「ちゃんと」しなくても大丈夫な世界があった⭕️
前回は、「ちゃんと」を「やらなくても大丈夫な世界」に私はいるのだと実感した出来事が最近あったんだ。
って言うところで終わったんだった。
でね、続きを書こうと思ったんだけど、数日経ってみたら「あの時、何を書こうとしてたんだっけ?」みたいな感じなの(笑)
朝から文章を書いては消し、書いては消しを繰り返していて、全然「ちゃんと」書けないの。
そして思った。
「ちゃんと」
「書けない」ってことを書けばいいか。と(笑)
きっと以前の私なら、「つづく」なんて書いたら、その後に出す文章を「ちゃんと』作ってから投稿していたと思うんだ。
でもこの間は、後を考えずに書いていた。
もうすでに私の中の「ちゃんと」は、薄れてきているんだと思う。
そんなことを書き始めたら、何を書きたかったのかちょっと思い出してきたぞ(笑)
そう、最近の出来事でね
マウスクッキングの様子を、ライブ配信しようと思って始めたんだけど、毎回本当にいろいろなトラブルがあって
電波が悪くて途中で固まっちゃったり、パソコンの電源が急に落ちて、電波が悪くて途中で固まっちゃったり
パソコンの電源が急に落ちて、再起動してもビデオが復元できず、結局最後まで声のみの配信になっちゃったり
事前にテストした時もかかわらず、本番でサイトでつなぐパスワードを忘れ、配信予告時間になってもライブが開始できないみたいなことがあったり…。
こんな失敗、以前の私だったら絶対許せなかったし、「ちゃんとできなかった自分」を責めて、ものすごい凹んでいたと思う。
そして「次はちゃんとやらなくちゃ!」って。
でも、今この感覚があまりない。
「ちゃんとやらなくてもオッケーだよ!」
って、許されている感じがあって。
それをすごく実感できたのは、オワマル仲間とともに、初のオワマル本『すべてマル』〜自信のない私にマルをつける本〜の制作に、編集担当として関わらせてもらったことが大きかったなぁと。
「最後にはすべてうまくいくようになっている」って言うマインドでみんなが関わっているから
期日までに原稿が終わらなくても◯マル
いちど決めたけど、また決め直すも◯マル
やってもいいし、やらなくても◯マル
「全てが許される」
責任なんて思い荷物も背負わなくていい
「デキる人」を演じる必要もない
そんな世界観を体感したがゆえに、私の中の「ちゃんと」設定が薄れていっているんだろうなと思ったんだよね。
まだまだきっと、私の中の「ちゃんと」ちゃんは、時々顔を出してくるんだと思うんだけど、少しずつバイバイできできている自分に気づけた今日この頃でした!!