雨模様から
目が覚めたら朝から雨模様でした。
雨が降るとついついがっかりします。
出かけるときの手間や面倒くささが前面に出てきて「あー雨は困る」となります。
洗濯物が乾かないとか、湿気対策が大変とか。
コロナ禍で家族が家にいる時間が増えて家事が増えれば
「食事の支度が大変」「家の中が片付かないからストレスになって大変」
仕事量が増えれば「忙しくて大変」
減れば「不況で大変」
年齢を重ねていくうちに、どんな出来事にも口癖のように「大変、大変」から話し始める会話に出会うことが増えました。
もし雨が降らなければ作物は育たないし、砂漠化はもっと進みます。
ついつい自分本位に出来事を眺めてしまいますが、昔の人たちは「恵みの雨」と表現しました。わたしの故郷には「雨乞いの踊り」があります。
過去には多くの人々が干ばつによる飢饉に苦しめられたことが何度もあったのです。
家族の食事づくりは「大変」かもしれません。でも肉体は有限なので、みんないつまでも一緒にいられるわけではない。
朝の情報番組で平野レミさんが、ご主人のために食事を何回作れるのか計算をしたというエピソードをお話しされていました。
計算したら3万回ですよ、人生で。そっか、この人は食べることに生きがい感じてるんだ、よし!がんばっちゃろと思った
「3万回も作るのと思うのか、その3万回を喜びの時間に変えるのか」
それは本当に、個々の受け取り方次第で世界の見え方は変わるのだと思いました。
わたしは家事が好きです。当たり前ですが面倒くさいなーというときもあります。
ある時から家事はとてもクリエイティブな作業だと気づきました。
小さな表現活動のような気もします。
発想の転換が起きてからは「なんでわたしだけ。わたしばっかり」が消えました。
あともうひとつ「あなたたちのためにしてあげている」も。
自粛期間中、我が家はみんなそれぞれがめいめいにキッチンに立っていました。
クッキーを焼く人、チャーシューを作る人、ジャムを作ったりパンを焼いたり、となかなかに楽しい貴重な時間を過ごしました。
雪がチラついた冬のある日、大学生の長男がテレビの天気予報を見ながら、
「雪が降ると困る、なんて真っ先に口に出すような大人にだけはなりたくないなぁ」とつぶやいていて、大人になってしまった私はハッとさせられたのでした。