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宙海の音(Sorami no Oto)

慢心への戒め

2020.06.28 14:49

別に統計を取っているわけではないが、周囲の人たちの話を聞いているとこのパンデミック自粛期間は人それぞれに変化の時期となっていて、そして先週の日曜日の新月・部分日食の時期前後にさらに大きな変化のきっかけを体験している人が多いように思える。

やはりエネルギーの質と量が尋常ではないのだろう。

そして私自身もまるまる当てはまっている。

いったい何がここで起ころうとしているのだろう。

すごく興味がある。

今自分の中でちょっと危険信号としてチカチカ光っているのは『慢心』という言葉。

変化が順調でいい状態であればあるほど逆に今のいい状態にこだわってしまいがちになる。

だが今のこの状態も一つの通過点だ。

これが最高地点ではない。

我々はずっと旅を続ける存在。

到達地点にない。

到達すると思えるのは歩みを止めたから。

もうここで十分、自分は悟りきったとその場に留まったから。

だから謙虚でいること。

尊敬する人生の先輩たちに出会うといつも必ずする質問がある。

ある程度のところに到達すると周囲はあなたを師とあがめ、奉ろうとするだろうけれど、それはそこで足を止めてしまうことになって、とても危険なことのように思える。その誘惑をどうやって退けているのかと・・・。

ある人は答えてくださった。

褒められても「そうですか」、

けなされても「そうですか」と流している。

自分が耳を傾けるのは他人の声ではなく、天の声、自分の内なる声であると・・・。

ある人はこう答えられた。

「ヒトラーを自分の戒めとし、ヒトラーを自分の背中にいつも背負っているつもりでいる」と・・・。

ある人は言う。

「自然の中で日常生活を送っているとそのような声に誘惑を感じない」と・・・。

さて、私はまだ到達していないのに昔からやたらこのことが気になっていた。

何人も見てきたのだ。

先生と呼ばれ、成功し、取り巻きが増えていくたびにその人の歩みは遅くなり、やがて歩みを止めてしまうのを・・・。そしてその人が語る言葉はもはや過去に受け取った叡智の切り売りにすぎなくなるのを・・・。歩み続けていた経験から来る生きた叡智の言葉はもはや聞かれなくなるのを・・・。

自分が知っていることを知らない人に教えるのではない。

ただシェアするだけだ。

自分が伝えなくともその人は自力でたどり着いたであろうことをただたまたま先に経験した自分の経験話として伝えるだけだ。

これからきっと増えていく。

自分が今急激にいろいろつなぎ合わせていって、

確かなものにしていっている段階にきていることを感じる。

その過程でいろいろ気づくことも増えてきている。

そしてシェアする機会も少しずつ増えているように思える。

その時の自分のスタンスを過たないように。

黄色の危険信号がチカチカしている。

これからが正念場。

大地にしっかりと足をつけ、

天とつながりながら存在している自分がここにいる。

それがすべてだ。

大きなうねりは不安を呼び起こす。

だが不安は変化の前触れだ。

我々は大丈夫だ。

きっと支え合って生きていける。

この世界が愛とやさしさ、思いやりで満ちあふれたものでありますように。

お互いがお互いを愛で包み込んでいる世界でありますように。

我々が我々を美しいと気づく人が増えていきますように。