GRATEFUL DEAD 50 / FARE THEE WELLから5年。アメリカに刻まれてきたグレイトフル・デッドという道標。
キャプテントリップと称され、サイケデリックカルチャーのアイコンでもあったジェリー・ガルシアが逝ってしまったのは1995年。長きにわたって、グレイトフル・デッドという名が封印されていたが、グレイトフル・デッド結成50年にあたる2015年、シカゴとカリフォルニアで5回のみリユニオンショー「 FARE THEE WELL」が開催された。懐かしむための再結成ではなく、現在進行形のカウンターカルチャーを体現する。そのために全世界からデッドヘッズがシカゴに集結した。
文 = 菊地 崇 text = Takashi Kikuchi
写真 = 林 大輔 photo = Daisuke Hayashi
25年前の1995年8月9日。キャプテントリップと敬愛され、カウンターカルチャーを主導してきたグレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアが逝ってしまった。グレイトフル・デッドは、その名前で再び活動を行わないと声明を発表。フィル・レッシュ、ボブ・ウィア、ビル・クルーツマン、ミッキー・ハートという4人のメンバーは、グレイトフル・デッドという文化を継承しつつ、新しい音の旅を始めた。
グレイトフル・デッドが、サイケデリックという奇妙の旅を始めたのが65年のことだ。デッドを愛するファンはデッドヘッズと呼ばれ、デッドとデッドヘッズのコミュニティは「もうひとつのアメリカ」と称された。自由と平和を愛するコミュニティは、アメリカのみならず世界中のいたるところで50年以上にわたって形成されている。
2014年の秋頃から、グレイトフル・デッド結成50年にあたる2015年に何かあるのではないか、とデッドヘッズのなかで噂が流れた。そして2015年1月にグレイトフル・デッドのリユニオンが発表された。
4人のコアメンバーに加え、90年代の一時期にデッドに加わっていたキーボーディストのブルース・ホーンズビー、ボビーのラットドッグやフィル&フレンズに参加していたキーボーディストのジェフ・チメンティ、そしてジェリー亡き後のサイケデリック~ジャムシーンを牽引してきたPHISHのトレイ・アナスタシオの7人で、グレイトフル・デッドとしてショーを行うというアナウンスだった。場所はシカゴのソルジャー・フィールド、開催日はアメリカの独立記念日である7月4日を挟んだ3日間。ソルジャー・フィールドは、95年7月9日にジェリーが最後にショーを行った会場である。しかもこの3日間を最後に、二度とグレイトフル・デッドとして活動はしない、というメッセージも加えられていた。世界中のデッドヘッズの意識は、そこから7月のシカゴへ集中することになる。
7月3日初日。晴れ。ソルジャー・フィールドは、シカゴのダウンタウンから歩いて行ける場所にある。僕らは郊外の安モーテルに宿泊を決め、車で行くことにした。それはパーキングロット(駐車場)での時間も、デッドのショーの一部分だと思っているからだ。
ロットにはシェイクダウン・ストリートと呼ばれるマーケットが立つ。そこで稼いだお金を旅の資金に次のショーへ向かう。デッドとともに旅を続けるスタイル。次のショーがないシカゴでも存在していた。シェイクダウン・ストリートで、各地から来たデッドヘッズと交流をはかる。ショーへのプロローグとして、それがとても大切な時間になる。60年代から見続けているデッドヘッズもいれば、今回のショーが初めてだという若いデッドヘッズもいる。世代が違っていても変わらないのは、デッドが好きということ。日本から来た僕らを、みんなが受け入れてくれる。
ロットにいる時間もデッドのコミュニティを直に感じられるから貴重なのだけれど、開演時間よりもだいぶ前に自分の席に行くことにした。人が入っていない会場を実感しておきたかったからだ。まだあまり人が入っていないソルジャー・フィールドを見渡す。大きな会場なのだけれど、たった8万人しかこの場にいられない。そこにいられる幸せをあらためて感じた。
まだ西の空に太陽がある19時30分。7人はステージに上がった。ものすごい歓声がソルジャー・フィールドを包む。1曲目が「ボックス・オブ・レイン」。1995年7月9日にアンコールで演奏されたのが、フィルが歌うこの曲だった。2014年のフジロックでも明らかなように、デッドが封印された20年間、もっともサイケデリックを次世代に継承しようとしてきたのがフィルだ。鳥肌が立った。そして涙があふれてきた。
「ジャック・ストロウ」「バーサ」とデッドを代表する曲が続いていく。ただ、新しい解釈で音が提出される。昔を懐かしんでの再結成ではなく、7人の新しいグレイトフル・デッドが目の前にいる。セカンドセットでは、デッドの十八番である「ドラムス」も披露された。ビルとミッキーによるドラムセッション。2セットという大きな構成は、90年代までと変わらないのに、デッドは今を生きている。あっという間に、初日は終わった。気がつけば深夜の12時になろうとしている。デッドの存在感と未来へ繋ぐ意志に圧倒され、椅子に座ったまま放心していた。
7月4日独立記念日。晴れ。僕が体験した90年代のデッドのショーでは、中日がいちばん深い体験を味わった。デッドはさまざまな音の要素を内包しているけれど、3日間のうちで、もっとも自己の内面への旅に誘ってくれたのが、この7月4日だった。
PHISHのトレイが、デッドのトレイとして調和を始めている。デッドに憧れていた音楽家が、最後のデッドのショーでメンバーとして加わる。そのプレッシャーは相当なものだろう。なぜ自分だったのかという疑問もあっただろう。トレイは、それほど多くデッドのメンバーと共演しているわけではない。トレイの自由度が増していくことによって、僕らが今のデッドに何を求めていたのかがはっきりとしてきた。リユニオンではなく、新しい一歩。終わりではなく、始まり。今でも、トレイが歌ったジェリーの名曲「スタンディング・オン・ザ・ムーン」は頭から離れない。
7月5日最終日。晴れ。いよいよグレイトフル・デッドとして最後の日を迎えた。どうしても感傷的になってしまう。会場の外では日に日に人差し指を天にかざし、ミラクルチケットを求めているヘッズが増えている。
この日も19時30分に7人はステージに上がった。前の2日と違うのは、7人がステージで円陣を組んでから音を奏で始めたことだった。
音が会場のなかでうねっていく。ヘッズ一人一人が音を受け入れ、ソルジャー・フィールドがデッドでひとつになる。今、この瞬間にしか得られないライヴ(生)が存在している。そして未来へ続く何かがある。
これがグレイトフル・デッドなのだ。2回目の、そして最後のアンコールで演奏されたのが「人生の裏側(Atticts Of My Life)」というコーラスが美しい70年代初頭のナンバーだった。
95年までの30年間で、デッドは2317回のショーを行った。そしてシカゴ発表後しばらくして決まったカリフォルニアの2日間を含め、2322回目のショーが終わった。
グレイトフル・デッドの新しいショーは、おそらく今後はもうない。けれどデッドヘッズの奇妙な旅はまだ終わらない。