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ʻOluʻOlu

幸せの許可

2020.06.29 14:58

自分は幸せになってはいけないのかもしれない

という気持ちに気がついた昨日

幸せの器

友人と久しぶりに会ってその話をした。


私の恵まれた状況や

元来あった楽天的な性格


何も罪悪感に思う必要はないのに

それも含めて全部(恵まれた状況も含めて)

えっちゃんなのに

と言ってもらえて

LASのみんなにはずっと言ってもらっていた言葉だけれど

ずっと昔から知っている友人に言われて

最後の最後にある自分の制限のようなものが解けていったように感じた。


それを罪悪感に感じる人もいるんだってことがわかった

とさらに言ってもらって

ずっと気にしていたことも知らなかったよ

と。

独り相撲?

とも頭によぎったけれど

昔の色んな記憶がやっぱりフラッシュバックしてきて

それもスーッと流れていった。

大元をたどっていくと

やっぱり父親の影響が大きくて

苦労しなければいけない

罪悪感を持たなくてはいけない

自分の好きなことをすると幸せになれない

(父の認めるものでないと幸せになれない)

とこれを書いていても色んな記憶がよぎっては流れていく

ああ、

そうだった

そうだったんだね、と

自分に言ってあげる。


友人に

私だったら迷わず幸せの方に行くよ

なんか言ってくるやつがいたら

何か?

と言ってやる

と笑顔で言われて

笑ってしまった。

これを書いている今もまだ

胸のあたりにつっかえ棒がある感覚だけれど

幸せになっていいんだ。

安心していいんだ。

好きなことをしていいんだ。

と友人と別れてからも

胸の内で反芻している。

私の周りには昔のように

つべこべ言ってくる人もいない。

意地悪を言う人もいない。

気がつけば、昔からの友人でも私の本質をずっと見てくれていた人しか残っていない。

怖がっている自分に気が付きつつも

それが本当にゆっくりと解けていく感覚を

今、感じている。

私は幸せになっていい

このままの私で

胸が緩みました

暖かくなって

涙が出る

ありがとう