わたしを生きる
7月になって
わたしの中に
はっきりと浮かんだ
言葉がある。
「わたしを生きる」
それはコロナ渦の中で
フツフツと生まれ
ぼんやりと浮かび上がっていた
言葉にならない言葉が
だんだんと輪郭を現し
7月になると
お題目のように
くっきりと
わたしの脳内に掲げられていた。
「わたしを生きる」
毎日の過ごすことは
ルーティンをこなすように
時間に追われて
行動してしまう。
もちろん
時間をやりくりして
私や家族の予定を
クリアしていくことも
大事なことだ。
でも
そのルーティンや
予定をこなすだけでなく
今日のわたしの
魂が喜ぶことを
一つだけでも
叶えていく。
それはハタから見れば
最初は小さなことばかり
かもしれない。
美味しいコーヒー
期間限定のかき氷
数十分のお昼寝
やりたかったゲーム
見たかったyoutube
そんなこと?
と思える
わたしののぞみを
叶えていく。
朝の仕事の一つに
草取りなどの
庭廻りの仕事が
増えて
だいたい30分で、
と思ってもついつい
もう少し、もう少しと、
庭にいてしまう。
夫からは
「それは現実逃避だ」
とか、言われるのだが
わたしからすれば
こんなにわたしの気持ちに
沿った暮らしを
してきたことは
かって、
なかった。
雨の合間の貴重な時間を
庭を見渡し、
手をかけたい場所で
草を取ったり
枯葉をはいたり。
雨が続いた後に
濃い緑の苔が
地面をおおい
多分真夏の陽射しが続けば
この緑の絨毯は
消えてしまうかもしれない
その儚さと美しさを
見つめる。
一仕事終えた後、
少し日陰の石の上に
腰をかけての
くつろぎの時間に
お疲れ様でした〜
と、ばかりに
北側から涼しげな風が
そよそよとふいて
身体を冷やしてくれる時、
深い深呼吸とともに
私がわたしと
つながっていることを
実感していく。
その時間が
わたしを意識する
何よりも大事な時間に
なりつつあるのだ。
わたしを生きている、
幸福感を抱きしめる。
7月の庭には
土の表面に
穴ぼこがいっぱい開いている。
そして抜け殻もたくさん
落ちている。
おおよそ7年と言われる
地中での生活を終え
成虫となって
這い出してきた蝉が
残した穴。
そして同時に
蝉の羽だけも
何枚も落ちている。
羽化してわすが1週間から
数十日と言われる
成虫となった蝉は
繁殖のためだけに
木に登り
オスはメスを呼ぶために
必死で羽根を震わせて
鳴いている。
そして繁殖活動を終えて
メスが地中に卵を産むと
木につかまる力のなくなった
蝉から
地面に落ち、
あとはアリなどの昆虫達が
羽のみを残し
処理していくのである。
土の中で育てられ
成虫になり
命を全うし
昆虫たちのエネルギーになることで
また土に帰っていく。
ただ生きることに忠実に
食べる、
眠る、
羽化し、
木に登り、
鳴き、
繁殖活動をして
卵を産み
死んでいく。
この庭廻りが
蝉の一生の世界。
その蝉の世界を
整えることに
少なからず関われたことも
ありがたく。
その蝉の
その命の長さにかかわらず
蝉の1日も
私の1日も
同じ1日なのだ。
その1日を
「どう過ごしているか」
もちろん現実的に
やらなければいけない
優先順位なこともある。
でも、
もし蝉のように
働く概念もなく
ただ「生きる」
ことを意識したとき
わたしは何を選ぶのだろう。
わたしを生きる
ことは
わたしにとっては
効率的に生きることではなく、
現実的な日常の中で
忙しい思考を置いて
今日を生きる中で
わたしが
生きていると、
感じられる、
魂が喜ぶことを
「意識する」
ことだ。
わたしののぞみを叶える人は
他の誰でもない
私。
私がわたしの声を聴き
わたしを喜ばせることを
意識を向け始めると
不思議だけれど
小さなシンクロが起きていく。
わたしの声を叶えていくとき
私とわたしの
信頼関係が築かれていく。
自己肯定感の
低かった私が
わたしを生きる、
にたどり着いたのは
わたしの
行ってみたい、
やってみたい、
食べてみたい、
みたい!みたい!
に、応え始めてからだ。
真面目で
周りに気を使って
人生は修行のように過ごすものだと
思っていた時は
わたしの声が聞こえなかった。
わたしは
人生を
楽しんでいいんだ、
それが許されている、
と気づいた時
世の中が
白黒からカラーに
変わった気がした。
出会うべくして
出会った方たちと
笑ったり 泣いたりしながら
右と左の回転の渦を
螺旋を描きながら
登っていく。
苦しくつらいと
感じる日々があっても
それが私の中での
ステップアップのために
起きたんだと
気づけば
オセロのコマが
一気に反転するように
修行の世界感から
脱していく。
いま
わたしのなかに
目標も野心も
なく
わたしが日々の
小さな喜びを
つみかさね
気づきを
見つけていく時
わたしの中で
蕾の花弁が開いていくように
ゆっくりと
悦びの花が咲く。
それが、いまのわたし。
それが
わたしを生きる、こと。
誰とも違っていていいし、
いつか
大きな野心をいだくのもよし(笑)
どんなわたしも、愛しい。
ゆっくりと
深呼吸をするとき
わたしの声が
私と繋がり
「わたしを生きる」
ヲ、オモイダス。
今日、
わたしを生きる時間を
もてましたか?
私は
わたし、でしたか?