぜ当初は英文で書かれたのか?」 という経緯ですが、それは、明治維新が始まった1868年の江戸城無血開城後の、日本が国際化への歩みを始めた頃にさかのぼります。当時、西洋諸国は日本を野蛮な国とみなしていました。その偏見を打破し、英文により日本の文化・思想を西洋へ紹介しようとする動きが日本の文学界に出てきます。例えば、岡倉天心(「茶の本」),新渡戸稲造(「武士道」)などです。こうした動きの中で、内村さんは(おそらく)キリスト教的な思想においても日本は決して劣っている国ではない、というアピールを本書において成したかったので直接英文で書いたのだと思います。

  明治維新の立役者である「西郷隆盛」の章のペリー提督黒船来航の書き出しにしても、次のようになっています。「私は、アメリカ合衆国のマシュー・ガルブレイス・ペリーこそ、世界の生んだ偉大な人類の友であると考えます。ペリーの日記を読むと、彼が日本の沿岸を攻撃するのに、実弾にかえて讃美歌の頌栄をもってしたことがわかります。ペリーに課せられた使命は、隠者の国の名誉を傷つけることなく、また、生来のプライドを棚上げしたままで、日本を目覚めさせるという、実に微妙な仕事でありました。彼の任務はほんとうの宣教師の仕事でありました。(中略)世界に国を開くにあたり、キリスト信徒の提督を派遣された国は『まことに幸いなるかな』であります。」(*注2) (。。と、ペリー提督がなんとなく神の思し召しで日本へ来たように書かれていますが、当時の狂歌「泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん) たつた四杯で夜も眠れず」 でも連想されるように、日本人の持つペリー提督観というのは、強国列強の海外拡張政策の流れに沿い、半ば強引に日本に開国を迫ったアメリカ人、というものだと思います。)

 そして、この後には「キリスト信徒の提督が外から戸を叩いたのに応じて、内からは『敬天愛人』を奉じる勇敢で正直な将軍が答えました。二人は、生涯に一度もたがいに顔を合わせることはありませんでした。(中略)(しかし、)私どもは外見はまったく相違しているにもかかわらず、両者のうちに宿る魂が同じであることを認めます。知らぬ間に二人は共同の仕事に参加し、一人が始めた仕事を、残る一人が受け継いで成就したのであります。(中略)思慮深い歴史家の目には驚くほど見事に『世界精神』が『運命の女神』の衣装を織りなすのがわかります。」(P16)というように続きます。

 このように、偉人の運命や使命を自身のキリスト教観も投影させて一つの物語のように書いているところが本書の魅力になっていますが、それは換言すると、内村鑑三氏のもつキリスト教的人道主義思想という一種のフィルターを通してみた日本人観が魅力的である、ということになるのかもしれません。

 ところで、この5人の中で私的に感動したのは、上杉鷹山と二宮尊徳です。 上杉鷹山という人は出羽国米沢藩(今の山形県米沢市)第九代藩主になった人物です。幼少の頃、養子縁組で米沢藩に迎えられ、自身の才覚により若くして藩主になりましたが、当時米沢藩の財政は最悪でその負債は何百万両もあったのですが、財政改革や自由な教育風土を取り入れることにより、見事藩の財政改革に成功したのです。また、二宮尊徳(金次郎)は、江戸時代末期に関東から南東北の農村復興に尽力した人物です。特に二宮尊徳に関しては、尊徳氏の頑固な性格も紹介し、人格者でありながらも武骨で信念を貫こうとする人物として描いています。余談ですが、本書を読んだ第35代アメリカ大統領/J.F.ケネディは、1961年の就任直後、日本人記者との質疑応答の際、「日本でいちばん尊敬する人物」を聞かれたときすぐに上杉鷹山の名前を挙げた、といいます。(*注3)

(*注1)内村は従来のキリスト教のあり方にとても大きな疑問を持ち、教会で行われる儀式やそれを執り行う聖職者も含め教会は不要である、という「無教会」という立場を説く。すべての人間は、個であるままキリストと結びつくことができる、と考えた。(NHKテキストビューより)

(*注2)実際のところ、ペリー提督は、率いる艦艇の数を圧倒的なものにして、日本の江戸湾へ送り込み、(当初はアメリカ海軍所属の太平洋艦隊全12艦を率いて江戸湾を訪れる計画でした。)その威圧を背景に親善外交を行なおうとしていました。確かに、アメリカ側としては日本側が武力を行使しない限り、武力に訴えて外交を行うことはアメリカ政府が禁じていました。ちなみにペリー提督は日本訪問第一回目は四隻、二回目は九隻の艦隊を率いて江戸湾を訪れました。

(*注3)米沢の歴史を研究する小野榮は、ケネディが上杉鷹山を尊敬していると述べたというのは誤りで、鷹山を尊敬していると述べたのは、第26代大統領セオドア・ルーズベルトであり、彼が鷹山を知ったのは、新渡戸稲造が英文で出版した『武士道』を読んだからだと述べている。(Wikipediaより)