南留別志317
2020.07.01 08:41
荻生徂徠著『南留別志』317
一 余綾郡を「ゆるぎの郡」とよむ事は、「よろぎ」の転ぜるなり。綾を「ろぎ」とよむは、「りよう」の「う」のかなを朝鮮音にて「ぎ」とよむなり。
[語釈]
●余綾郡 神奈川県大磯あたり一帯を、古くは「相模の国 余綾(よろぎ)」といった。律令制が制定されて以降の文書では、餘綾郡(よろぎのこほり)と表記され、のちに淘綾郡と表記を変えながら明治時代までその名は残っていた。
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一 余綾郡を「ゆるぎの郡」とよむ事は、「よろぎ」の転ぜるなり。綾を「ろぎ」とよむは、「りよう」の「う」のかなを朝鮮音にて「ぎ」とよむなり。
[語釈]
●余綾郡 神奈川県大磯あたり一帯を、古くは「相模の国 余綾(よろぎ)」といった。律令制が制定されて以降の文書では、餘綾郡(よろぎのこほり)と表記され、のちに淘綾郡と表記を変えながら明治時代までその名は残っていた。