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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

日本宣教37-ハビアン対羅山東西宗教論争

2020.07.03 11:23

1606年、当代一の朱子学者林羅山はキリスト教に招かれて論争をした、その相手が不干斎ハビアンだった。これは羅山側の記録しかないが、東西思想の対決としてスリリングなものとなっている。のっけから羅山は壁の絵を見て誰の絵か問うたらしい、恐らく偶像問題を突いたのだろう。

さらに羅山は、地球儀にかみついた。曰く上下はどうなるのだ、と。世界が球体であるのは、世界一周をした者が何人も居る西洋では常識である。信長は地球が丸いことを理解したとのことだが、羅山は悪いスコラ並みの頭の固さである。しかし上下問題は万有引力でなければ解決しない。

論争は宇宙の創造において核心に入る。朱子学では宇宙の始原は「理」すなわちことわり=宇宙法則である。しかしキリスト教は神、つまり体=実体である。体の前に理があるのか、理をつくった体があるのか、お互いに例を出して論じあったが水掛け論となった。まあヨハネ福音書では「はじめに言葉ありき」と、ギリシア哲学を取り入れて書いているのだが。

この論争では、羅山はキリスト教哲学を理解できず、ハビアンもそれほどキリスト教哲学を理解していなかった。神学大全などを持っていれば、羅山は狂喜したかもしれない。しかし日本で東西がっぷり四つな論争ができたのである。

下は朱子学の世界観