あざなえるなわのごとし
こんにちは。
こころの健康支援室 そらいろのmirineです。
7月が始まり、今年も後半に突入しました。
新型コロナウイルスが今後どのように推移していくか、それに対して国、自治体、所属する組織、個人等がどのように対応していくかによって、今年の後半以降も「予想通り」「想定通り」とはいかないことが出てきそうです。
思い通りにならないことというのは、イライラや不安につながりやすいものです。
おそらく、少し前の自粛期間中には、多くの人が大なり小なり感情のゆれを体験されたのではないかと思います。
予想通りにいかないこと、思い通りにならないことは、人を落ち着かない心地にさせるものです。
「こうなるだろう」という想定や期待が裏切られるということは、その場の状況に合わせて新しい別の対応を迫られるため、自分にとって都合が悪くなるからです。
たとえ能力も、備えも、努力も十分で、予測やお膳立てが磐石だと思えることであっても、思い通りに進まない物事というものは出てくるものです。
それでも一喜一憂してしまうのは、物事が「自分の思い通りになってほしい」という期待に焦点が合ってしまっているからかもしれません。
自分の思う通りになってほしいと強く期待し願っていると、思い通りにならなかった時、結果に落胆し、これからどうしようと不安になったり、思い通りにならなかった原因と感じる人や物事に怒りやかなしみを感じてしまいます。
物事は思い通りになることもあればならないこともあるのが普通という心持ちでいると、思い通りになれば「ラッキー」「ありがたい」と感じ、たとえ思い通りにならなくても「そういうこともあるよね」というくらいの気持ちでいることができます。
もちろん、人生にかかわるような大きな物事について、思い通りになってほしいと期待するなと言われてもなかなか難しいものです。
しかし、日常の小さなことから、何事にも「人間万事塞翁が馬」と思うように心がけていると、少しずつ思い通りにならないことに対して感情が大きく波立たなくなっていきます。
小さな「思い通りにならないこと」に対して、「そういうこともあるか」と思えるようになると、より大きな物事に対しても少しずつ同じように思えるように心持ちが変わってきます。
禍福は糾える縄の如し。
人の頭では、良いも悪いも何がどう転じるのか、すべてを予測することは元より不可能なことです。
自分の望みは望みとして持ちながら、一時の禍、一時の福に大きく気持ちを左右されないでいたいですね。
あらあらかしこ