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教室記録

発見に胸がふるえる。

2020.07.03 12:53

子どもの発言に心が震える瞬間というのが、年に何度かある。


想定していないことというか、授業の流れにその子の一言が、学びに深さを生むというか、


今みんなで勉強していることは、すごい価値のあることだったんだと、自分の方が気付かされるような瞬間。


この発言を、流れを、壊してはならないと慎重になる。


強引に引っ張てはいけない、だけど流してしまってもいけない。

震える瞬間は、発言だけではない。


心震える瞬間は、子どもの書いたものを読んでるときも訪れる。


ある年のこと、物語文の紹介レポートのようなことを授業で扱った。


出会ってわりとすぐのこと。

その子たちは、低学年。

書くことに躊躇いのない子どもたち。


最初なんて、書けない子が半分で当たり前くらいに想定していたから、びっくりした。


書くことに勢いがある。


最初に登場人物のこと(性格や外見)を読み取り、箇条書きさせた。

その中で、「やさしい」など、多くの子どもが書いていたところを取り上げ、証拠探し(根拠となる文に線を書く)を行った。


以上の読み取りを、レポートの「はじめ」に文章で書く。


その次からは、出来事を読み取り、


それをあらすじにして、レポートの「中」に書く。


最後は、「おわり」に感想を書く。


そんな感じでのレポートづくり。


それが終われば、小さくイラストなんかを入れて、画用紙に貼った。


放課後、その一つ一つを読んでいるときである。


ある子のレポートに、心震える瞬間が訪れた。


あらすじの言葉が、教科書のものでも、多くの子が用いているような授業の言葉とも少し違う。


なぜそうなるのか。


あらすじが、的確。


だけどそれだけじゃない。そういう子は、他にもいる。


それは、自分なりの解釈を入れながら表現しているからである。


教科書のビルを、自分の知っているビルと重ねて表現したり、


登場人物の動きに対し、自分だったらこうするけど、そこではこうだったなどの、解釈がすてき。


そういう文章が続く。


その子にしか書けないレポートである。


そして、震える理由のもう一つは、発言の多い子ではないというところにもある。


日常でも、話しかけてくれることは多くあったが、どこかゆっくりしているというか、マイペースというか。


気にして見てあげなきゃな、というところがあった。


靴を脱ぎ履き替えたりしたら、下駄箱にしまうのを忘れちゃう。


そういうところがあった。


その子の語彙力、言葉の表現力、内面での言語活動。


ぼくの、ものさし(観察?)なんかじゃはかれない。


簡単に、はかろうとしたら、いけないなぁと思った。


そのときの感動を思い出し、今涙が出てる笑